第55話『ごあいさつ』

 病院を後にしたときには正午過ぎになっていた。昨日と同じようにアリスさんの姿はなかった。

 そばやうどんが大好きな姉さんの要望で、お昼ご飯は四鷹駅近くにあるおそば屋さんで食べた。

 僕と付き合うことになったのが嬉しくてたまらないのか、沙奈会長が僕にそばを食べさせてきて恥ずかしかった。美味しかったからいいけど。副会長さんや姉さんとも違うものを頼んだので、結局はみんなで一口ずつ交換した。

 月野駅までの電車の中でも沙奈会長はベッタリ。まるで、自分達が付き合っていることを周りの人に見せつけているようだった。

 副会長さんの家の最寄り駅は八神駅なので、電車が月野駅に到着したところで彼女とは別れることに。


「月野に戻ったね。この駅にもようやく慣れてきた感じ。あたしは途中でコンビニに寄って家に帰ろうかなってつもりだけど、玲人と沙奈ちゃんはどうする? デート?」

「デートもいいですけど、今日……玲人君の家に泊まりたいと思っているんです。明日も休みですし、少しでも長く一緒にいたくて……」

「僕はもちろんかまいませんよ」


 沙奈会長とできるだけ長く一緒にいたい気持ちは僕も同じだし。


「分かった。じゃあ、お父さんとお母さんにはあたしの方から言っておくね」

「ありがとうございます。玲人君は一緒に私の家に来て。付き合うことになったと家族に報告したいし」

「分かりました」


 家族に報告したいということは、会長のお父さんとも会うんだよな。緊張するなぁ。水曜日にお邪魔したときに会ったお母さんと真奈ちゃんが好意的なのが幸いだけど。


「じゃあ、あたしとは一旦、ここでお別れだね」

「また後で、姉さん」


 僕は沙奈会長と一緒に彼女の家に向かって歩き始める。

 この道を通るのは、キスのミッションを達成させるために会長の家に行ったとき以来か。あのときは会長のことばかり考えて、周りの景色はあまり見ていなかった。なので、初めて歩くような感じがする。

 休日に会長の家に行くことは、彼女のご家族が家にいる可能性が高いのか。


「どうしたの、玲人君。お父さんと会うから緊張してる?」

「ええ。僕の勝手な想像ですけど、娘が彼氏を連れてきたら不機嫌になる確率が高そうじゃないですか」

「あははっ、大丈夫だって。玲人君に一目惚れしてから、家ではずっと玲人君の話をしているし、キスのミッションをするために家に来てくれてからは、お母さんと真奈からも玲人君のことを話すのが多くなったもん。玲人君と一度会ってみたいってお父さんが言っていたし」


 沙奈会長は笑顔でそう言ってくれるけど、あまりにも僕のことばかり言うから、どんな人間なのか一度見ておきたいだけなのでは。


「大丈夫だって。玲人君に嫌悪感を示していたら、この前のお休みに私が玲人君の家で泊まることを許さないって」


 そういえば、会長のお父さん、会ったこともない後輩の男子の家に泊まることをよく許してくれたよな。会長が上手に説得したのかな。


「なるほど。ちなみに、会長のお父さんってどんな感じの方なんですか?」

「物静かで優しいお父さんだよ。小さい頃はよくお母さんに叱られると、お父さんに抱きついて泣いてた。そういうとき、お父さんは私のことを優しく抱きしめてくれたな」

「なるほど」


 会長のお母さんもとても優しそうに見えるけれど。

 そういえば、昔は姉さんが両親に怒られると、僕を抱きしめながら号泣するので、僕はその度に姉さんのことを慰めていたっけ。


「玲人君と似ているところも多いから、お父さんもきっと玲人君のことを気に入ってくれると思うよ」

「そうですか。穏便に会長との交際をご家族に認めてもらいたいと思います」

「ふふっ、しっかりしてるね。何か、玲人君の方が年上な感じがするよ」


 沙奈会長は楽しげな様子で僕に腕を絡ませてくる。生徒会メンバーとしてはひよっこだから、せめても恋人としては沙奈会長のことを引っ張っていきたいのだ。

 それから、10分も経たないうちに沙奈会長の家に到着する。


「ただいま! 彼氏を連れてきたよ!」


 家の中に入るや否や、家族を呼ぶためなのか、沙奈会長は大きな声でそう言った。そのせいで、より一層緊張してくるんだけど。


「お姉ちゃんの彼氏って……あっ、逢坂さんだった。安心した」


 家族の中で最初に姿を現した真奈ちゃんは、僕のことを見るとほっとした様子で胸を撫で下ろしていた。


「沙奈、おかえり。逢坂さんも。彼氏を連れてきたっていう沙奈の声が聞こえたけど……ついに、逢坂さんと?」

「うん! 今日、玲人君に好きだって告白されて、恋人として付き合うことになったの」

「あらぁ、良かったわね! 逢坂さん、沙奈のことを末永くよろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします」


 末永くという一言が気になるけど……それだけ、僕のことを快く思っていると考えていいのかな。

 とりあえず、ここまでは想像通り。ただ、沙奈会長のお父さんが僕と会長が付き合うことをどう受け止めるか。

 沙奈会長のお母さんはリビングなのか部屋の中を覗いて、


「あなた。例の逢坂君が来たわよ。沙奈と付き合うことになったんだって」


 僕が言うべきことを先に言ってしまった。


「……そうか。どれどれ……」


 落ち着いた口調の男の人の声が聞こえた後、部屋からスラリとしたYシャツ姿の男性が姿を現した。優しそうな雰囲気の人だ。


「初めまして、沙奈の父親の如月哲也きさらぎてつやです。こちらが素敵な妻の智子ともこで、沙奈に似た可愛いこの子が次女の真奈です」


 妻と娘のことを溺愛していることが伺える家族紹介だ。そういえば、沙奈会長のお母さんの名前……今まで知らなかったな。智子さんっていうんだ。


「初めまして、逢坂玲人です。月野学園の1年で、沙奈さんの勧めで生徒会の庶務係をやっています。あと、今日からですが、沙奈さんとお付き合いさせてもらっております」


 自己紹介の流れで沙奈会長と交際を始めたことを伝えたけど、沙奈会長のお父さん……哲也さんは交際することを認めてくれるだろうか。


「逢坂君のことは、沙奈から話をよく聞いています。沙奈が溺愛しているようなので、逢坂君とは一度、会ってみたいと思っていました。あと、先週末は突然、逢坂君の家に泊まることになって。ご迷惑ではなかったですか?」

「いえいえ、そんなことはありません。沙奈さんのおかげで、先週はとても楽しい週末を送ることができました」


 突然、僕の部屋の前に姿を現したときは驚いたけれど。さすがに、睡眠薬入りコーヒーで眠らせてロープで縛り上げたり、家庭調査票で僕の家の住所を勝手に調べて家の前まで行ったりしたことは知らないようだ。


「改めて訊きますが、逢坂君は沙奈のことが好きですか?」

「もちろんです。それが分かったので、今日、沙奈さんに告白しました」

「そうでしたか。……真面目そうな青年だ。安心しました。ただ、これまでの沙奈の様子を考えると、逢坂君と離ればなれになったら、ひどく落ち込みそうな気がしていました。なので、逢坂君さえ良ければ、友人としてでもいいので沙奈と仲良くしてほしいとずっと思っていたんです」

「そうでしたか」

「ただ、交際することになりましたから、それは杞憂に終わりましたね。父親として嬉しく思います。どうか、沙奈のことをよろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします。沙奈さんと一緒に幸せになっていきたいと思います」


 僕は沙奈会長のご家族に向かって深く頭を下げた。

 まさか、ここまでスムーズに交際を認めてもらえるとは。ただ、さすがに父親だけあって沙奈会長の気持ちを察していたんだな。


「お父さん、お母さん。今日も玲人君のお家に泊まろうと思って。玲人君からは許可をもらってるよ」

「恋人になったんだもんね。素敵な時間にしなさい、沙奈」

「母さんの言う通りだな。でも、逢坂君と彼のご家族に粗相のないよう気を付けなさい」

「逢坂さんとの初夜を楽しんでね、お姉ちゃん!」


 真奈ちゃん、御両親の前で初夜という言葉を使うのはさすがにダメだと思うよ。


「うん。ありがとう。じゃあ、私……荷物をまとめるからリビングで待ってて」

「分かりました。お邪魔します」


 僕はリビングへと通され、テーブルを挟んで哲也さんと向かい合うようにして椅子に座る。


「逢坂さんは紅茶とコーヒーのどちらにします?」

「コーヒーでお願いします」

「分かりました」


 智子さんは笑顔でキッチンの方に向かった。


「逢坂君。沙奈と付き合う上で、父親としてアドバイスをしたいのですが」

「は、はい。どのようなことですか?」

「……如月家の女性は嫉妬深い。そして、勘違いや早とちりをしやすいということです。こういう言い方をするのは、私は結婚したときに如月家へ婿入りしたもので。智子は姉妹だけでして。ちなみに私の旧姓は水無月です」

「そうなんですね」


 嫉妬深くて、勘違いや早とちりをしやすい……か。思い返せば、沙奈会長もそんなところが多いような。


「智子と出会ったのは高校のときです。智子の一目惚れがきっかけで付き合うことになりまして」

「沙奈さんと自分と同じですね」

「そうですか。それで、付き合い始めてから最初の智子の誕生日が近づいたときでした。どういう誕生日プレゼントをあげればいいのか分からなくて。なので、3歳年上の従姉と一緒にプレゼントを選んでいたら、その現場を智子に目撃され、浮気と勘違いされてしまったんです。智子は本気で浮気だと思い込んでいて、一時は命の危険も感じましたね。勘違いだと分かってもらうまでが大変でした……」

「そんなことがあったんですね」


 その様子を容易に想像できてしまうので何とも言えない気分になる。浮気をしないのはもちろんだけど、そういった勘違いをされないようにも気を付けないと。


「あらあら、そんなに昔のことを逢坂さんに話して」


 気付けば、智子さんがリビングに戻ってきていて、僕と哲也さんの前にホットコーヒーを置く。哲也さん、顔が青ざめているぞ。


「ち、父親として、沙奈と付き合う上でのアドバイスをしていたんだよ。ほら、沙奈は智子に似ているところが結構あるから。さすがは親子と言うほどに」

「確かに、沙奈を見ていると若い頃の自分を思い出すときが何度もあるわ」

「ということは、大人になったら智子さんのような女性になるかもしれないんですね。それなら僕も嬉しく思います」

「あらぁ、ひさしぶりにキュンとなりました。何か悩みがあったら、いつでも私に相談していいんですよ。沙奈の母親として、色んなことをサポートしちゃいますからね」


 智子さんはうっとりとした表情になり、僕のことをじっと見つめてくる。哲也さんが沙奈会長と智子さんがよく似ていると言うのも納得かな。


「逢坂君……」

「えっと、今のは変な意味はなくて、沙奈会長も智子さんのように素敵な大人の女性になれば嬉しいなと思っただけで……」

「分かっていますよ。妻をうっとりさせるとはさすがです。そして、沙奈のことをそこまで考えてくれていて、父親として嬉しいです。どうか、逢坂君には私達の愛娘の沙奈と、ずっと一緒に生きていってほしい!」


 哲也さんに手をぎゅっと握られてしまった。さっきも、僕と離ればなれになったら、沙奈会長がひどく落ち込むかもしれないって言っていたし。


「分かりました。沙奈さんのことは僕がずっと幸せにすると約束します」

「……今の言葉、しっかりと録音したからね、玲人君」


 すると、廊下からスマートフォンを持った沙奈会長がリビングに入ってきた。とても嬉しそうな表情をしたまま、僕のすぐ側まで歩み寄ってきてそのままキス。

 何か、交際どころか結婚することまで許していただいたような感じになったけど、僕と沙奈会長の関係を認めてもらえたことには変わりない。それがとても嬉しかったのであった。

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