第40話 ブラックバス

 それは一年ほど前のこと――。


 半魚ッチは、“おたのし池”に単身で赴任した、河童の五郎を訪ねて来た。

 河童村の美味しい胡瓜を食べさせてやりたくて、リュックに採れたての胡瓜をいっぱい詰め込んで。


 だが、その日――。


 五郎は他の池で開催されている〈河童池主サミット〉に出席していて、二・三日不在ということだった。

 半魚ッチは胡瓜の入ったリュックを傍らに置くと“おたのし池”のほとりに座り、池の住人達が楽しげに泳いでいる風景をいつまでも飽きることなく眺めていた。


 次の日の朝――。


 ガサッガサッという物音で半魚ッチは目が覚めた。

 寝ぼけまなこの彼の目に映ったのは――人間だった。


 こんな山深い場所に人間が現れた事を珍しく思い、しばらく木の影で息を殺して行動を監視していた。

 その人間は池の岸辺に近づくと、肩から掛けていたクーラーバックを下ろすと、辺りをキョロキョロと見渡した。

 

 そして、誰もいない事を確認するとクーラーバックフタを開けた。

 そして中にいた数匹の魚を池に放流したのだ。


「しまった~~! あれは……ブラックバスだ!」


 湖畔まで駆け寄った時には、ブラックバスは湖底深く消えて行った後だった。


 釣り人達の自分本位の行為で日本中の、池の生態系が狂い始めているのを半魚ッチは知っていた。


 美しいこの池が、五郎が護るこの池が壊れてしまう――。


 半魚ッチは、水を吸収し巨大半魚人に変態すると人間に襲いかかる――振りをした。

 もう二度とこの池に来られないよう恐怖を植え付けるために。

 人間が転げ落ちながら逃げていく姿を確認すると、直ぐさまきびすを返し“おたのし池”に飛び込んだ。


「今ナラマダ間ニ合ウッチ~!」


 半魚ッチは、必死でブラックバスを追いかけた。

 一匹、また一匹と捕まえると、池の底で偶然見つけたほこらの中に閉じ込めていった。


「ほこらじゃと? 池の底のほこらか?」


 ガッパ爺が身を乗り出した。


「ハイ……捕マエタ、ブラックバスヲ閉ジ込メテオクノニ丁度ヨカッタッチ……」


「中にボーリングの玉ぐらいの石があったじゃろ?」


「確カニ……白イ石ガアッタッチ……」


 おおむね放流されたブラックバスを閉じ込めた半魚ッチは、河童の五郎が帰るまではと、監視も兼ねてひと晩、湖底のほこらの傍で眠った。


 その夜――彼は夢をみた。


 それはアマゾン川でワニやピラルクなどの、川に住む仲間達と笑いながら楽しく暮らす夢だった。

 彼にとってその夢は、ずっと胸に抱いていた望郷ぼうきょうだった。

 言葉に表せられない程に幸せな夢だった。


 翌朝――。


 半魚ッチが目覚めると、ほこらの扉は今にも、はち切れそうな程に膨らんでいた。


 それに気づいた瞬間――。


 半魚ッチの頭の中に逆らえない強い口調の命令が飛び込んできた。


【直ぐにここから解放しろ~~~!】と。


「頭の中に言葉が……飛び込んできたゲロか?」


 河童の五郎が驚いたように訊ねた。


「アレハ命令ダッタッチ。アノ声ニハ誰モ逆ラエナイッチ」


 半魚ッチは怯えながら答えた。


 彼は操り人形のように命ぜられるがまま、扉を開けた。


 ほこらの中から勢いよく――数百匹のブラックバスが飛び出してきた。


「数百匹? 数匹がなぜ……数百に増えた?」

 

 泰平が感嘆の声を上げた。


「それが“イザナギの勾玉まがたま”の力ゲロ? ……だとしたら、本当に滅茶苦茶……ゲロね……」


 五郎はガッパ爺を見た。

 ガッパ爺はマネキンの腕を組んで何か考えごとをしている。


 翌日――河童の五郎が“おたのし池”帰ってきた。


 五郎はその光景に我が目を疑った。

 数えきれないブラックバスが池の仲間達を次々と襲っていた。

 水面には無数の水しぶきが上がり、池全体が白く見える程だった。


「なにをするゲロ~~~! 止めろ~~~!」


 怒りに震えた河童の五郎は、雄たけびをあげながら池に飛び込んだ。


 そんな姿を遠く物陰から見ていた半魚ッチは、真実を語っても信じてもらえないと悟った。

 途方に暮れた半魚ッチは、池の底のほこらに祈った。

 そして、その夜もほこらかたわらで眠った。


 その夜も半魚ッチは夢を見た。

 そして、お告げを聞いた。

 その次の日も、またその次の日も夢でお告げを聞いた。


 お告げは確実に彼の頭の中を侵食していった――。


【故郷に――アマゾンに帰りたがっている仲間を集めろ~!】


【ここはお前のパラダイスだ! 誰にも邪魔をさせるな~!】


 半魚ッチは、頭に響く声に逆らう事は出来なくなっていった。


 それ以降、半魚ッチは断片的にしか記憶を引き出せなくなった。


 ただ、アマゾンの仲間を集めるため、変態能力で人間に化け、人間社会で飼われ故郷に帰りたがっているワニやピラニアなどのアマゾンの生き物を救出してきてはほこらに入れて増殖させていった。

 その事は断片的に覚えていた。


 半年後――。


“おたのし池”に住む、多くの生き物がジャングルの環境を必要とするようになると“イザナギの勾玉まがたま”は白から茶褐色に変色し、みるみるうちに“おたのし池”を熱帯のジャングルに変貌させていった。

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