ありあまる愛
@SUMEN
プロローグ
母はいない。だからわたしは父の手ひとつで育てあげられてきた。父はわたしにたくさんの愛情を注いでくれた。父は職人で、めったに笑顔を見せることはない。それでもわたしがいまここに生きていられるのは、父の注いでくれた愛情のおかげだと、私はそう信じてきた。
わたしが十七歳になる誕生日に、父はわたしにこう言った。
「誕生日おめでとう、ハル。今日はおまえにとって特別な日だ。いまからおれはおまえの背に龍の刺青をプレゼントしたいと思う。わかってくれるね、ハル。これはおれがおまえを心の底から愛している証なんだよ」
はじめ、わたしには父の言っていることがよく理解できなかった。これまで父は、誕生日になると決まって洋服やアクセサリーをプレゼントしてくれた。でも、今回はそうではないようだった。
父が彫師で、人の体に刺青を彫るのが仕事であることは知っていた。だから刺青がどういうものなのか、それがわからないわけではない。刺青は一度、体に刻んだら、消すことはほぼできない。だから父のもとに来る人の大抵は、相当な覚悟をもってやって来る。
そんな刺青をなぜ、父はわたしの体に刻みたいのだろう。そのことがわたしの将来にどんな暗い影を投げかけるか、父がわかっていないわけがない。それでも刻みたいという父の意志には、中学もろくに卒業していないわたしには、とてもじゃないけど理解できない何かがあるように感じられた。
刺青を施しているあいだ、わたしはただ無力感に打ちひしがれていた。世界がだらりと沈んでいて、わたしはずっと砂漠を歩きつづけているような感覚だった。熱さもなにも感じない、ただ延々と無機質な砂がつづくだけ。刺青が仕上がるにつれて、わたしは感情というものを失くしていった。世界はどんどんと無表情になっていき、ほんとうに砂漠のように何もなくなってしまった。
鏡に映るじぶんの華奢な白い背には、青い墨の龍が隅々まで覆っていた。雲をかき分け天に昇るそれは重々しく、どこまでも不吉だった。わたしはその場にへたりこみ、傍にあったシーツにくるまってうなだれた。吐き気と痒みと疲労感が体を襲い、しばらく何も考えることができなかった。
やがて重い頭をもちあげて、わたしは這うようにクローゼットに近づき、服を引きずりおろすように手に取って、それを着こんで外に出た。
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