第8話 おたのし池

「輪入道さん~! 雲には入らないでください~!」


 振り落とされないように、荷台に取り付けてある縄紐なわひもで体をぐるぐる巻きに固定したうえ、床の取手にしがみつきながら泰平は叫んだ。


「あの雨雲を避けるとだいぶ遠回りになるドン!」


「実は……ガッパ爺に黙って来てしまって!」


「ガッパ爺を連れてこなかった? リュックに入っていないドンか?」


「すいません……急だったもんで」


「爺さん抜きで、よく空飛ぶワシに仕事を頼んだドンなぁ~」


 ガッパ爺とは、これまた、付喪神つくもがみりついている古い雨合羽あまがっぱの妖怪である。

 着こむと妙に温かくて、どんな豪雨にあっても全然濡れない。

 そればかりか、少々の妖力なら軽く跳ね返してくれる優れた雨合羽の妖怪なのである。

 しかし、なによりもありがたいのは、この雨合羽の妖怪、実は知恵の神様でもある事だ。

 この世界を何も知らなかった泰平に、いろいろとアドバイスをしてくれた上に助けてもくれる、雨合羽――兼、先生なのだ。


「寒いのは我慢できます! けど雨に濡れて風邪でもひいたら爺ちゃんに叱られるんです。来週までは夏季補習もあるし……」


「あの神主の爺さんかぁ~。確かに怒らせると面倒だなぁ……いっそ風邪で死んで妖怪にでもなるドンか」


「冗談はやめてください! 僕は人間がいいですから」


 口は悪いが根は優しい輪入道である。

 泰平が濡れないようにと、雨を避け地上ギリギリをゆっくり飛んでくれた。


 うすら山を越え、寒々谷さむざむたにを抜けて、ザワザワ草原の先の「おたのし森」に着いたのは、昼をちょっと過ぎた頃である。


「さすが速いですね~! こんなに早く着くとは」


「輪入道仲間だけが知っている秘密のルートを通っただけドン」


「そんな近道が……いつ通ったんです?」


「人間ごときにワシらの妖力で造ったルートに気づくはずないドン」


 自慢げに答える輪入道である。

 えてして妖怪たちは自分の妖力、特技を自慢したがる傾向にあるのだ。


「はい、はい! 参りました」


 泰平は素直に感心して見せた。

 しか彼にはそのルートが見えていた。

 ただ、そのことは黙っていた。

 物心ついたころから、なぜか妖怪が使う妖力の波動と言うか、パワーの流れが見えるのである。

 そのことをガッパ爺に相談すると「絶対に妖怪達に悟られてはならん!」と厳命されたので黙ってはいるが――。


「おたのし池が見えました~!」


 泰平の指さす先に、名前とは裏腹に不気味な雰囲気をかもし出している池が見えてきた。


「……どこもかしこも伸び放題の雑草だらけじゃないか。前に来た時とだいぶ様子が違うドン」


「森の憩いの場所だから綺麗に管理されていると聞いていたんですけど」


「キレイ好きな河童が管理している池とは思えないドン」


 荒れ果てたその光景はとても憩いの場所には見えなかった。


「あの丘に止めてください。草もそんなに伸びてなさそうですから」


 尖った葉先が鼻の穴に入りモゾモゾするのを嫌がる輪入道を気遣って、少し先にある綺麗な丘に降りることを提案した。


「ここで待っていてください。僕は河童さんに会ってきますから」


 商売七つ道具が入っているリュックを背負うと輪入道から飛び降りた。


「泰平……わかっているドンな」


「嫁入道さんに早く会いたいんでしょ。直ぐに終わらせますから」


「違うドン! なんかイヤな気を感じるドン」


「イヤな気……やっぱり輪入道さんも感じますか?」


「ガッパ爺がいない事を忘れるな……気をつけて行くドン」


「そうですね……」


 あの荒れ方は普通ではない。

 泰平は不安を打ち消すよう頭を二度三度振ると、池に向かって歩きだした。

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