第3話 琴葉理子と人生のスパイス

「カレーパーティをしよう」

「お断りします。会長のカレーライスはカロリーが高すぎます」


生徒会長の頼みを、僕の彼女――琴葉理子さんは一刀両断した。

人の弱みを呼吸のように握ってくる会長を相手に、この斬れ味。いとこ同士である点を差し引いても、理子さんはすごい。

しかし生徒会長は負けていない。わざとらしく懐から白い紙片を取り出し、泣き真似を始める。


「りっちゃん、小学校の時は『兄さんのカレーライスが美味しい、美味しい』って何度もおかわりしてくれたのに」

「その話、今必要ですか?」

「おかげで丸々と横に成長して……その時の写真がこちら」

「キャーッ!?」


理子さんは聞いたこともない高い声を出して、会長に飛びかかった。

……そして会長が出したのは、ただの白紙だとすぐ判明した。理子さんがため息をついて手をはたく。


「全く……油断も隙もないんですから」

「さて本題に入ろう。カレーパーティを開きたいんだ。明日の放課後、学食で生徒を集めてカレーを食べる」

「お断りします。規則では17時30分で生徒会室から出なくてはなりません。急な打ち合わせになりますが、話し合いは明日にしてください」


理子さんは僕の腕を引っ張って帰ろうとする。しかし会長の一言が、僕らを引き留めた。


「いや、これは大切な仕事なんだよ。生徒会諸君、どうか俺のお願いを聞いて欲しい」

「お願いですか?」

「七郎さん!」


理子さんが心配そうな顔をするのを、片手で制する。これは僕の癖――人にお願いされるとイヤと言えないのだ。

そして会長の口から聞かされたのは、意外な「お願い」だった。


「カレーパーティを開きまーす。生徒会主催のカレーパーティでーす」

「七海先輩、お疲れ様です」


翌日、僕が学食の入り口でパーティのチラシを配っていると、後輩の睦月ちゃんが話しかけてきた。

ちなみに理子さんは昇降口でチラシを配っている。


「会長から話は聞きました。先輩ってば、カレーパーティを手伝うなんて優しすぎますよね!」

「ああ、ありがとう」

「私も精一杯お手伝いしま――」

「ほらほら! あんた達、人の出入りの邪魔になってるよ!」


僕の腕からチラシを取ろうとした睦月ちゃんだったが、それはおばちゃんの太い声に妨害された。

この声の主こそ、学食の調理のおばちゃん、船橋さんだ。

貫禄のある体型をしておられ、昼食時にヤンキーが列に割り込もうものなら、すごい剣幕で追い出してしまう。この学食の主とも言うべきお方なのだ。


「きゃっ、おばちゃんこわ~い。七海先輩、チラシ配りは外でやりましょう?」

「ちょっと! 睦月ちゃん、今日は――」

「そうだよ、外に出れば邪魔にならないんだ。ヤンキーの岩太郎じゃあるまいし、食事時に邪魔するんじゃないよ!」


会話をする暇なんて無い。船橋さんに追い払われて、僕と睦月ちゃんは学食の外に出た。


僕らは、気を取り直してチラシ配りを再開した。

睦月ちゃんは、ぶりっ子な発言をすることもあるが、仕事はできるし仕草もかわいい。チラシは僕一人だった時の3倍くらいの速さで、生徒の手に渡り消えていった。


「先輩、渡された分のチラシ配って終わりました」

「こっちも終わったよ。さすが睦月ちゃん、仕事が速いね」

「えへへ、それほどでも……」

「全くだ、こんなに可愛くて仕事が速いなんて。イチローくんも見習いたまえ」

「いえいえ、先輩は先輩で、また違った可愛らしさがあるんですよ……あれ?」


僕らの会話にしれっと混ざってきた人物は、ぐいっと僕の肩に手を回してきた。


「いよっす。イチローくんに睦月たん、元気そうだね」

「僕は“七郎”です、岩田先輩」

「僕も岩田ではない! 賀茶利亭 持都(がちゃりてえ・もっと)という亭号があるのだ、そちらで呼びたまえ」

「岩田先輩、その名前、恥ずかしいから変えたほうがいいですよ」

「ひどい!」


僕が思ったままの事を告げると、岩田先輩は顔を覆ってのたうちまわった。


この人はうちの中学のOBで、岩田さん。高校生になって落語研究会に入り、通販で買った茶色の羽織を着て歩いている。

なんでも生徒会長の先輩だとかで、卒業後も生徒会に遊びに来るなど、高校生にして早くもモラトリアム真っ盛りの自由人だ。


「睦月たん、イチローくんがいじめるよぅ」

「たんとか言うな、妖怪・落語太郎。七郎先輩はカレーパーティで忙しいから、早く帰ってください」

「いや、そうは行かない。どうしても今日は落語をしたい気分なんだ」


 * * *


その日の放課後、カレーパーティは学食で粛々と催された。

急な開催で生徒はほとんど来ず、さながら生徒会と先生方との軽食パーティといった様相になってしまった。


僕と理子さんは、紙のボウルによそられたカレーを手に、学食の隅で静かに座っていた。

さっきまで睦月ちゃんも居たが、理子さんの顔を見て何か言いたそうにしていたものの、どこかへ行ってしまった。


それと入れ替わるように、大柄な女性が僕たちのほうに近づいてきた。


「ああ、疲れた。昼飯の混雑をさばくだけで大変なのに、放課後まで働かせないで欲しいね」

「船橋さん……」


僕らに声をかけてきたのは調理の船橋さんだ。彼女は肩関節をぐるぐる回しながら言う。


「作るほうの身にもなって欲しいよ。大体、カレーパーティなんて誰が喜ぶんだい。私ゃ帰らせてもらうよ」

「お断りします。今日は船橋さんのファンが来ているんです」

「私の……?」


ちょうどそのとき、ガヤガヤと参加者が割れて着物姿の男が現れた。彼はパイプ椅子の上に座布団を敷くと、その上で器用に正座してみせた。


「わたくし賀茶利亭 持都と申します。ご存知の方も、お初の方も、どうぞよろしくお願い申し上げます」

「あれ、岩太郎!? 髪が黒いけど岩太郎だよね!?」

「いいえ、賀茶利亭 持都とお呼びください。お聞き苦しいとは存じますが、本日はわたくしの落語に一席お付き合い願います」


僕が船橋さんの分のカレーを取ってくると、理子さんが質問をしていた。


「岩田先輩のこと、ご存知なんですか?」

「ご存知なんてもんじゃないよ。あいつはこの中学校に居た頃、髪を金髪にして、手下を引き連れて歩いてた。先生方の間じゃあ有名な問題児だったが、私らは『岩太郎』ってあだ名を付けてバカにしてた」


船橋さんは遠い目をしながら、聞いたこともない優しい声で返事をしてくれた。

岩田先輩の落語は、流れるように進んでいく。


「お前さん、いつまでガンギマリでいるんだい。芝のふ頭で四万二千円拾った、その金でガチャするぞー、レア出すぞーなんて大騒ぎして。そんな金ありゃしないじゃないか!」

「ある日、岩太郎は手下を連れて、学食の列に割り込んできた。あいつ、私に何て言ったと思う?」


何てと言われても、想像もつかない。僕らが知っているのは、人懐っこくて少しオタクなOB・岩田太郎さんだ。ヤンキーの岩太郎ではない。


「『クソババア、クソみてえなカレーを寄越しやがれ』だってさ」

「割り込んでまで食べたいのに、矛盾した発言ですね」

「おっ、お嬢ちゃん良く気が付いたね。私もね、そう思ったから言ってやったのさ。『そのクソを食いたい奴が、笑わせるんじゃないよ。どうせなら狙ったギャグで笑わせてみな』ってね」


僕は開いた口がふさがらなかった。あの岩田先輩が、そんな下品な言葉を使ったこともショックだったけれど、ヤンキーを相手に喧嘩を売った船橋さんの無鉄砲さも怖いと――そう、危ないと思った。


落語は山場を迎える。


「あんた……芝のふ頭で拾った四万二千円、あれは夢じゃなかったんだよ! これで好きなだけガチャを回しておくれ!」

「それで、岩田先輩はどうなったんですか?」

「さあ。私は生活指導の先生じゃないからね。ただ卒業する前に何かショックなことがあって、ヤンキー止めるって言い出したらしい。あとはホラ、あんたらも知っている妖怪・落語太郎の出来上がりさ」


深々と頭を下げる先輩に、船橋さんと僕たちは惜しみない拍手を送った。


「ご清聴、ありがとうございました。今日、僕は大切な人に落語を聞いてもらいたくて、その一心で生徒会長の速水くんにお願いして、この場を設けてもらいました」

「……なんだい。岩太郎め、愛の告白でも始めるのかい」


船橋さんは笑っている。


「今日付けで調理の船橋さんが、長年勤めた学食をお辞めになるそうです。なので最後に僕の落語で、笑ってもらいたいと思いました」

「おいおい、私にホの字なのかい。勘弁しとくれよ」


船橋さんは笑っている。


「在学中、船橋さんに叱られなかったら、僕は今もみんなの笑い者だったと思います。もう覚えていないかも知れませんが、船橋さんは――」

「もう終わりな、岩太郎。落語の余韻が白けちまう」


船橋さんは――笑おうとしている。


「いいんだ。あんたは一生懸命がんばった。私も一生懸命働いた。それでいいじゃないか」

「船橋さん……」

「カレーを食べな。私が学食で作った、最後のカレーだよ」

「はい。……はい!」


岩田先輩は涙を拭いていた。控えめな拍手が起こり、それはすぐに音量を増して、みんなの心を震わせた。

船橋さんは、すっかり笑っていた。


 * * *


カレーパーティの後片付けをしていたら、帰り道は夜になってしまった。

睦月ちゃんは「誰か男の人に駅まで送って欲しい」と言ったが、生徒会長の指示で船橋さんと岩田先輩に送られていった。


「いや~、落語太郎はいや~! 妖怪じゃなくて人間に送って欲しい~!」

「睦月たん、なんか冷たくな~い? 僕はれっきとした人間だよ?」

「お前らカマトトぶらない! さっさと帰るよ、私ゃ家族の飯も作るんだから」


僕と理子さんは、三人の後ろ姿を並んで見送った。

先に言葉を発したのは理子さんだった。


「行っちゃいましたね」

「うん」

「私は今日が良い日だったのか、判断しかねています」

「どうして?」


すると理子さんは、長いまつげを伏せて、抑えた声で答えた。


「船橋さんと話をしなければ、明日からの学校生活に彼女が居ないことを寂しいと感じることはありませんでした。明日、登校してくるのが少し怖いです」

「……そうだね」


明日からも学校生活は続くけれど、船橋さんは学食に居ない。

半端に彼女と関わりを持ってしまったことが、そんな未来を不幸なことだと錯覚させてくる。


けれど。


「理子さん、僕たち、もっと話をしよう。そうしたら心の中にお互いの居場所が――」

「七郎さん、UFOが飛んでいます」

「えっ、なんの話――んむっ!?」


理子さんが指さす夜空に気を取られた、わずかな瞬間。カレー味のキスが僕の口と、余計な言葉をふさいでしまった。

しかしなんだか、呆れられるかも知れないけれど、僕たちは最近こうしているのが自然なことのように思えてきたのだった。


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