第2話 いつものこと

 今までいた小屋を出ると周囲は鬱蒼とした木々に囲まれていた。

 任務前に渡された事前資料では、ここはオイステン王国の王都オイレンからやや離れた位置にある森のはずである。

 周辺はわずかだが開けており、視線を動かせば枝葉に邪魔されずに抜けるような大空を見ることができた。

 鳥の歌うようなさえずりが聞こえ、風の乙女がが木々の梢を悪戯に撫でて行き過ぎる。

 己の身がホウキではなかったら、もう少しこののどかな自然の風景も楽しめただろうに。


「しかし、体を境界図書館に置いてくるのは良いですが、いや、良くないですが……、回数を重ねる度に転送予定位置からのズレが酷くなるのだけはどうにかならないものですか?」

 私を掴んだままリブラ教官がぼやく。空いた方の手が、腰に下げた愛用のサーベル『銀月の姫』の柄頭にかかっている。

 ここでもし、彼女がこの事態に癇癪を起こしたら、私は細切れの燃料にされるのは間違いない。

 ただ今のところ、眉間やこめかみに時折指がいったり、ため息まじりのぼやきが整った唇から転がり落ちるだけだった。

<本当にすいません>

「まあ、不可抗力なのはわかっています。マドカやドクたちも原因を調べてくれているので、そのうち解決するでしょう」

 直後、また深いため息が地の上に転がり落ちる。

「……解決しなかったら、いろいろと大変です」

 本当に、折れる体があったら今すぐ土下座をしてあやまりくらいである。


「来たな」

 森の中に微かに移動する気配があった。

 気配にそって茂みが揺れ、徐々に近づいてくる。

「アキラ君こっちだ!」

 リブラ教官がその気配に対して手を振る。直後、藪をかき分けるようにして姿を現したのは、教官と同じ司書服を着たアキラだった。

 まだ少し距離があるが、170センチほどのリブラ教官と比べてもその体はかなり小柄で細いのがわかる。

 それもそのはず、アキラの実年齢は驚愕の13歳である。下手をすれば私の三分の一である。

 だがそれを差し引いたとしても、実際のところアキラは、同じ年代の子たちよりも恐らくもっと細く小柄だった。


「リブラ教官! オトーサンが見つかったそうですね!」

 軽く肩で息をするアキラ。その漆黒のボサボサヘアーには、どこを通ってきたのだというくらい大量の枝や葉がくっついていた。

「アキラ君、頭や体にいろいろとくっついているぞ」

 リブラ教官が空いた方の手でアキラの髪や制服についた枝葉を落とす。その間もアキラの深い黒色をした瞳はまっすぐこっちを向いていた。

「もしかして、それがオトーサンですか」

 リブラ教官が硬い苦笑いで頷く。

「ああ、アキラ君にも今後苦労を掛けるかもしれんが……」

<本当にすいません>

 同じ従者であると同時に、私はリブラ教官と共に年若いアキラの後見人でもあった。しかし、現状ではどちらが後見されているのかという状況である。

「あ……、僕は大丈夫です。オトーサンのこれは慣れてますし……」

 小さな両手が左右に振られた。ただ、その笑顔の中で口角が妙に引きつっており、絶対、大丈夫じゃないだろう。

 針の筵とはこのことだ。


「ほ、ほら、この前の漬物石よりはマシじゃないですか、あれは重かったし」

「臭かったしな……」

<本当にすいません>

 針の筵の上で、心が深く深く土下座する。


「とりあえず、無事……全員揃ったな。なら、続きはそこの小屋の中で」

 リブラ教官が掴んでいた手を放した。次の瞬間、間髪を置かずにアキラに両手で掴まれてしまう。

 アキラは私が意識を移した物を持ってなかなか手放さないところがあった。

(まあ、原因はやっぱりあれだよな)

 初期の頃に高価な宝石に意識が移ってしまい、アキラが目を離した隙に大変な目にあった過去がある。今とは違いこの状態に馴染めず、まだろくに1人で行動することもできなかった頃の話だ。その時のことがあって、手元にいないと心配で落ち着かないらしい。

 本当にどちらが後見人なのやらという感じだった。

 ただ、物によっては悪目立ちしてしまって任務に支障をきたすことがある。なので、いいかげんこの傾向は直してもらわなければいけなかった。が、とりあえず今は両手でしっかりとホールドされてしまっている。 


 中に運ばれ改めて見回すと、私がいた小屋は使われていない猟師小屋のようだった。

 隙間だらけの壁から漏れる光が、土のままの床で反射し部屋の隅の蜘蛛の巣を浮かび上がらせる。

 その中で多足の巣の主がかすかに身体を震わせていた。

「マドカ。こちらリブラ。目標世界に一応無事に到着した」

 リブラ教官が己の手首を一周する銀色の模様に話しかける。それは肌に張るタイプのフィルム型情報デバイスだった。

 デバイスは物語世界間での各種ステータス調整、基礎防護・身体強化、翻訳、通信、モニタリングなどを行うことができる。

 まさに司書にとって必須の万能アイテムだった。

「はいはい、こちらマドカ。ちゃんと到着したみたいね」

 模様から若いがリブラ教官とは違い艶っぽい女性の声が聞こえてくる。


 この声の主はマドカさん。

 現場で作業を行う私たち司書の様々なバックアップをしてくれる『アイオス』という存在の一人であった。

 その中でも彼女は、事前調査や、装備等の手配、準備、さらに任務中のオペレーターを務めてくれている重要な存在である。

「こちらに送られてきているデータでは、周辺環境は事前調査通りね。周囲に人影及び監視の目は?」

 デバイスを使えば音が外に漏れない思考通信が行えるのだが、マドカさんは今回わざわざ音声通信を使っていた。

 どうやら状況はわかっているようである。


「大丈夫だ。人影も遠隔監視の類も感じない」

 改めて周囲の気配を探った後、リブラ教官が返答した。

 彼女は自分に向けられる監視の目や害意を敏感に察知することができた。

 その独特の感覚の前では、生物であれ、機械であれ、それを避けて接近することは『英雄級』と呼ばれる常識外れの物語存在でも難しいという話である。

 ただ、あまりにも鋭敏すぎて普段の生活では苦になるそうで、通常はあえてそれを押さえているらしい。

「了解、なら大丈夫ね、ではと!」

 マドカさんの声と共に、小屋の何もない空間に立体映像が映し出された。

 そして、アキラに抱えらえたまま私は内心で崩れ落ちる。  


 小太りのおっさんが変な姿勢で床に伸びている姿。

 それが空中でゆっくりと回っている。

「はい、今回も従者トーサンは体を置き去りですね~」

 面白がっているとしか思えないマドカさんの声。

 リブラ教官とアキラが同時にため息をついた。

 だいたいお察しだとは思う。

 今、全員の前にくるくると回りながら痴態をさらしているのが私だった。正確には意識が抜けた私の体である。

(クッ、殺せ! 殺してくれ!)

 穴があったら、はいってそのまま埋めて欲しかった。

 本当に。


 とりあえず、現在進行形のこの羞恥プレイをなんとかしたい。

<リブラ教官、マドカさんに体の保護をお願いしてもらえますか>

 体を置いてきているので、もちろん私にはデバイスがない。あと口がないので声を出すこともできない。なので私がマドカさんに直接意思を伝える方法がないのである。

「すまないマドカ、今回も帰還するまで、トーサンの体の保護を頼めるか」

「はいはい、帰ってくるまでちゃんと保護しておいてあげるから安心して任務を頑張ってね。って、ところで今回は何に意識が転移したの?」

「ホウキです……」

 アキラの返答に一瞬の沈黙が降りる。

 そして、大爆笑。

 これも毎度のことながら死にたい……。

 やがて空中の間抜けのおっさんの姿が消えうせた。

 代わりに褐色の肌をした長髪の艶っぽい美女が現れる。

 白い司書服に身を包んだ彼女こそが、マドカさんだった。

 彼女は、大笑いしたことによりズレたのであろう、細いフレームの眼鏡を少し直と無邪気にこちらに向かって手を振る。

「やっほー、アキラちゃん、さっきぶり! その両手で持ってるのがトーサン?」

 アキラがこくりと頷く。

「本当にホウキなんだ……、バラエティ豊かよね。おかげで毎回楽しませてもらってるわ」

「現場としては笑いごとではないんだがな……」

 マドカと対照的なリブラ教官の重い口調に、改めて身の置き場所がなかった。

「とりあえず、なってしまったものはしょうがない」

「はい、オトーサンのこれはいつものことなので大丈夫です」

 アキラの再びのフォローも心に痛い。


「そうね、こればっかりはしかたないわね。でも直接連絡がとれないのは不便だから、ちゃんと予備のデバイスをトーサンさんに貼ってね。確か設定したものをアキラちゃんに渡してあるわよね?」

 マドカの言葉にアキラがうなずく。

「はい、この世界のマナにもそろそろ同調ができたので出せると思います」

 そう言うと、アキラは少し考えてからそっと私を近くの壁に立てかけた。

 そしてその細い腕を前方に伸ばす。

《現れよ 内なる門を解く鍵よ》

 アキラの詠唱の声と共に空気が微かに揺らいだ。

 日の光で輝く埃が流れを変える。

 アキラの上に向けられた掌から仄かな光が漏れだした。

 やがて、それはゆっくりと形を成すと、リングで束ねられた大小2つの鍵となった。

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