Ⅴ
何にせよ、マリアは言えば大抵の事は理解して約束は守ろうとする。
従順ではあるのだ。
ただどうしても一緒に寝る事だけは譲れないとばかりにくっついて来るので、先日の様に殺人現場に行かれるよりはマシかと思って、一緒に寝る事にしていた。
「マリアがそのユダと言う男の次男だと仮定して、もしかしたらマリアの知能指数は相当に高いのかも知れん。他にも思う所あって、今度知能テストでもやってみようかと思っていた所だ」
「なるほどねぇ」
「ルース先生、それって、サヴァン症候群とか言うアレっすか?」
「フランツ、お前馬鹿じゃ無かったんだな」
「先生、酷い……。俺だってこれでも現役の刑事なのに……」
休日だと言うのに朝から訪ねてきた刑事二人がやっと帰った所で、朝食を作ろうと台所に立った。
最近やっと分かって来たのは、マリアは半熟の目玉焼きが好きだと言う事と、珈琲よりも甘いカフェオレが好きだと言う事。食べる事自体は嫌いじゃ無い様だが、人より沢山食べる感じでは無い。果物も出してやれば食べるが、果汁が多いものだと口の周りから胸元まで汚して、朝から風呂に入る事になる。
「マリア、林檎食べるか?」
振り返ると、マリアはジッとシンク上の棚を見上げて固まっている。
「……どうした?」
視線の先を追ってみると、どうやらサランラップが気になるらしい。
「ラップがどうかしたのか?」
マリアはアレと指を指すので、取ってやる。
それを嬉しそうに受け取ったかと思ったら、ルースの掌に“PEN”と書いて見せた。ビーッとラップを広げてキッチンの床に綺麗に貼り付けると、ルースが持って来たペンで何やら書き出した。
自分から文字を書いたりする事は珍しかったので、ルースは朝食を作る間腰に巻き付かれるよりはいいか、とそのまま放置して調理に戻る。
「ほら、出来たぞ。お前の好きな半熟の……」
ルースは床に伏せって黙々と何かを書いているマリアの上から覗き込んで、驚いた。床に貼りつけられたラップの上に書かれていたのは化学式で、それは良く見ると一覧表になっている。
「マリア……お前、何をしているんだ?」
最後の一文字を書き終ると、マリアは顔を上げて何かを探すような素振りを見せて、ルースが手に持っていた朝食の皿を取り上げテーブルに置き、またその掌に“MAP”と書いて強請る様に見上げた。
「マップ? 地図か?」
マリアはコクリと頷く。
「何処の地図だ? この辺りで良いのか?」
またマリアはコクリと頷いた。
確か引っ越して来た時に買ったものがあったはずだと、ルースは本棚の端からそれを取り出し、マリアに渡す。
マリアはそれをまた床に広げてその地図の上に、さっきラップに書いた化学式を上から重ねた。
「どうしたんだ?」
マリアが指を指すので、それを覗き込んでみる。
B5と書かれた右上のホウ酸の化学式に位置していたのは第二のロナルドの殺人現場だった。
マリアが次に指したのはO8と言う酸素の化学式で、その位置にあるのは港近くの廃工場だ。
ここまで来ればロナルドの左手に残っていた08の文字はゼロでは無くローマ字のOで、次の殺人現場の予告なのだとルースでも分かる。
「マリア……お前、何でそんな事が分かる……?」
キョトンとしたマリアは、さも分かる? とでも聞きたそうに小首を傾げている。
「あぁ、分かるよ。すぐにでもロディに連絡しよう」
そう言うと喜ぶかと思いきや、マリアは少し表情を曇らせた。
ロディにその事を伝え、ふと場所が分かっても日付までは分からないと言う事に気付く。どうやって犯行のある日を割り出していたのか、ルースはマリアに聞いてみたが、聞かれている事の意味が分からないと言う様な顔をする。
「マリア、お前はどうしてロナルドの殺人があの日起こると分かったんだ?」
マリアはうーんと唸る様な仕草を見せた後、ルースの手を取って指を折ったり広げたりしてみせるが、ただ人の手を使って遊んでいる様にしか見えない。
その内何を思ったかルースの指をしゃぶり始めたマリアに、ルースは大きく一歩引いた。
「なっ……ダメだ! マリア、そんな事は小さな子供だってしないんだぞ!」
大きな声を出したルースに、マリアはビクビクと怯えてキッチンのテーブルの下に潜り込み、小さく膝を抱いてしまった。ここへ来て泣いた事など一度も無かったのに、突然声を荒げた事に驚いたのか、奥から出てこようとしない。
「マリア、怒鳴って悪かった……。こっちへおいで、ハグしてあげよう」
その言葉だけでバタバタと抱きついて来る辺り、張る意地もないくらい素直な少年なのだ。
ふぅふぅと息を荒げてボロボロと涙を零す様は、何処から見てもタダの子供だ。
しかしタダの子供の様だと言っても十五歳で、人より小柄だと言っても男の子だ。
身長も百六十は超えているので、でっかい子供だな、とルースは苦笑した。
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