第3話
翌朝、広い食堂ホールにはわたしを含め五人と一匹が集まった。ソフィーと呼ばれるお姉さんと、きのうの夜に話をした青年、そして虚ろな目をしたおばさんと頭頂部の薄い男性、そして黒猫とわたし。
みんな無言で、目の前のエッグトーストをほおばっている。陶器の擦れる音だけがホールに響く。一度、おばさんがわたしに目をやったけれど、彼女はなにも見なかったようにまた食べはじめた。頭のはげたおじさんにかぎってはわたしがいることにも気づいていないようで、ずっとうつむいたまま黙々と食事をしていた。わたしが食べるのにためらっているとソフィーが「お食べ」とにっこりうながした。青年の方を見ると、彼はわたしの視線に気づいてほほ笑みで返してくれた。
天窓から朝日が射して、食卓の上のほこりをかぶった燭台を照らしていた。黒猫がその影で手を舐めている。わたしはじつに奇妙な空間に放り出された気分だった。
ここはね、と朝食後、みんながちりぢりに去っていくときに、わたしの肩を叩いて青年が話しかけてきた。
「こころのどこかに穴がぽっかりとあいた人の暮らすところなんだ。ソフィーがそういう人のために開放している空間なんだよ。こころにはね、時計の針や手帳のスケジュールとはちがう、たいせつな時間が流れているんだ。その時間の感覚を取り戻すために、ここは開放されているんだ」
わたしには正直、青年の言っていることが難しくてよく理解できなかった。
「あなたもそうなの?」とわたしは尋ねた。
「もちろん」と青年は苦笑した。
「ぼくも、こころに穴があいてるんだ。けれどふしぎとね、いま気づいたんだ。きみと話していると落ちつく。きみはきれいだ」
わたしはあらためて、まじまじと青年の目を見た。そんなことを面と向かって言われたのは生まれてはじめてで、じっと視線をそらすことなくわたしを見つめる青年に、わたしはこわさと同時にふしぎさを感じ、わたしもまた視線を外すことができなかった。
「あなたは」と、やっとのことでのどからしぼりだした声で、わたしは青年にまた尋ねた。
「どうしてこころに穴があいてしまったの?」
「それがぼくにもわからないんだ。なぜか悪魔がささやくんだよ。おまえはまちがっている、って。なにをしてもそうささやくんだ。だからもう、どうしていいかわからなくって。だから今日も、せいいっぱい、お祈りをささげないといけないんだ。お祈りのときだけ、悪魔がきえてくれるからね。それじゃ」
そう言って青年はくるっとうしろを向いて、ダウンのポケットに手を突っ込んだまま、歩き去っていった。とりのこされた私はまだ、ここを流れる時間や人にうまく馴染めていないようだった。
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