第44話 もののけ長屋

 あの日、輪入道は妖怪が住む“もののけ長屋”が新築されたことで、新しく入居する妖怪たちを荷車で運んでいた。

 空には消えてしまいそうな極細三日月が、雲の隙間からチラチラと見え隠れする――薄暗い夜だった。


〈輪入道よぉ~。今夜はほんに絶好の妖怪日和じゃなぁ~〉


〈人間に見つかることもなく、のんびりと空の旅ができて最高ね♪〉


 のっぺら坊は、ろくろ首の女将さんにお酌をしてもらって上機嫌である。


〈せからしか~! シャカシャカ耳障りぜよ~〉


〈高所恐怖症やねん……小豆を洗っていないと落ち着かんねんのねん〉


 小豆の入ったかごを必死でかき回している“妖怪小豆洗い《ようかいあずきあらい》”を、一本ゲタの歯で押し退けようとしているのは“カラ傘お化け”である。


〈イテッ! この野郎、またやりやがったな~。枕を返しやがれ!〉


〈やだね~! おいらの事を弱虫妖怪なんて馬鹿にしやがって。お前だって小僧のくせに……〉


 高いびきで寝ていた一つ目小僧は“妖怪まくら返し”に枕を取られて後頭部をしこたま打ったようだ。


〈みんな静かにするドン! なんか様子がおかしいドン〉


 ピンを張りつめた冷たい空気をいち早く察した輪入道が、騒いでいる妖怪たちを鎮めた。


〈なんじゃ? どうした輪入道。こんな楽しい夜にそんな……グェッ!〉


 のっぺら坊が、盃を口に運ぼうとした瞬間、断末魔をあげて姿を消した。


 人より遥かに勘が鋭い妖怪達である。

 全員が空を見上げた。

 絹のようにフワフワしていた薄雲はすっかり消えていた。

 代わりに、どす黒い雲が螺旋状らせんじょうの帯となって輪入道が引く荷車めがけて突っ込んできた。


〈やばい! オロチだ~~~~! みんなバラバラに逃げるドン〉


 八つの頭を持つ“八岐大蛇ヤマタノオロチ”から逃れるには、バラバラになるしかない。

 集団でいては一気に取り囲まれてしまう。

 おのおのの妖怪が持つ最大の力で、一目散に逃げるしかないのだ。


 輪入道は必死で逃げた。

 火炎を最大に上げて逃げた。

 暗闇で青白く燃えあがる輪入道は目立つ!


 そのことが“八岐大蛇ヤマタノオロチ”の目を引くことは百も承知だった。

 それでも最大のスピードで逃げるしかなかったのだ。


 後ろのほうで妖怪たちの断末魔が聞こえてくる。


 どれだけ飛んだのだろうか――。

八岐大蛇ヤマタノオロチ”の気配は消えていた。


 彼方かなた前方、水平線から朝日が昇ってくるのが見えた。

 輪入道は、自分の幸運を神に感謝した。

 そして、生き延びた喜びを噛みしめながら、炎を緩めた。


「ワシは奇跡的に助かったドン……」


 話し終わった輪入道は大きく息を吐いた。

 目には涙が浮かんでいる。


「ほかの妖怪は……」


 泰平は尋ねようとしたが、それ以上は言葉にならなかった。


「ワシは本当に運が良かったドン……」


「さすがの“八岐大蛇ヤマタノオロチ”も、輪入道さんのスピードには追いつけなったゲロね」


 河童の五郎が我が事のように喜んでいる。


「輪入道には悪いが……オロチのスピードにはどんな妖怪も敵わんのじゃ」


 それまで黙って聞いていたガッパ爺が口を開いた。


「だって~~こうして輪入道さんは生きているじゃないのよ~」


 雪ん娘が泰平を肘で押し退けて身を乗り出すと、口を尖らせながら反論した。


「じゃあ、どうして輪入道さんは助かったゲロ?」


「輪入道は逃げ切れたんじゃない……おそらく……追われなかったのじゃ」


 ガッパ自爺が答えた。


「…………」


 みんなは、意味が分からなかった。


「その時……荷車には輪入道を入れて妖怪が七匹じゃったな? それでは、頭が足りないんじゃよ」


「……どういうこと? “八岐大蛇ヤマタノオロチ”は八つの頭だって……」


 今度は、泰平が雪ん娘を押し退けて聞いた。

 しばらく考え込んだガッパ爺は意を決したように口を開いた。


「輪入道を襲った“八岐大蛇ヤマタノオロチ”は……頭が六つしかなかったのじゃ……」


「六つ……八つじゃなくて? 二つはどこに行ったのよ? 昼寝でもしていたというの♪」


八岐大蛇ヤマタノオロチ”の怖さを知らない雪ん娘である。

 暗く沈んでいくその場の唯一の光明ともいえた。


「今から話すことは、古妖こようと呼ばれる、年老いた一部の妖怪しか知らんことじゃが……皆にも話してやろう」


「…………」


 全員固唾をのんだ。

 何か言いたそうな雪ん娘を泰平は手を握って黙らせた。

 雪ん娘の頬が少し赤くなった。


「“八岐大蛇ヤマタノオロチ”が“須佐之男命スサノウノミコト”に首を落とされたという神話は……全てが作り話では……無いんじゃ」

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