第18話 清々の水ガメ

 河童の五郎の悔しさが痛いほど分かった。

 泰平の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。感受性が豊かな年頃である。


「でも、五郎さん……河童の力があったらワニなんかに負けないんじゃ?」


 しなだれて肩が震えている五郎の甲羅に手を添えて、泰平が言った。


「それが不思議なことに……半年ほど前から、どんなに気を張っても力が出なくなってしまったゲロ」


 水かきのついた両手をグッと握り込む河童の五郎の肩は、まだ震えている。


「力が出ないじゃと? 河童の妖力が使えなくなってしまったのか?」


 いち早く反応したのはガッパ爺だった。


「そうゲロ! 最初のうちは僕も元気で、ブラックバスから池の仲間たちを守ってやれていたんでゲロ」


 両手を握りしめていた五郎は、ゆっくりと肩の力を抜きながら深いため息をついた。


「でも……ワニやピラニアなど、強い生き物が増えるにつれて、何故か力が出なくなっていったゲロ」


 無言でガッパ爺がうなずくと、それを着ている泰平も一緒にうなずかされた。


「問題はその頃じゃな……その後、フナや鯉たちはどうなってしまったのじゃ?」


 ガッパ爺はその後の状況に興味があるようだ。


「寒い冬でゲロ。本来なら深みで寒さを避ける時期なんゲロが……その時はもう浅瀬まで追いこまれていたゲロ。魚達は寒さで次々と凍死していったゲロ……」


 水かきを広げた両手を顔に押し付けて泣く河童の五郎。

 不甲斐ふがいな自分を責めているようだ。


「……寒さに弱いのなら、熱帯の生き物であるワニ達の方が先に弱ってしまうんじゃないんですか?」


「そう……僕もそう考えて冬まで頑張ったゲロ」


 泰平の質問に、溢れる涙を水かきで拭いながら五郎は答えた。


「冬になればワニ達は弱ると思って必死で耐えていたゲロ……でも、なぜか池の底の方からどんどんと温かい水があふれ出してきたゲロ」


「まさか? そんなことが……ガッパ爺?」


 泰平は、ガッパ爺に答えを求めた。


 しかし、ガッパ爺は黙って何かを考え込んでいる。

 この状態は期待できる――。

 泰平は、それ以上の詮索は止めて五郎に向き直った。


「確かに不思議ゲロ……でも、悔しいゲロ……」


「……悔しい?」 


「もう少し早く池全体の水温が上がっていれば……多くの仲間が、浅瀬でも生き延びられたのに……」


「それで……おたのし池の魚たちは絶滅したんですか?」


「…………」


「絶滅はしておらんのじゃろ? なぁ……河童くん」


 ガッパ爺が、うつむいて涙を堪えている五郎に言った。

 泰平はその言葉の真意がつかめず、二人の顔を見比べた。


「ゲロ……何とか……助けられたのは……」


 河童の五郎は、背中の甲羅の隙間から小さな緑色の水ガメを取り出すと、フタを開けて、中のぞき込むように差し出した。


 怪訝そうに受け取った泰平は、恐る恐る中を覗き込んだ。

 今日は、覗き込むとロクな事が無いのに――と、考えていた。


「うわッ! 中で魚が泳いでいる。フナや鯉……ゲンゴロウもミズスマシもいる~!」


 中をのぞき込んだ泰平は驚いた。

 そこには小さな池があり、その中をフナや鯉たちが悠々と泳いでいた。


「それは『清々せいせいの水ガメ』じゃ! 川の生物を天変地異から護るための避難場所。水の精霊である河童族だけが持つことを許されている……神様の道具『神具』なのじゃ」


「神話で有名なノアの方舟も『清々の水ガメ』の事ゲロ。僕の水ガメがもっと大きかったら、もっと多くの仲間達を助けてあげられたゲロ」


「え! ノアって……河童だったの?」


 五郎は無言で泰平から水瓶を受け取ると、背中の甲羅の隙間に大事そうにしまった。

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