第6話

 ある日、いつものようにわたしがモデルになっていると、リズが言った。


「もうすぐで、きみの顔を彫ることができるよ。そこでお願いがあるんだ。今度はきみのからだを彫らせてほしいんだ。もちろん恥ずかしいかもしれないけれど、ここまで来たら、きみのからだも彫りたいんだ」


 リズは視線を下に向け、恥ずかしそうにつぶやいた。それはきっと、リズにとって、とても勇気のいるお願いだったのかもしれない。彼の額には大きな粒の汗がにじんでいた。 わたしはそのお願いにどうしようもなく、相づちすらうつことができなかった。


「それって、もちろんはだかになるのよね」


 リズはうなずいた。


 わたしははげしく戸惑った。はだかになるということは、背中に大きな龍の刺青があることを知られるということだ。そうしたらリズはどんな反応をするだろう。全身からどっと汗がふき出し、わたしはその場に固まったまま、ことばを失ってしまった。そんなわたしを見て、リズはまた、あたまを抱え低くうなりだした。


「ほんとうを言うとね」


 リズは苦しそうにのどからことばを絞りだしていた。


「ぼくはきみのことが好きなんだ。一目見たときから、ずっと」


 わたしはすぐにでも、「わたしもあなたのことが好き」と返事をしたかった。だけど、その言葉がのどでつっかえて、背中がはげしく疼いた。どうしよう。わたしもリズのことが好きだけれど、わたしには永遠に逃れられない父の愛が刻まれている。これを知ってもし、リズがわたしのもとを去ってしまったとしたら、わたしはこれからなにを頼りに生きていけばいいのだろう。でも、ここで打ち明けなければ、ずっとリズとはひとつになれないまま。いったいわたしはどうすればいいのだろう。


 静かな時だけが流れてゆく。やがてわたしは、無言のまま、着ていたワンピースを脱いで、リズの前ではだかになり、ゆっくりと背を向けた。


「わたしもあなたのことが好きだけど、ひとつにはなれないの。ごめんなさい」


 アトリエに射す斜陽が朱色に背を染め上げ、龍は爛々と輝きに満ちている。リズは

膝をついてわたしの背を見上げ、口を呆然と開けたまま、目を見開いていた。それから夜になるまで、わたしたちは一言も交わすことのないまま、時間だけが流れていった。やがてわたしはワンピースを着なおして、泣いてくちびるを噛みしめながら、リズを残しその場を去った。きっと彼もまた、わたしになんて言葉をかけていいかわからなかったのだろう。それが痛いほどわかって、わたしの想いもまたいっそう疼くのだった。


 翌朝、いつものように食堂ホールに向かうと、リズの姿がどこにもなかった。おどろいて辺りをきょろきょろしていると、ソフィーがゆっくりと口を開いた。


「彼はこころの穴がどこにあるのかに気づいて、ここを去っていったわ。ハルちゃん、悲しいかもしれないけれど耐えなさい。その悲しみは、あなたにとって、とても大事なものよ。ただひたすら待ちなさい。彼は必ず帰ってくるから」


 わたしはことばを失った。そうか、リズはわたしの刺青に怖気づき、どこかへ逃げてしまったんだ。そう思うとリズが憎らしくさえ思えてきた。でも、彼のはにかみを思い出すたびに、涙が込みあげてきた。わたしにはもう、リズしかいない。リズが消えてしまったのなら、わたしは永遠にこの館で、こころにぽっかりと穴の開いたまま、孤独を抱えて過ごすことになる。朝食はまったく、のどを通らなかった。


 アトリエにひとり、残されたわたしの彫刻と向き合ったまま、わたしはこころにおとずれた深い夜の沈黙にじっと耐えていた。そんなわたしを残して、世界はどこまでも鮮やかな朝日を天窓から燦々とアトリエに注いで、わたしの彫刻を照らし出していた。彫刻はわたしそっくりだった。ただひとつちがうのは、彫刻は笑っていて、わたしは泣いているということだった。彫刻には、リズと過ごした喜びの日々がありありと刻みこまれていた。しかし今はもう、あの日々は思い出となって過ぎ去ってしまった。それでも思い出はこのほほ笑む彫刻を見るたびにわたしをあの日々へと連れ戻す。忘れたくても忘れられない。それはたまらなく苦しいことだった。

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