第5話 あやかし引越しセンター

 そう、今でも忘れられない一年前のあの出来事。

 泰平が中学に入学した年の夏休み。

 あの時を境に、彼の吞気な生活は、またたく間に音を立てて崩れ去ってしまったのだ。


 その始まりはささやかな欲望からだった。

 泰平は小遣い欲しさに、こっそりアルバイトを始めようと考えた。

 爺ちゃんに相談すると「神主の修行を怠るんじゃない! ばかもん~!」と叱られるのは分かりきっていた。

 だから悩んだ。

 そして悩んだ挙句、近くて帰りが遅くならない距離。

 隠れ家のようにひっそり目立たない場所。

 そして、やっぱり楽な仕事。さらに時給が良い。

 そんなアルバイトを探したのである。

 しかし、そんな条件が揃ったアルバイトなんてそうそうあるものじゃない。

 ましてや中学生が探せる範囲は、高々知れていた。


 探し疲れた泰平が最後に辿りついたのは「あやかし公園」の隣にひっそりたたずみ、屋根の大部分を大きな柳の木におおわれた隠れ家のような会社だった。

 看板を出していないから何屋なのかも分からない。

 しかし、とにかく会社である事には間違いなさそうだった。

 何故なら、その会社の古ぼけた入り口のドアには、殴り書きの「求人広告チラシ」が、目立たないように貼っていたからである


【体力と度胸に自信のある人。急募! 詳細は面接にて 所長】


 時給は最低ライン。働いている人の姿をほとんど見かけないからどんな仕事をしているのかもさっぱり分からない。

 妥協できるのは神社からの距離と、古ぼけて目立たなそうな外観だけだった。

 それと、もう一つ。


「人を見かけないって事は、爺ちゃんの知り合いはいないだろう……」

 実は、その事が一番大きな要因となって泰平の背中を押した。


「こんにちは~!」


 泰平は、入り口のドアを少し開けると、中を覗き込んだ。薄暗い事務所はガランとして誰もいない。


「誰かいませんか? 面接に来ました~!」


 事務所の奥に向かってやや大きめの声で叫んだが、その声は空しく響き渡るだけで、やはり誰も出てこない。


「…………君は? 君か? ……」


 いきなり耳元で低い声がささやいた。


「え! 誰? 何……?」

 

 周りには誰もいない。狼狽する泰平――。


 そこから先、泰平の記憶は霧をつかむように、あやふやになった。

 かろうじて覚えているのは、声がした瞬間、部屋の奥から大きな黒い影が泰平めがけて覆いかぶさって来た。

 それは、いくらもがいても高笑いして離れない――悪夢のような記憶。

 それくらいだった。

 それくらいと片付けてよい記憶とは思えないが。


 どれくらいたったのか?


 目が覚めた時、泰平の手には「採用通知」が握りしめられていた。

 どうやら、この会社に雇われてしまった――という事のようだ。


 その時から彼は「後悔先に立たず」のことわざどおり、下車も後戻りもお断り。波乱万丈! ジェットコースターのような人生を歩み始めるのだった。


 そう――泰平が取りこまれた会社。


 それこそが「知る妖怪ぞ知る」不思議で奇妙で、とってもスリラーな所。

 人間世界にはあまり知られていないが、こっちの世界ではとっても重宝!

 困ったときの神――いや、妖怪頼り。


「依頼があればどこまでも、妖怪さんの願いを叶えます。住みにくくなった棲家よ、さようなら。あなたに素敵な棲家を提供します」が会社の社訓。


 ここは、魔物、あやかし、妖怪エトセトラ!

 依頼があれば、何処でも何でも迅速丁寧、低価格!

 信頼一番! 恐怖は二番! 


 そう!【あやかし引越しセンター】だったのだ。


 泰平は、とんでもない会社で働くことになったようだ。


 しかし、本人は気づいていないようだが、泰平には「妖怪を惹きつける体質」があるようだ。

 しかし今はまだその事には触れないでおこう。

 とにかく、数奇な運命という歯車が、彼の人生をあざ笑うように回り始めた夏だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る