3.

「ゆうやお兄ちゃんへ

お返事書けなくてごめんなさい。赤いおくすりのふく作用がやっと軽くなりました。かみの毛は全部ぬけたけど、昨日から少しごはんが食べられるようになりました。うれしいです。点てき応えんしてくれてありがとう! ゆうやお兄ちゃんは今どんなお勉強をしていますか? お医者さんになるための大学に入るのは、とてもむずかしいってかんごしさんに聞きました。お勉強大変だと思うけど、がんばってください! ゆうやお兄ちゃんの得意な科目、苦手な科目はなんですか? ぼくは算数が好きです。国語はすこし苦手だけど、院内学級の先生がていねいに教えてくれるのでがんばります。またお返事ください。お兄ちゃんからのお手紙楽しみにしています」

最初の頃とは字が明らかに違う。今までの手紙の文字も子供の字らしくあどけなさはあったが、今回のは震える手で書かれたように波打った線で文字が形作られていて、シンプルな便箋から必死さが滲み出ていた。

 無邪気な応援が、俺の心にちくちく刺さる。さっきだって予備校仲間とカラオケに行くために外に出たのに――とてもじゃないが今から歌う気にはなれなかった。勉強しようと思ったものの、俺は友人にドタキャンの連絡を入れた後引き出しから便箋を取り出していた。とりあえず返事を書かなければと思った。まず訊かれた内容に答え、他にはやっぱり当たり障りない内容しか書けなかったが、それでも彼の力になればいいとか柄にもなく思った。何とか返事を書き上げ、ブラウザを開く。彼の病名はわからないから手紙に記されていた症状を頼りに検索をかけると、一般人の俺でも大変な病気だと分かる病名ばかりヒットする。

 このうちのどれかが今、彼が闘っている病気なのかと思うとブラウザを閉じる事が出来なかった。勉強しなければと思いながら、俺は検索結果一覧に表示されたサイトを片っ端から見ていた。中には患者の家族が更新しているブログもあり、点滴に繋がれた子供の写真が載っていたりする。専門用語ばかりで綴られたサイトもいくつかあって、詳しい内容は分からないが何となく性質の悪い病気であることは察せられた。

 俺は言葉を失った。彼の病気は、この検索結果通りの病気ならばの話だが、恐らく病状次第では命を落とす可能性もあるものだ。治療法についても調べてみたが、副作用の強い薬を何度も何度も点滴して、それでも良くなるとは限らないらしい。俺だったらきっと三日と耐えられない。それを彼は耐えている。つらいだろうに、手紙には愚痴の一つも書いてこない。彼からの手紙はいつも無邪気な明るさにあふれていた。ふと便箋の端を見ると、僅かに水滴の跡がある。もう乾いているが、泣いた跡だろうか。彼は苦しさに泣きながら、それでも俺にこの手紙を書いて寄越したのか。

 広げた問題集を脇に寄せて新しい便箋を取り出すと、俺は無我夢中でシャーペンを握った。初めて真剣に手紙を書いた。安直かもしれないが、医者になりたいと思った。心から医者になりたいと思うなんて、二十年ほど生きてきて初めてのことかもしれない。俺が医者になっても彼の病気を治せるかはわからない。それまで彼が生きているかもわからない。それでも俺が医学部に入って医者への道を進むことになれば、それが彼の力になるかもしれない。昂る気持ちのままに、「僕は医者になります」とまで書いた。書いてしまった、と思ったが書き直す気にはなれず、結局そのまま投函してしまった。その日は予備校に行かず家で勉強した。サボり魔で有名な俺らしくないことだが、この時は別人のように勉強に打ち込めた。

 彼は気が遠くなるような治療を受けながら、それでも俺を気遣い励ますような手紙をくれた。それだけのことなのに――本当、俺らしくない。

貴史くん、待ってろよ。俺、絶対、お前の病気を治せる医者になるから。


――今度こそ、医学部に受かってみせるから。


 今年の夏は去年以前とは違い、俺は予備校に引き籠るくらいの勢いで勉強した。毎年この時期は夏の暑さも相まってだらけてしまうのだが、今年は今までで一番勉強に打ち込めた。以前よくカラオケに行っていた友人達とはいつの間にか関わりがなくなっていて、予備校の担当講師には何があったのかと随分驚かれた。よどんだ目で時々授業をサボっていた奴が血相を変えて勉強しだしたのだ、驚くのも無理はないだろう。俺はいつしか郵便受けをチェックすることすら忘れていた。夏明けの模試では今までにない好成績を叩き出し、両親にスカイプでそのことを報告すると今年ならいけるかも、と久々に明るい顔を見せてくれた。いや、いけるかもじゃなくて今回で合格しないといけないのだ。

 十月中頃、模試の帰りにふと郵便受けを見ると手紙が入っていた。消印の日付は八月末だ。

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