Ⅱ
ロディに言われて小さなガラス窓の中を覗いてみると、黒髪の少し小柄なその少年は女性物の下着の様な、白いワンピース風のものを一枚着ているだけで、落ち着かないのかウロウロと取調室の中を行ったり来たりしている。
首に巻かれた包帯らしきものが解けて靡いている。
「何処か具合が悪い風には見えないが? 首を怪我しているのか? というか、人の形を保っていると言う事に、俺は感動している」
「あぁ……まぁね。彼は遺体のそばに座り込んでた少年で特に外傷は見当たらない。首の包帯は古傷を隠しているみたいだが、その……どうも害者と性交していた様なんだ」
「娼館の子と言う事か?」
「いや、それが違うらしくて……辺りの娼館に尋ねたが、彼の雇い主はいなかった。孤児なのか、まだ身元はハッキリしていない」
「それで? 俺にどうしろと?」
「被害者は舌をバッサリ切られて、失血死。身長は百八十を超えるガタイの良い大男だった。あの小柄な少年に、そんな事が可能だとは思えん。ただ被害者の体に彼の精液が付着していて、性交していた疑いが持たれている。容疑者ではないからこれ以上の拘留は出来ないが、重要参考人ではあるわけだ」
「ロディ……お前もしかして俺に、身元が分からない、何処の馬の骨かも分からない少年の身元引受人になれ、と言っているのか? このクソ野郎」
「だって、このまま釈放してどっかに消えられたら困るだろ?」
「俺は困らん。バカバカしい……夜中に叩き起こされて、里親の真似事など……」
「彼、喋れないみたいなんだよねぇ……。このまま犯人が見付からなければ、どうしたって彼に容疑が傾いてしまう事になる」
この男は、とルースは舌打ちする。
ロディはルースが元々子供に情が深い事を知っていてこんな無理難題を当たり前のように押し付けて来るのだ。
見捨てる事が出来ないと、分かった上で。
ルースはもう一度覗き窓から少年を見遣った。
救えなかった子供の数など覚えちゃいない。
医師として先生などと呼ばれていても、神には成りえない。
ただ目の前に可能性があるのに、放棄出来るほどルースもまだ枯れてはいなかった。
「彼と対面させてくれ。返事はそれからでも良いか?」
「拾った猫をもう一度放るなんて事が、ルースに出来るのかい?」
「喧しい」
取調室の扉をゆっくりと開けると、少年はビクッと肩を竦めてルースをジッと見た。大きな真黒な眸は、ブラックサファイアの様に透明感があって、細くて白い肢体は白いワンピースの中で泳いでいる様に見える。
首の白い包帯の隙間から、真一文字に切り裂かれた様な傷痕が覗いていた。
「私はルース・レイチェルという医者だが……君、名前は?」
幼い子供の様に小首を傾げた後、臆面もなくルースに近づいてルースの手を取った少年は掌に“MARIA”と書いて見せた。
「マリア、と言うのか?」
少年はコクリと頷いて、長身のルースを仰ぐ様にして見た。
中学生くらいのその肢体で、百八十を超える大男の舌を切り取る等、確かに不可能だろう。その位、マリアはひ弱な印象を受けた。
ただ自分の名前が書けると言う事は、他にも文字を書ける可能性があり、そうであったならマリアはどこかで教育を受けた事がある可能性がある。
「どこか痛い所はあるか?」
マリアはぶんぶんと首を左右に振って見せた。
行動が幼い気がするが、あどけないその仕草は確かに可愛くて、ロディがもう一度捨てられるのか? と言った科白が脳裏を過ってマリアに気付かれない様にもう一度舌打ちした。
「マリア、私と来るか? ここよりは居心地が良いだろうし、君には暖かい食事とベッドが必要だ」
コクリ、と頷いたマリアは両手を差し出して、まるで子供がハグを強請る様な素振りを見せたので、ルースは条件反射的で上体を屈めてマリアへと体を寄せる。
マリアはルースの首筋に縋り付いた途端、舌でペロッとルースの頬を舐めた。
「なっ!? 何をして……」
まるで子犬がじゃれる様に、頬から顎にかけてをペロペロ舐め回されて、後ろに控えていたロディが「ブッ!」と吹き出した。
「ちょ、ロディ、こいつをどうにかしろっ!」
「いやぁ、ルース先生は少年にもモテるんですねぇ」
「あ、ちょ、マリアッ! ちょ、ストップ!」
まるで飴に集る蟻の様な執着で、顔の左側を唾液塗れにされてしまったルースは、性的興奮を覚えた様な少し染まったマリアの頬を見てギョッとした。
恍惚とした眸と零れる唾液で淫蕩に濡れた唇が、どんな女性のどんな淫猥な姿よりもイケナイものを見せられた禁忌を思わせる。
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