第2話 琴葉理子と手作り弁当

「やあ書記くん、今日も仕事が捗るねぇ」


放課後、生徒会の仕事をしていたら声がかかった。顔を上げれば、生徒会長の速水蒼汰が立っていた。手に、何かピンク色の紙を持っている。


「会長、今度は何の遊びを思いついたんですか?」

「失礼だな、俺がいつも遊んでいるみたいじゃないか。そんなことより、これ」


そう言って会長は、僕の方に紙片を差し出した。受け取って良く見てみる。


「演奏会、ですか……」

「うん。我が校の吹奏楽部が行う演奏会の入場券だ。きみにこれをあげましょう」

「いりませんってば」

「そう言わずに! お願いだから行ってくれたまえ、七海七郎くん!」


会長は選挙期間中によく見せた、一番さわやかな笑顔でお願いしてくれた。僕が人の頼みを断れない性格だと知ってのことだ。

……こんな時の会長は、大抵くだらないことを考えているんだ。たとえば僕を勝手に生徒会書記に立候補させて、勝手に当選させた時みたいに。


――演奏会当日。僕は会場の入り口で、意外な人物と出くわしてしまった。

同じクラスの琴葉理子さんだ。僕と視線が合うなり、じっと動かずにいる。


「…………」

「や、やあ……」


うちの学年で彼女を知らない者はいない。切れ長の目に、長い黒髪、切りそろえられた前髪と眉。そのクールな風貌から繰り出される決め台詞「お断りします」で、同級生はおろか教師でさえバッタバッタと斬り捨ててきた。

その彼女と目が合ったままというのは、のんきな僕でも堪えるものがある。


「ええと、琴葉さんも演奏会に来たの?」

「…………」

「吹奏楽とか興味あるんだ?」

「……このことだったんだ」

「えっ?」


琴葉さんは何やら小声でうなったが、聞き取れなかった。

埒が明かない。困っていると、入り口でもぎりをしていた女の子が声をかけてくれた。


「演奏会にいらした方ですか? よろしければ中に入ってください」

「はい。琴葉さんはどうするの?」

「な……七海七郎さん!」


唐突に琴葉さんは、大声で僕を呼んだ。

そして、訳の分からないことを叫んだ。


「キス弁当を持ってきました!」


もぎりの一年生が「はい?」と不思議そうに呟くのが聞こえた。


「すみません、取り乱しました」

「いやいや。そういうこともあるんじゃない……かなあ?」


演奏会の会場で、僕と彼女は隣同士の席に座った。

うちの学校の吹奏楽部は緩い空気が売りで、演奏する曲目も穏やかな曲ばかり。「イマジン」や「スタンド・バイ・ミー」が演奏され、無事に閉幕となった。


建物の外に出ると、琴葉さんはまだガチガチに緊張していた。

そして顔を真っ赤にしながら「すみません」と繰り返すのだ。僕はなんだか放っておけない気持ちになってきた。


「あんまり謝らないでよ。僕は気にしてないよ?」

「では、厚かましいついでにお訊ねしますが……キスは、お好きですか?」


キス? キスって、ちゅーのこと?

でも琴葉さんの目は至って真剣で、そんな浮ついた話題をしているようには見えない。


(……そう言えば、さっき変なことを言っていたな)


僕はある可能性に思い至り、言葉を投げかけた。


「琴葉さん、キスって言ってみて?」

「キス……」

「それって食べ物のこと?」

「はい、キスのことです。蒼汰兄さんから、七海さんの好物だと伺ったので」


……気になる名前が飛び出したが、ひとまず置いておく。

それより、ようやくキス弁当の謎が解けた。


「琴葉さん、魚のキスは語尾を上げるんだよ」

「上げる? キ↑ス↓ですか?」

「違う、違う。キ↓ス↑」

「キ↑ス↓」


なんてことはない、僕の好物はキスの天ぷらだ。琴葉さんは、それを上手く発音できなかっただけなのだ。


「……すみません、今度から魚のキスと接吻のキスは分けて呼びます」

「うん、まあ気にしない方向で」


近くにあった公園のベンチで、お弁当を見せてもらう。キッチンペーパーに包まれた天ぷらは、湯気を吸ってふやけてしまっていた。


「ごめんなさい。私、キスの天ぷらなんて作ったことなくて……これ、やっぱり持って帰りますね」

「いや、おいしそうだよ。どれどれ」


僕はキスの尻尾をつかんで、一口かじる。見た目を裏切らない、ぐずぐずの食感が伝わってきた。


「おいしい!」

「お世辞ならお断りします」

「本当だよ」

「…………」


琴葉さんは、ぷいっとそっぽを向いてしまう。けれど、耳の先まで赤くなっているのが分かる。

学校では怖い人だと思っていたけれど、こうして話してみると、とても素直な人だと感じた。

弁当を食べ続けていると、琴葉さんは、おずおずと質問してきた。


「あの、七海さんも蒼汰兄さんに、ここへ来いって言われたんですよね。大丈夫でしたか? 弱みとか握られていませんか?」

「蒼汰兄さんって、速水会長のこと?」


あの食わせ者の会長を「兄さん」って呼ぶ人、初めて見た。


「いとこなんです。子供の頃から遊んでもらってたので、兄さんって呼んでいて」

「そうなんだ」


なるほど。会長が僕に入場券を渡したのは、妹の恋を応援するためだったか。

その割にキスの発音は直させなかった辺り、やはり面白がっていたのだろう。


「七海さん」

「ん?」


弁当を完食する頃、琴葉さんがそっと声をかけてきた。


「好きです」

「ありがとう」

「付き合ってください」

「いいよ」

「……あっさりですね」

「あっさりだよ」


こうして僕と琴葉さんの交際はスタートしたのだった。

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