第30話 昏睡

「雪ん娘! 雪子ッ……大丈夫か?」


 ガッパ爺は、自分を羽織っている雪ん娘を揺らした。


「…………」


 返事がない。

 ガッパ爺は、雪ん娘ごと半身を起こすと、今度は激しく揺らした。


「雪ん娘! こりゃ~! 妖怪がこのぐらいの事で気を失うんじゃない~」


 ガッパ爺の声が届いたのか、雪ん娘がゆっくりと目を開けた。

 そして頭を押さえながらキョロキョロと辺りを見渡した。


「……気がついたか……」


 ガッパ爺から安堵のため息が漏れた。

 我が孫のように可愛がっている泰平と雪ん娘に何かあったらと、いつも心配している。

 気苦労が絶えないガッパ爺である。


「いっ痛~~ッ! 頭を打っちゃったみたい。クラクラするわ……え? 私? どうしたの……何があったの?」


「覚えとらんのか? 雪ん娘は、突然池から現れた半魚人に襲われたのじゃ」


「半魚人? あいつが? そうだ……その野郎は、どこにいったの?」


 押し倒された事を思い出した雪ん娘は、メラメラと怒りが込み上げてきた。

 口から雪の結晶を吐きながら、半魚人の気配は捜している。


「いや……それがよくわからんのじゃ。何やら雄叫びのような声が響いたと思ったら奴の……半魚人が何者かに弾き飛ばされて……消えてしもうたんじゃ」


「何者か? 弾き飛ばされた? あいつが……“者”って?」


「いや……じゃから……何じゃろな~」言葉を濁らすガッパ爺。


(何者って……それって誰かの仕業って分かってんじゃない? 声のトーンが嘘をついている時とよく似ているわ)


 勘が鋭いのも、雪女の妖力の一つである。

 泰平の怪しい行動が、いつも雪ん娘に全部筒抜けなのもこのせいである。


「それより、あいつ……あの黒いの……半魚人だったの? 何でこんなところに半魚人が隠れていたのかしら?」


 体に力が入らなかった雪ん娘だが、ガッパ爺から少し妖力を分けて貰ったのか、おぼつかない足取りで立ち上がった。


「あっ! 吹雪が消えている……ワニ達は?」


 雪は止み、満天を覆い尽くしていた雲はすっかり消えていた。

 満月の月光が水面を照らし、その反射も加わって辺りは一層明るくなっていた。


「大丈夫じゃ……さっきの雄叫びを聞いたら、ワニ達はおびえて動かんじゃろ」


「なんで……そんな事が分かるのよ?」


「と、年寄りの勘と言うやつじゃ……気にするな」


 事実、ワニ達は岸辺に寄り添うように集まって微動だにしない。

 哺乳動物だったら皮膚が小刻みに震えているのが分かるはずである。


「なんだろうなぁ~! ガッパ爺……本当は、なんか知っているんじゃないの?」


 雪ん娘は、体を折り曲げると、疑いの眼でガッパ爺に詰め寄った。


「そ……それは、そうと……泰平はどうしたんじゃ? 岩の上には見当たらんが……」


 ガッパ爺は、雪ん娘の気持ちを逸らせる作戦にでた。


「ほんとだ! あいつ何処に行ったの? 見張りもしないで」


 岩山に泰平がいないことに気づいた雪ん娘は、まだ力の入らない体でその辺を探して歩いた。

 岩山をグルリと迂回した裏側に、人ひとり隠れるくらいのくぼみを見つけた。


「あっ! 泰平……あんた、そんな所で何しているのよ?」


 くぼみの中で、手足を大の字に広げて横たわる泰平がいた。


「…………」返事がない。


 あわてて傍に駈け寄ると、泰平の顔に耳を近づけた。

 鼻から軽い寝息が漏れている。

 ちょっと安心した雪ん娘は、ホット胸をなでおろした。


「……泰平! あんた……落ちたんじゃないでしょうね? 怪我はないの?」


(この優しさを普段から出せたら、可愛い娘なのじゃがのぉ……)

 ガッパ爺は心で思った。当然口には出せない。


「こら~バカ泰平! なに私に心配をかけさせているのよ……起きなさいよ~」


 身体を調べても怪我などの肉体的な問題は無さそうだった。

 雪ん娘が、泰平の両肩を抱きかかえて大きく揺さぶっても、反応がない。

 ――なぜか目を開けない。

 雪ん娘は、不安そうにガッパ爺の袖をつかんで引っ張った。

 そんな、雪ん娘にガッパ爺は優しく言った。


「……ちょっと泰平の顔に触ってみてくれんか?」


 雪ん娘は、そっと泰平の頬に右手を添えた。


「熱い~! もの凄い熱……なにこれ? なにかの病気なの? 大丈夫……死んだりしない?」


 雪ん娘が、半妖から恋する少女の顔になっている。

 泰平が、これを見たらさぞ喜ぶだろうが、昏睡している彼には残念でしかない。

 まぁ、恋とはすれ違いのみぞを、二人で段々と埋めながら“愛”に育てるものである。

 簡単に溝が埋まったのでは、うまく育たないものである。


「大丈夫じゃ! 病気では無いからの……寝てるだけじゃ」


「ほんと? 嘘つかないでよ……」


「ワシは“知恵の神”とあがめられてるガッパ爺様じゃぞ! 嘘はつかん」


「ほんとね♪ 信じるわよ~」


 笑顔が戻ってきた雪ん娘を見て、ガッパ爺も気持ちが少しなごんだ。


「しかし……そうか……熱っぽいかぁ。まさに、伝説通りじゃな……」


 雪ん娘に聞こえないようにつぶやいた。


「なによ~! やっぱり何か知っているんじゃない。泰平が起きない事、半魚人が消えた事……チャント教えなさいよ~」


 雪女は、勘が鋭い事を忘れていた“知恵の神”だった。

 ガッパ爺が何か知ってそうであり、加えて泰平が病気でない事も分かり、元気を取り戻した雪ん娘である。


「分かった、分かった! 落ち着いたら話してやるから。しかし……こうも早く、この日が来るとはの~」


「また、訳の分からない事を……」


「よし……その事は、泰平が目を覚ましてからじゃ。今は河童くんの事が心配じゃ……岸辺に戻るぞ」


「なんか、腑に落ちないけど……」


 確かに今は作戦の進行が気にかかる状況である。

 二人は泰平をそっと草むらに寝かせると、急いで岸辺に戻った。

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