第50話 義の力 仁の力

 仁蛇じんじゃ義蛇ぎじゃの瞳の奥を覗き込んだ。

 その澄んだ瞳には、一片の邪心もなく正義感にあふれていた。


「私たちは“八岐大蛇ヤマタノオロチ”は八つの頭が揃ってないと、神としての力が半減するのよ」


「……そうなのか?」


「気づいてないでしょうけど……其々の能力が、呼応しあって力を増幅させていたの」


「……確かに俺の力が心なしか落ちているような……でも、それが何か?」


「気づかない? 私たちの力が弱った事で、この国に散らばっているしもべの妖怪たちをコントロールできなくなってるでしょ……」


「まさか……」


「試してみてら」


 義蛇ぎじゃは目を閉じると、百八匹の妖怪族のおさに“服従の思念”を送った。


「本当だ! 妖怪たちの存在が確認できない……おさたちが見えない!」


「そうよ。全員……もう解き放たれたのよ」


「そんな……おさの中には邪悪のさがを秘めた奴も沢山いるんだぞ……」


「更に……そのおさたちが束ねる数千の妖怪たち……いったいどうなるのかしら……」


 数分前に話は戻る――。


 義蛇ぎじゃ仁蛇じんじゃが地中深く落ちていった――その時刻――。


「オッオオオ~~~!」「ギッハ~ギッギ~~!」「ググッグ~ゴッ~~~!」


 日本各地。神の領域と信仰していた山々から、地鳴りのような咆哮ほうこうが人々の村に鳴り響いた。


 その声に驚いた、数千、数万の鳥たちが一斉に飛び立ち、空をおおい尽くした。


 シカやイノシシ、山の獣たちが、追われるようにふもとに向かって駆け出した。


 その後方――異形の者たちが、逃げ惑う鳥獣を蹴散らしながら、火砕流の如く勢いで村々に雪崩なだれ込んできた。


「あ……あれは……あれは何だ~? ば……ば、化け物だ~逃げろ~!」


 その姿は、古来より言い伝えに聞く“あやかし・妖怪・物の怪”そのものだった。


「今頃……人々は、あやかし達の姿を目の当たりにしてるはずよ。妖怪はもう影の存在ではなくなったわ」


 仁蛇じんじゃが寂しそうに目を伏せた。


「それが……智蛇ちじゃが望んでいた、この国を地獄にするということなのか?」


「それは違うわ! 今、妖怪たちは……“八岐大蛇ヤマタノオロチ”の圧力から解き放たれて戸惑っているだけ……」


「でも……邪悪なおさたちは、この機に乗じて人を襲うんじゃないか?」


おさの多くは、私が善を説いた妖怪たち……彼らが……きっと、抑えてくれてるはずよ」


「…………」


 事実、人々は“あやかし”を見たとき、その後に起こるだろう惨状を覚悟した。


 しかし、何事も起こらなかった。


 数匹の“あやかし”が、一匹の“あやかし”を取り囲むと――溶けるように姿が消えていった。


 そして――その後は、何事もなかったような静けさが漂っていた。


「均衡は保たれるって事か……」


「今頃、私たちを同化して元の力を取り戻さなくてはならない事に……智蛇ちじゃが気づいているはずよ」


 どうしても、“八岐大蛇ヤマタノオロチ”としての力を取り戻したい智蛇ちじゃが、義蛇ぎじゃ仁蛇じんじゃを再び同化する為に襲ってくることは容易に想像がついた。


「ねぇ……義蛇ぎじゃ。私たち神に残された最後の選択を知っていわよね?」


「最後の選択? もしかして……転神生てんしんせいのことか?」


 神の一族は、己の意思で一度だけ生まれ変わることができる。

 それは神であることを捨てる最後の選択でもあった。


 神としての寿命が尽きる者。

 神としての重圧に耐えられなかった者。


 理由は様々だが――そんな神の力を“転神生てんしんせい”と呼んだ。


「どんな妖怪に転神生するかは、してみないと分からないんだぞ! もし……力のない弱い妖怪になってしまったら……」


 義蛇ぎじゃの言葉が詰まった。


 六蛇と言っても“八岐大蛇ヤマタノオロチ”の力は、妖怪と比べ強大であることに変わりはない。

 己を守る力もない妖怪に転神生したら、またたく間に智蛇ちじゃに見つかって取り込まれてしまう。

 再び神の力を取り戻した智蛇ちじゃが、サタンとの密約通り、この国を阿鼻叫喚の地獄に変えてしまう。


「妖怪には転神生しないわ……私たちは、人間になるのよ」


 仁蛇じんじゃは、笑顔を義蛇ぎじゃに向けると優しく包み込むような声で言った。


「人間? 冗談だろ…………本気なのか?」


 義蛇ぎじゃが驚くのも当然だった。

 たかだか数十年しか生きられない、さしたる力もない人間に“神”である者が生まれ変わるなんて――神々の長い歴史においても一度もなかった事である。


「あなたと同じよ……智蛇ちじゃも、まさか私たちが人間に転神生するなんて思いもしないでしょうね」


「それはそうかもしれないけど……だからといって……逃げるのは嫌だ!」


 まったく納得のいかない義蛇ぎじゃだった。

 戦う事に臆しない事が神の誇りと信じていた。


「私たちが同化されたら……この国は亡びるのよ! 分かって……義蛇ぎじゃ


「……けれど、人間では……あまりに弱すぎないか?」


「それなら大丈夫よ……“僕神ぼくしん”としての力は消えるけど、私たちが持つ最後の力は残るはずよ」


「俺たちの最後の力……?」


「そう……あなたの“義の力”と、私の“仁の力”は人間になっても残るわ……」


 仁蛇じんじゃには、この地下深く横たわる彼女の元にやってくる、十八匹の妖怪長ようかいおさの気配を感じていた。

 仁蛇じんじゃと強く結びつき、仁蛇じんじゃに従い、仁蛇じんじゃを慕い続ける妖怪たちである。

 十八匹の妖怪長ようかいおさたちが、地面の亀裂きれつを塞ぎ、智蛇ちじゃたちの追手を防いでいる事も分かっていた。


「でも……そんな力で、智蛇ちじゃたちと戦えるのか?」


「二人の力が一つになればね……そして、同じような力を持った者が沢山集まったら……戦えるでしょう?」


 仁蛇じんじゃの意味深な言葉を理解できない義蛇である。


「分からない? 私たちが人間に転生したら男と女でしょ……子供ができれば……」


「そうか! その子は義の力と、仁の力を両方兼ね備えて生まれてくる……」


「そう……そして、その子供達が更に子孫を増やしていけば……大きな力が生まれるはずよ」


「えっ! ちょっとまってくれ! じゃあ……俺は、君と結婚するのか? あの……夫婦になるの? マジで……」


「今頃気づいたの? あら……なにか不満でもあるのかしら?」


「そんな……まだ、心の準備が……君と夫婦になれるなんて……♪」


「何を照れてるのよ~♪ 今まで一緒の体だったでしょ~♪」

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