第4話 七海七郎と義妹のお願い

この僕、七海七郎という人間を語る上で、避けて通れない話題がある。

それは「人にお願いされると断れない」という特徴だ。

これから話す思い出話は、僕と理子さんの日常譚という範囲から外れてしまうのだが、どうか聞いていって欲しい。

僕だって最初からこんな性格だったわけではないのだから。


* * *


小学校がゴールデンウイークで休みになった、ある日のことだった。


「七郎くん。なにかお願いはない?」


お花見に解放されている神社の境内で、その女の人は僕に問うた。

僕はとっさに状況を理解できず、そもそもこの人は誰なのだろうという疑問で頭がいっぱいだった。


父さんが連れてきた人だった。大切な人に会ってほしいと言われ、引き合わされた人だった。

賢明なる皆様はお察しのことだろうが、僕の母さんは早くに亡くなった。つまり、この顔合わせは「そういうこと」なのだ。当時の僕には分からなかったけれど。


僕は少し考えて、りんご飴が欲しいと言った。女の人は屋台でりんご飴を2つ買ってきた。

2つもらえるのか、それにしては変だなと思っていると、境内の影から日焼けした女の子がおずおずと姿を現した。日焼け具合とは対照的に、服は白いワンピースを着ている。


「この子はメイっていうの。よろしくね」


女の人はそう言って、僕と女の子にりんご飴を1つずつくれた。

メイは僕を警戒していたようだったが、りんご飴を見ると「はにゅ~」と気の抜けた声を出しながらモグモグ食べ始めた。

これが僕と芽衣の出会いだった。


1学期が始まると、芽衣は僕と同じ小学校の同じクラスに通ってきた。

後で父から聞いた話では、僕の反応が乏しすぎたから、時間をかけて新しい母さんに慣れてもらおうと同居の時期を遅らせたのだそうだ。

その代わりに、同い年の義妹を同じクラスに転入させたのだから、なかなかブッ飛んだ判断である。


芽衣は気の抜けた声を出すくせに、駆け足がめちゃくちゃ速かった。

5月の体育祭ではリレーのアンカーに選ばれ、1等のメダルを獲ってみせた。

この時、僕は「さすがに何か言わなくちゃならない」と思って、芽衣を褒めた。


「芽衣、すごいじゃないか!」

「はにゅ~。モグモグ……」


芽衣は照れた様子で、オリンピックの記者会見よろしくメダルをかじって見せた。

その場で先生から叱られたことは言うまでもない。


けれど芽衣との別れは突然にやってきた。

あれは7月の真夏日だった。1学期最後の体育の日で、クラスを半分に分けて対抗リレーをすることになったのだ。僕と芽衣は同じチームになった。


アンカーを誰が走るかという話になり、誰もが芽衣に走ってもらおうと口々に言った。ところが、肝心の芽衣は気が乗らない様子だった。


芽衣は僕を引っ張って、みんなから離れた場所に連れていった。


「どうしたんだよ、芽衣。みんな待ってるぞ」

「あのね、お兄ちゃん。リレーのアンカー、代わってくれないかな?」


芽衣が僕を「お兄ちゃん」と呼んだのは、この時が初めてだった。普段「あの……」とか「ねえ……」と言った呼びかけで誤魔化している女の子が、お兄ちゃんと言ったのだ。

けれど僕はその意味を深く考えなかった。


「俺じゃリレーに負けちゃうよ」

「ううん、今日はなんだか調子が悪いの。お願い、お兄ちゃん」


――お願い。聞いてあげるべきだろうか。

でも、クラスのみんなから「早くしろよー」という声が聞こえてきて、僕は断ることにした。


「お前が走れよ。だってお前すごい速いだろ」

「……うん」


芽衣はうつむいたままトラックに向かった。

そしてバトンタッチの直前、うつむいたまま、その場に倒れた。赤いバトンが風に吹かれてコロコロ転がった。


芽衣は熱中症で、先生が慌てた様子で木陰に運び、水を飲ませていた。

1時間ほどすると、電話連絡を受けて父さんと芽衣のお母さんがやってきた。


父さんは僕に言った。


「代わってくれってお願いされたのか? どうして聞いてあげなかったんだ!」


芽衣のお母さんは、いいの、やめてと泣きながら言った。

2学期には、芽衣の姿は僕の通う小学校になかった。どうしたの、とは父さんに聞けなかった。


* * *


「なるほど。それで七郎さんはお願いを断れないんですね」

「あの時のことは今でも夢に見る。誰が悪かったのか、自分なのかって考えるけど」

「運が悪かったんです。七郎さんは悪くありません」


学校の帰り道、僕は理子さんから事情聴取を受けていた。

なんでこんな話をしているかって? そりゃあ僕の背中に張り付いているコイツのせいですよ……


「はにゅ~。お兄ちゃん、そんなに悩んでたんだ。もっと早く言ってくれたら良かったのに」

「黙りなさい、はにゅ~娘! だいたい七郎さんとの距離が近いんです。今すぐ離れなさい!」

「ええ~? でも兄妹のスキンシップだしぃ~」

「義理の、でしょうが!!」


そう。なんと今日、芽衣が学校にやってきたのである――僕や理子さんと同じ制服を着て。

彼女は目の横でピースサインを出し、決めポーズを取る。


「はーい、お兄ちゃんの妹の七海芽衣です。よろしくね!」

「父さん、再婚諦めてなかったんだ。良かったよ、うん、良かった……」

「七郎さん、しっかりしてください!」


どうやら僕らの学園生活は、騒がしくなりそうだった。


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