第32話『車輪の唄』

 沙奈会長に優しく起こされたとき、僕らの車は半合坂サービスエリアへと入ろうとしていた。

 あと、眠る前にキスしたからか、沙奈会長はとてもデレデレとしている。もしかしたら、一昨日や昨日の夜にイチャイチャしたとき以上かもしれない。沙奈会長曰く、寝ている間に何度も顔にキスをしたようだ。また、会長を抱き寄せながら眠る姿はしっかりと撮影されてしまったそうで。こればかりは仕方ないか。

 半合坂サービスエリアに到着し、僕らは旅行最後の食事をしてスイーツも食べた。旅がもうすぐ終わるとはいえ、美味しいものを食べているときはみんな嬉しそうな笑みを浮かべていて。僕も彼女達のような笑みを旅行中に見せていたらいいな。

 もう旅が終わるからなのか、お菓子や飲み物を買って僕らは車へと戻った。もちろん、僕は珍しいコーヒーを買って。

 車の席順はさっきと同じで、沙奈会長とできるだけ寄り添い合って座った。彼女の確かな温もりはとても愛おしい。


「じゃあ、これから……みんなの家に送っていくね」


 午後2時半。

 姉さんがそう言って、僕らは半合坂サービスエリアを出発した。

 途中、八神市にある副会長さんの家、月野市にある沙奈会長達の家に寄り、最終的には僕、琴葉、姉さんの3人で自宅に帰ることになる。


「本当に旅行が終わるって感じだね、玲人君」

「そうですね。色々なことがありましたね」

「……うん。玲人君とずっと一緒にいて幸せな時間を味わうことができたのに、あと少しで終わっちゃうなんて。嫌だなぁ……」

「寂しい気持ちはありますね。僕も幸せな時間を過ごしました。ただ、明日からも学校で会えますし、2人でどこかへ遊びに行きましょう。お互いの家に行き来したりもして」


 幸いなことに沙奈会長の家には徒歩で行けるし、会いたいときにはすぐに会える。それは幸せなことなんだろうな。


「玲人君の言うとおりだね。それで、いずれは玲人君と一緒に暮らしたいな。結婚して、子供ができて……いつかは同じ家に帰るときが来るんだろうなぁ」


 ふふっ、と沙奈会長は楽しそうに笑っている。さすがは子宝御守や安産御守を買っただけあって、僕達が家族になったときのことまでしっかり想像できているようだ。

 そういえば、氷室さんも恋人の女性と2年近く同棲して、今もとても仲がいいらしい。もし、機会があれば氷室さんに同棲ってどんな感じなのか訊いてみようかな。


「さすがはお姉ちゃん。凄い妄想……想像力だね」

「玲人君のことなら何でも想像できるよ。例えば、玲人君が女の子になったらきっと綺麗なんだろうな、とか」


 例えがマニアックすぎないだろうか。ただ、女の子の服を着させられた小さい頃の僕の写真を見たら、実際に想像しているかもしれない。


「沙奈さんの言うように、レイ君は綺麗な女の子かもしれないですね。今だって、上手にお化粧をすれば、綺麗な女の子の顔になれるかもしれません。レイ君、かっこいいですし色気も凄いですから」

「それ言えてる、琴葉ちゃん」


 こういうことで意気投合しないでほしい。良かったよ、帰りの車の中で。これが旅行初日だったら、ホテルで化粧を施されてしまったかもしれない。


「じゃあ、今後の同人イベントに逢坂君も連れて行こっか。コスプレOKなイベントもあるからさ。受験勉強の気分転換に行こうかなって思っているから。女の子のキャラクターにコスプレする男性もいるよ。関東では東京都心とその周辺でやることが多いから、琴葉ちゃんもきっと行きやすいんじゃないかな」

「それいいですね、樹里先輩!」

「あたし、そのようなイベントに参加した経験が全然ないので行ってみたいです!」

「玲人さんのコスプレ姿……一度は見てみたいですね」


 僕の意見も聞かずに、女性のコスプレをすることが決まってしまった。何とも言えない気分ではあるけれど、みんなが楽しそうに今後のことを話していること自体は嬉しい。


「昔のことを思い出すなぁ。友達と一緒に、玲人に女の子の服を着させたっけ。玲人は顔立ちもいいし、コスプレの才能もありそうだけど、玲人の嫌がることは止めた方がいいと思うよ。嫌そうにしていたらコスプレも台無しだから」

「姉さん……」


 あの姉さんがそういうことを言ってくれるようになるなんて。もしかしたら、この旅行を通して一番感動しているかもしれない。


「玲人にコスプレさせたいなら、少しずつでいいからその気にさせた方がいいと思うよ。あたしも、似合う似合うって連呼したら玲人も段々と楽しそうに着てくれたし」

「楽しそうに着た覚えはない!」


 確かに、似合うって言われて悪い気はしなかったけど、自分から喜んで女の子の服を着たことはなかったよ。


「玲人君、きっと女の子の服も似合うと思うよ」

「沙奈ちゃんの言う通り。逢坂君はとてもポテンシャルの高い男の子だと思うんだ」

「小さい頃のレイ君はかわいい系だけれど、今は綺麗だもんね。似合いそう」

「露出の少ない服であれば、本物の女性のように見えると思いますよ! 玲人さん!」


『似合う似合う!』


 みんな、僕のことを洗脳しようとしているな。笑顔で似合うと言われたって僕は絶対に女性もののコスプレはしないぞ。

 2年前の事件が解決して、ようやく平和な生活を送ることができると思ったけど、今後もある意味で気を付けなければならない生活が続きそうだ。そんなことを思いながら、サービスエリアで買ったブラックコーヒーを飲む。


「玲人に説得している最中で申し訳ないけど、八神市に入ったよ。樹里ちゃんのお家までもうすぐだよ」

「そういえば、段々と見慣れた景色になってきました。家まで送っていただいてありがとうございます。まだ途中ですけど、運転お疲れ様でした、麻実さん」

「いえいえ。みんなを乗せて運転できて楽しかったよ」


 今回の旅行……姉さんの運転する車だからこそ楽しめた部分もあったな。近いうちに何かお礼をしようかな。

 それから程なくして、僕らの乗る車は副会長さんの家に到着した。僕と沙奈会長で副会長さんの荷物とお土産を家まで運ぶ。


「3日間楽しかったです! また一緒にどこかお出かけしようね。その前に私が撮影した動画も観たいかも。じゃあまたね。沙奈ちゃんと逢坂君はまた明日ね」


 僕らは副会長さんの家を後にする。6人で乗っているのが当たり前だったので、1人別れただけで随分と寂しい印象に。


「結構、車の中が広くなった感じがするね」

「ええ。助手席が空いただけですけど」


 ただ、副会長さんとはまた明日会えるので安心感もあって。日常に戻ってきているんだな、僕らは。


「次はあたし達が降りる番だね、お姉ちゃん」

「そうだね、真奈。ううっ、みんなと別れるのが寂しいな。特に玲人君とは」

「寂しい気持ちは僕も同じですけど……また明日、学校で会えますから。ね?」

「それはそうだけれど」


 沙奈会長、涙を浮かべて悲しそうな表情を浮かべている。それだけこの旅行が楽しかったということだろう。


「そうだ。お家に着くまでの間、沙奈会長がしてほしいことをしますよ。もちろん、僕ができる範囲でですけど」 

「じゃあ……」


 そう言うと、沙奈会長はゆっくりと僕の肩に頭を乗せてきた。


「着くまでずっとこうしていてもいいかな」

「……いいですよ」


 それで沙奈会長が少しでも元気になれるなら。あと、彼女のことだから家に着くまでずっとキスしていたいっておねだりすると思っていた。

 沙奈会長の温もりと匂いを感じながら、車窓からの景色を眺める。旅先の河乃湖町とは違って自然は少ないけれど、建物の数はとても多い。僕らが住んでいる地域に近づいているんだなと思わせてくれる。

 時々、沙奈会長のことを見ると彼女と目が合う。そのときに沙奈会長が柔らかな笑みを浮かべるのがとても可愛らしくて。

 明日からも学校で会えるとはいえ、もうすぐ別れるのが心苦しくなってきた。そう思えるほどに沙奈会長のことが大好きなんだな、僕。椅子に縛り付けられたあの日の自分にそんな想いを伝えても絶対に信じないだろう。


「沙奈会長。キスしてもいいですか?」

「……いいよ。むしろ、私……この体勢になってから、ずっと玲人君にキスしたいって思ってた。お昼前の玲人君みたいに不意打ちがしたかったけど、勇気が出なくて」

「そ、そうでしたか」

「ただ、言葉だけれどまた不意打ちされちゃった。本当に……キュンとさせてくれるね、玲人君は。……して」


 そう言って、沙奈会長がゆっくりと目を瞑ったので僕はそっとキスする。

 すると、不安な気持ちがなくなっていく。それまで、寂しい気持ちを抱いていたからかいつも以上に愛おしい気分になって。沙奈会長も同じように思っていてくれたら嬉しい。

 ゆっくりと唇を離すと、沙奈会長は頬をほんのりと赤くしてにっこりと笑った。本当に可愛らしい。


「ありがとね、玲人君」


 そう呟き、沙奈会長は軽く唇を触れさせた。


「もう、見慣れた景色になってきた。不思議だね。寂しい気持ちもあるけど、安心感もあるんだ」

「何となくその気持ち……分かる気がします。大げさですけど、地元に帰ってくると家に帰ってきたような感覚になるというか」

「分かる気がする。特に旅先から帰ってくるとそんな感じになる。それで、また明日も学校で玲人君や樹里先輩と会えるんだなって思える」


 心なしか、普段の元気な会長に戻ってきている気がする。

 それから20分ほどして、沙奈会長と真奈ちゃんの家の前に到着した。


「家まで送っていただいてありがとうございました! とても楽しかったです! 琴葉さんや樹里さんともまた遊びたいですね」


「本当に楽しい旅行になりました! また一緒に旅行に行きたいです。お姉様、運転お疲れ様でした。琴葉ちゃん、体調に気を付けてね。いつでも相談してきていいから。玲人君、明日からも一緒に生徒会の仕事を頑張ろうね」


 2人とも楽しそうにしていたな。最後まで笑顔で良かったよ。

 沙奈会長と真奈ちゃんの荷物とお土産を玄関まで運んだとき、出迎えてくれた哲也さんと智子さんにご挨拶をした。お二人の話によると、ひさしぶりに夫婦水入らずの時間を楽しむことができたらしく、特に智子さんは満足したご様子だった。


「じゃあ、また明日ね、玲人君」

「はい」


 沙奈会長と別れのキスをして、僕は車へと戻っていった。この車の中もついに琴葉と姉さんと僕だけになっちゃったか。


「じゃあ、あたし達の家に帰りますか」


 随分と広くなったと思えた車は自宅に向かって出発する。

 振り返ると沙奈会長と真奈ちゃんが手を振っていたので、それを琴葉に伝えて彼女達が見えなくなるまでずっと手を振った。さっきまで沙奈会長が座っていたシートに座り、彼女の微かな温もりを感じながら。

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