第1話 

 木枯らしの吹きすさぶ夜の通りを、わたしは身震いをして歩きはじめた。往来と目を合わせないように、ややうつむき気味に、コートの襟をぎゅっとつかんで引き寄せたままひたすら歩きつづけた。頭のなかには重いしこりがずっともたげていて、歩くことのほかにどうすることもできなかった。吹きつける風が寒くて、どんどん体温をうばってゆく。


 わたしはなるべく人目のつかないところを探してふらふらと歩きめぐった。飢えと凍えがわたしを襲った。最期はだれにも見つかることなく迎えたい。やがて中華料理店とビルの間に暗いすき間を見つけて、わたしは迷うことなくそこへ足を踏み入れた。そのすき間は奥に入っていくたびにコートが擦れるほど狭くなり、それでもわたしはためらいなくどんどん進んでいった。やがてぽっかりと開けた人けのない路地裏のスペースに出た。私はひっくり返ったビール箱に腰かけうなだれた。内臓ごと震えあがるような寒さに、わたしは死を予感した。


 思いかえせば、じつにわたしの一生はくだらないものだった。もの心ついたときからわたしは周りに馴染めない疎外感と孤独感を感じていた。友だちと遊んでも、楽しむことができず、でもそれじゃ見放されてしまうからと、必死に楽しそうにふるまった。それにも疲れ中学の頃に完全に心を閉ざし、いじめにもあい、不登校になってからは家にずっとこもって、父の書斎にあった本を片っ端から読むだけの日々が続いた。その頃に出会った本はどれも評論や思想書のよう固い類の本で、わたしに心からの感動を呼び起こしてくれるものではなかった。わたしにとってはただ、透明な概念の羅列が世界を上滑りしていくだけだった。


 じっとうなだれていると内臓のすべてが寒さに震えだし、いよいよ死が間近に感じられるようになったとき、空から声が降ってきた。


「だいじょうぶ?」


 背中をさすられ、誰かが顔をのぞきこんできた。


「すごい震えてるじゃない、いいから、こっちにいらっしゃい」


 それからわたしはその女性に手を取られ、ふたたび路地をくぐり抜け、往来に出て、タクシーに担ぎ込まれた。わたしはずっと後部座席でとなりに並ぶその女性の肩に力なくもたれかかり、その女性が何かを尋ねるようにわたしにささやくのを、どこか遠くの世界を流れる小川のせせらぎのように聞いていた。その声はやわらかくて、さらさらと流れていって、それでも芯はしっかりとしていた。でもそれらの声は言葉として意味のまとまりをもつことなく、ただわたしの耳を流れ過ぎていった。

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