第24話『透明淑女』

 午後5時過ぎ。

 観覧車を降りた後に売店でお土産を買って、僕達は姉さんの運転する車で富士河乃湖ホテルへと戻る。

 車の中では副会長さんが撮影した動画や僕達が撮った写真を見たりしながら、さっそく思い出話に花を咲かせていた。

 ただ、予想通り……その中で観覧車の話題となり、僕と沙奈会長がどんなことをしていたのかも訊かれて。みんなも隣のゴンドラから見ていたから嘘はつけない。沙奈会長といい景色を見て、キスをして幸せな時間を過ごせたと伝えておいた。

 一晩しか泊まっていないのに、ホテルに戻ってくると安心感があって。今夜もお世話になります。

 琴葉達と別れて、沙奈会長と2人で801号室に戻ると清掃員の方が掃除をしたのかとても綺麗になっていた。


「昨日、ここに来たときみたいな感じになっているね」

「きっと、僕達が外出している間に清掃員の方が掃除してくださったのでしょう」

「……ゴミ箱も空っぽ。ふふっ、ゴミを見たときにどんなことを思ったのかなぁ」

「昨日は盛り上がったんだろうなとか、そんなところでしょう」


 正直、そんなことを考えたくないのが本音である。清掃員の方について思うことは綺麗にしていただいたことの感謝のみ。


「ええと、今は5時半ちょっと前ですか。今日はずっと河乃湖ハイランドで遊びまくりましたし、まずは温泉に入ってさっぱりしたいです」

「そうだね。夕食はいく行くかまだ決めていないけど、昨日と同じ7時くらいに食べに行く形にしようか」

「そうですね。部屋の温泉にしますか? それとも、まだ行っていない大浴場の方にしますか? もちろん、大浴場だと男女別々になってしまいますが……」


 貸切温泉と部屋の温泉で沙奈会長と一緒に入っていたけど、さすがに大浴場は男女別々となる。


「玲人君と別々なのは寂しいけど、まだ行っていないからね。大浴場でいいかも」


 ――プルルッ。

 うん? スマートフォンが鳴っているな。

 確認してみると、SNSで琴葉から旅行メンバーのグループトークへとメッセージが送られていた。


『レイ君と沙奈さんのお部屋にある温泉に入ってみたいんですけど、いいですか?』


 それが琴葉からのメッセージだった。琴葉達のいる808号室には浴室はあっても天然温泉はないからな。一度は入ってみたくなるか。


「僕はかまいませんけど、沙奈会長は?」

「もちろんいいよ。じゃあ、私からその旨のメッセージを送るね」


 沙奈会長が入ってもいいと返信を刷ると、すぐに琴葉から4人全員でこの部屋に来るというメッセージが届いた。琴葉だけじゃなくて姉さんも、副会長さんも、真奈ちゃんも入りたいんだな。


「みんながここに来るなら、私は大浴場じゃなくて部屋の温泉に入ろうかな」

「そうですか。みんなで入れるかもって言っていましたもんね。じゃあ、僕1人で行ってきます。大浴場がどんな感じなのか気になっているので」

「うん、分かった。ゆっくり入ってきてね。ホテルの探検とかをするのもいいかもよ?」

「確かに、まだホテルの中ってあまり見ていなかったですし、せっかくですからそうしますね」


 そうだ、忘れないうちに、温泉から出たら両親から頼まれた温泉饅頭を買おう。


「そうそう、それがいいよ。私やみんなと一緒にいるのもいいけど、1人でいる時間も大切だと思うんだ。もちろんその間に浮気をするのは禁止だけど」

「浮気なんてしませんよ。安心してください」


 言葉だけじゃない方がいいと思って、沙奈会長にそっとキスした。それが予想外だったのか、彼女は驚いた様子を見せたけど、すぐに嬉しそうな笑みを浮かべた。

 ――ピンポーン。

 初めて聞く音だけど……これはインターホンかな?


「私が出るね」


 沙奈会長が玄関の方に行ってくれるので、僕は大浴場へと行く準備でもしておくか。


「おじゃましまーす、レイ君」

「お姉ちゃんと玲人さんが泊まっているお部屋もいいですよね」


 すぐに琴葉と真奈ちゃんのそんな言葉が聞こえてきた。声を聞くだけで楽しげな様子だって分かるなぁ。


「よし、これでいいかな」

「レイ君、どこか行くの?」

「ああ。大浴場の方に行ってくるよ。どんな感じなのか気になって」

「そうなんだね。レイ君、昔からお風呂とか好きだもんね。いってらっしゃい。あたし達はここの温泉を堪能するね」

「うん、分かった。とても気持ちいいよ。あと、まだ明るいから富士山も綺麗に見えるよ」

「そうなんだ! より楽しみになったよ」


 琴葉、本当に楽しそうな笑みを浮かべているよ。体が触れていいのであれば、部屋の温泉でも女性5人で入れそうな気がする。


「じゃあ、僕は大浴場の方に行ってきますね」

「いってらっしゃい、玲人君。ゆっくり入ってきてね」


 手を振ってくれるみんなに見送られながら僕は801号室を出て、1階にある大浴場へと向かい始める。

 思えば、こうして1人で行動するのは旅行が始まってからは初めてかも。寂しさもあるけど、それよりも新鮮な気持ちが強くて。沙奈会長からは1人の時間も大切だと言われたので、お言葉に甘えてゆっくりと過ごすことにするか。

 大浴場の男湯の暖簾をくぐると、そこには数人ほどしかいなかった。下駄箱にあるスリッパを見ても10足くらいしかない。今くらいの時間に温泉に入る人は少ないのかな。ゆっくりできるから個人的にはいいけど。

 脱衣所で服を脱いで、タオル1枚を持って大浴場の中へと向かう。


「おおっ……」


 貸切温泉や部屋の温泉に慣れ始めていたので、大浴場の広さに思わず声が出てしまった。この広さのお風呂に入るのも旅の醍醐味の一つだよな。

 大浴場の中にも数人ほどしかいないので、これならゆっくりとできそうだ。

 洗い場で髪と体を洗って、僕は大きな湯船に浸かる。


「あぁ……気持ちいい」


 僕好みのちょうどいい湯加減だ。今日の疲れが取れていきそうで。脚を伸ばして誰にも当たらないし、本当にゆったりとできるな。ただ、何だか寂しいけど。

 ゆっくりと目を瞑ると、この2日間の思い出が次々と浮かんでくる。楽しいことがたくさんあったな。沙奈会長がより可愛いと思うようになったな。こんなことを考えると、もう旅行が終わってしまった感じがするけど、まだ残り1日ある。楽しい思い出を作っていければいいなと思う。


「露天風呂の方に行くか」


 外へと繋がる扉があるので、そこから外に出ると大きな露天風呂があった。さすがに大浴場の露天風呂だけあって、貸切温泉よりもかなり広い。ちなみに、露天風呂にはのんびりと浸かっているご老人1人だけ。

 さっそく露天風呂に浸かってみることにしよう。


「熱っ」


 これは結構熱いな。中の湯船に浸かって熱さに慣れている状態で良かった。でも、夕方になって涼しくなってきた風がとても心地よいな。


「あぁ、気持ちいい……」

「そうですね、逢坂さん。あたしの世界には温泉というのは全然ありませんから、日本の方が羨ましい限りです」

「そういえば、アリスさんは足湯も気に入っていましたもんね……って、アリスさん! どうしてこんなところにいるんですか!」


 気付けば、僕のすぐ横でアリスさんが肩まで温泉に浸かっていたのだ。もちろん、何も服は着ず、畳んだタオルを頭の上に乗せて。


「どうかしましたかねぇ、金髪の若人さん」


 大きな声を出してしまったせいか、離れて入浴していたご老人に話しかけられてしまった。


「いえ、その……ひさしぶりに温泉に入って、とても気持ち良かったので思わず声を出てしまいました」

「そうですかぁ。こちらまで気持ち良くなりますねぇ」


 そう言って、ご老人は軽く頭を下げるとまったりとした様子になる。湯気は出ているけれど、あの感じだとアリスさんには気付いていないのかな。


「大丈夫ですよ、あたしの姿は逢坂さんにしか見えないようにしていますから。あたしからは逢坂さん以外の姿は見えますけど、そこは目を瞑ればいいです」

「……なるほど。ちなみに、このことは沙奈会長や琴葉は知っているんですか?」

「もちろん知っていますよ。如月さんから、逢坂さんが浮気してしまわないか監視するように言われました。まあ、あたしも温泉に入ってみたいと思っていましたし」

「……なるほど」


 性別問わず浮気する可能性はゼロじゃないと考えたわけか。その監視をアリスさんにさせたのは彼女のことを信頼しているからなのかな。


「ちょ、ちょっと」

「すみません、琴葉達が興味を示していたので気になってしまって。逢坂さんの体つき……素敵ですね」


 そう言って、僕の腕や肩、胸元を触ってくる。触り方が優しいので厭らしくは思わないけど、これを沙奈会長が見たらどう思うのか。そもそも、浮気していないかどうか監視しているのに、こんなことをしてはまずいのではなかろうか。


「逢坂さん、お礼と言っては何ですが……あたしの体を触ってみますか?」

「……気持ちだけ受け取っておきます」


 アリスさんの体に触ったら、沙奈会長の癇に障ることになるだろうし。

 温泉に浸かっていない部分である肩から上しか見えない……見ないようにしているけど、見ただけでアリスさんの白い肌がスベスベなのは分かるよ。


「ふふっ、分かりました。それなら」


 すると、アリスさんは僕に寄り添ってきてそっと腕を触れさせてきた。


「これなら、あたしから触れたので逢坂さんが気にする必要はありませんよ」

「まあ、僕から触るよりは気にならないですね」

「……それで、どうですか? あたしの肌は……」

「……柔らかいですよ。ただ、沙奈会長には及びませんが」

「あの方はハイスペックですものね。……それにしても、この温泉は気持ちいいですね、逢坂さん。琴葉と猫ちゃん以外にも、この世界に訪れる楽しみが増えました」

「あははっ、そうですか。温泉や猫もいいですが、アリスさんにとってこの世界の楽しいことがたくさん見つかると嬉しいです」

「ええ。これからもたまに遊びに来ますね」


 琴葉もアリスさんのことを親友だと思っているし、彼女のためにも定期的に会ってくれると嬉しい。


「……やっぱり、誰かと一緒に温泉に入るのっていいですね。1人で入っていると、落ち着けていいんですけど、何だか寂しくて。だから、アリスさんとこうして一緒に入ることができて嬉しいです」

「そう言ってくれるとあたしも嬉しいです」


 アリスさんはそう言うとにっこりと笑った。美しくも可愛らしいその笑みを見ると、何だか気持ちが癒やされる。きっと、琴葉も異世界で彼女に会ったとき、彼女のこういった顔を幾度となく見てきて、支えられたのだろうなと思った。

 温泉に入った後は、浴衣姿のアリスさんと一緒に売店へ行ったり、ホテルの中を一緒に探検したりした。その中で楽しげなアリスさんをたくさん見ることができて。これまで色々とあったけど、アリスさんも可愛らしい普通の女の子なのだと思うのであった。

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