第2話

 樹海に向かうことを決め、家まで車を取りに向かうことにした。街灯があまりない夜道を ノロノロと歩く。寒さは先程より格段に増したような気がする。時間が時間なので、人など当然いるはずがない。いや、確かに人は、いなかった。人は。だが、十数メートル離れた先 に、『何か』がいた。街灯の当たらない闇夜の中に『何か』が。あれはなんだ。分からない。いや、分かりたくないのだ。それは妖怪なんてちゃちな存在ではなく、もっと禍々しく、底 の見えない闇のような何か。身体に寒気が走る。背筋が凍り付く。気持ちの悪い汗が全身に 流れる。頭が理解を拒んでいる。目が直視するのことを拒んでいる。五感が、全身が、あ れを拒否している。逃げないと。頭では理解しているのに、身体はまったく動いてはくれな い。体験したことのない恐怖が全身を覆う。

 闇夜の中の『何か』が、鈍重に、のろりと、こちらに向けて奇妙に蠢く。暗闇の中から、 街灯に照らされた『何か』の全身が露わになる。その姿はあまりにも悍ましく、おどろおど ろしいモンスターだった。例えるなら、形状は蜘蛛に近い。全身がドス黑く、細⻑く伸びた 四つ脚に、ゴムボールのように丸くてブヨブヨとした身体、その身体に夥しく付いた数え切れない無数のギョロリと蠢く目玉と、三日月型に裂け開いた口。これを蜘蛛に近しいと言うのは、蜘蛛があまりにも可哀想だった。今ならタランチュラにも熱いキスが出来るほど蜘蛛 が愛おしく思えた。俺は立っているのが精一杯で、もういまにも失禁しそうだった。むしろ、 垂れ流さなかったことを褒めてほしいくらいだ。俺が恐怖で立ち尽くしていると、化け物の 無数の目玉がこちらを捉え、三日月型に裂けた口が開いた。


「あの、コンビニどこっすか。」


 しゃべった。日本語を。化け物が。そして何故コンビニ。

 頭がおかしくなりそうだった。いや、もうすでにおかしくなっているのかもしれない。実 は俺は既に死んでいて、今見ている光景も、聞いている音も声も、全て幻想なのかもしれな い。きっとそうだ。そうでなくては困る。そうであってください。


「おい、きこえてんすか。」


 そんなことはなかった。バッチリと鼓膜に響いてきた。紛れも無い現実だった。化け物が 再びバカでかい口を開き、話しかけてくる。そして、さっきは混乱していて気づかなかった が、化け物の声はメチャクチャ可愛いソプラノボイスだった。声優さんみたいな可愛い声だ った。俺はもう全てがアホらしくなった。感じていた恐怖も震えも消え去り、死にたいという気持ちも何処かへ飛んでいってしまった。もうどうにでもなれ。


「コンビニなら、このまま道なりに進めばありますよ。」

「あざっす。」


 化け物と普通に会話してしまった。でもこいつ、見た目以外は特に害はないし、ちゃんと お礼も言えるし、声は可愛いし、存外、いいやつなのでは?最近は、お礼の一つもまともに言えない大人も増えてるからな。と俺は、化け物に謎の愛着を覚え、その化け物にソプラノちゃんというあだ名まで命名した。そのソプラノちゃんが、そのままノッシノッシとコンビニのある方へ向かって行こうとした時だった。

「そこのあなた、離れて!」


 空から突然、月明かりに照らされた謎の女が舞い降りてきて、ソプラノちゃんの腕を一本 切り裂いた。親方、空から女の子が!なんてリアクションをとる余裕は俺にはなく、ただた だ目の前の急展開に混乱するばかりだった。

 腕を切られたソプラノちゃんはものすごい雄叫びを上げ、狂戦士の如く暴れだした。


「ぶぅるああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 セルみたい咆哮だった。誰だ、ソプラノちゃんなんてふざけたあだ名をつけたのは。完全 に野獣の咆哮だろ。

 ソプラノちゃん改め、化け物ちゃんは、細⻑く伸びた鋭い槍のような漆黑の腕を狂喜乱舞 の如く振り回し暴れ狂う。というか、腕が 8 本に増えていた。その腕の威力は凄まじく、近 くにあった電柱の一部や、コンクリの壁を抉り取る。いや、威力もさることながら、何より すごいのはその速度だ。8 本に増えた腕は、互いに絡まることなく、超高速で乱れ狂う。俺 の目ではまるで捉えることが出来ない、完全にヤムチャ視点だった。呆然とその様子を眺め ていると、その一本がものすごい速さでこちらに向かって来る。速すぎる。無理だ。躱せな い。オイオイオイ、死んだわ俺。

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