運動不足

 俺は街道に一人とり残されていた。全身が動かすたびに痛む。特に足、腹筋、上腕二頭筋、背筋が酷い、それは酷い……酷い筋肉痛だった。


「サラぁ……待ってください……マヂモゥムリ、リスカしょ……」


 そんな俺の悲痛な叫び声も遠く離れたサラ・ドールトンには聞こえない、サラの足は驚くほど速い、大陸でもここまで足の速い人間はそういないだろう。


 ただでさえ筋肉痛が響いて歩くのも遅いというのにサラに追いつけるわけが無い、てかちょっとはこっちに気を配ってほしい。


「ドヴモ"~"!!!!」


 なんだか商売人のような声が聞こえたが凄く獰猛な声な気もする。嫌な予感しかしない、こんな状態で獣と遭遇すれば十中八九、いやもう十中十首ちょんぱだ。

 そう思いながら後ろを振り向いたその瞬間俺の死は確実なものとなる。


「ぎゃあああああ!! 獣よ!! うひぃぃぃぃ!! てかでか! こいつ、イグマじゃん!! あかーーーーーん!!」




 さて何故俺はこんなことになってしまったのだろうか、それを思い出そう。

 大丈夫、思い出している間に死ぬことは無い、死ぬ間際は自分以外の全てがスローになるものさ。


 サラに無理やり冒険者にさせられた俺。

 秘められた力などはもちろんなく俺が物語の主人公になるには何もかも足りない事が判明して涙が止まらなくなっていたが、そんなのお構いなしにサラはオーダーを取ってきた。

 

~街道にいる獣を討伐してほしい、報酬は倒した獣による~


「いやいやいやいや、バカなんですかサラは、俺が筋力とかその他諸々能力値的に一般男性どころか一般女性にすら及ばないのはあなたのその綺麗な瑠璃色の眼でも見たでしょう!!」


「眼が綺麗だなんて嬉しいわ、アーリン君」


「そこだけを抽出するなぁぁぁ!!!! ともかく却下だ却下、死んでしまう!!」


「無理よ、もう受けちゃったし、これから私と訓練すれば大丈夫だわ!!」


 軽く絶望しながらサラと訓練し、確かに筋力もついたし驚くべきことに精霊感知もできるようになった。

 しかしその特訓のせいで俺は全身筋肉痛の状態で、あろうことか訓練終了一日後、街道へと決死のダイブをしてしまったのだ。

 サラは大丈夫大丈夫と余裕そうな顔をしているが、俺は筋肉痛が酷くそれどころじゃない。魔物にあったら一網打尽にされることは間違いないだろう。




 なるほど、やはりあの女だ。

 サラが悪い、無理やりこんな俺を街道に繰り出すからこうなったのだ。一生恨んでやる。毎晩寝ている間に鼻をつまんでやる。

 

 そんな事を考えている間に獣の腕は俺の眼前にまで迫っていた。近い近い。

 あぁ死ぬんだここでと思ったその一秒もしない後、何故か獣は崩れ落ちていた。


「大丈夫ですか!!」


 そう叫ぶ人の声は高めで凄くよく通る声をしていて、一言で表すならば透明だ。


「あ、あぁ、大丈夫。怪我はないよ、結局攻撃はくらわなかったからね……うっ……」


「で、でもやはりどこか痛むようですよ、診ます。ここから少し離れましょう、歩けますか?」


 優しい、最近サラとかいう悪魔にさんざん虐められていたから涙がでてきた。


「そんなに痛むのですね、大丈夫です、私は元治療師見習いでした!!」


 優しい、優しいけど、本当に怪我もしていないし痛いから泣いているわけでは無いんだ。ただの筋肉痛だなんて言えるわけもないし、仲間の女性に死ぬかと思うほど虐められていたなんて俺の名誉のためにも、一応サラの名誉のためにも言えない。


「おーーい、アーリン君!! なんか獣倒したみたいだね!! 凄い凄い!!」


 あ、なんだかサラを見ると無性に元気になってきた。今の俺ならできるぞ!!


「あぁ、君、助けてくれて有難う、痛いのは傷じゃないから心配しないで。

 ……うおぉぉぉぉぉ!! サラてめぇ!! 死ぬかと思ったじゃねえか!!!!! 」


 彼女にお礼を告げ、叫び、こぶしを上げながらサラに突進、俺の渾身の一撃受けてみよ!


「あらあら、随分と元気なようね、これじゃ私の助けはいらないかな~、じゃね」


 サラさん、さらりと俺の攻撃を避ける、俺は勢いのままずっこける。

惨めだぁ……


 そしてサラはまた遠くへ行ってしまった。いやいる、助け欲しいサラ、助けて、もう無理歩けない。


「あ、あのー……」


 はっ、彼女の存在を一瞬で忘れていた。あまりにも恥ずかしすぎる光景の一切を彼女に見られてしまった!!


「あーさっきは本当に有難う、えっと俺はアーリン・ルビスキン。アーリンって呼ばれてることが多いな」


「あ、いえお礼なんて、当然のことをしたまでです」


 いい子過ぎる、娘に欲しい。


「私はリリィ・シルスアです」


 リリィちゃん!! 良い名前だ!! そして今まで忙しくて全然見ていなかったがこの娘可愛い。

 後頭部で括られた蒼い髪に透き通るような青い目、全体的にすっきりとした顔立ちだが大人の仲間入りをしたてのまだ子供っぽさが抜けない成長途中感がなんともいえない可愛らしさを保持している。

 あと何故か薄いピンク色をしたコートのような物を羽織っている。


 また名前と可愛らしさが合致しすぎている。あぁ可愛い。あんな獣を瞬殺するなんて考えられない、ひょ……え、この娘あの獣瞬殺したよね、えやばすぎ、まじやばす。てか武器持ってないけど素手? 素手でやったの?


「あ、あはは、リリィちゃんか、可愛い名前だネ!! あと強いんだネ、あの獣の報酬は君が受け取るといいネ!!」


「い、いえ、私は確かに現在冒険者ですけど、街道の獣を掃討するオーダーを受注しておりませんので……どうぞ貴方が貰ってください、あと私は強いわけではありませんよ、獣に神経毒を入れたんです、この注射器で」


 注射器を取り出しながら語るリリィちゃんは少し怖い。あのコートのような物の中には大量の注射器が隠されているらしい。

 それにしてもあぁいい子過ぎる、涙が止まらん。


「やはりお怪我なされているのではありませんか?」


「い、いや、本当に怪我はしていないんだ。うん肉体的にはね……」


「心配ですので、町まではついていきますね」


「あ、有難う……」


 この一帯を抜ければ三十分も歩けばつく町までの安全なはずの帰路すらも心配されてしまった。情けないことこの上ないが、この天使のように可愛いリリィちゃんと帰れるならうれしい、サラ? 誰ですかそれって感じだ。


「ゴフッ」


 あれ、なんかお腹に蹴られたような鈍痛が走ったんだけど、誰もいないな……


「だ、大丈夫ですか!! もしや内蔵に損傷が……」


 リリィちゃん真面目すぎる、それも可愛いけどね。


「はぁ……普通三十分のところ筋肉痛と、なんか時々やってくる腹への集中的な謎の攻撃のせいで一時間もかかった……つ疲れた。

 俺の取り分はリリィちゃんが倒してくれたイグマの分だけ、サラめ許せん!!」


「そうだリリィちゃん、夕食は決まっているの?」


「いえ、どこかで食べようかと思っています」


「じゃぁ一緒に食べよう!! 今日のお礼にそれくらいさせてほしい!!

 といっても奢るお金なんてないから俺が作って俺の家で食べるのだけどね!!」


「アーリンさんが作るのですか?」


 はぁっ!! これじゃ只の不審者ではないか、可愛い女の子を家に連れ込もうとしている不審者ではないかぁぁぁ!!


「あ、いや、大丈夫だよ!! ほら、あのなんか俺が殴ろうとしたあのくそあまも多分ついてくるし!!」


「アーリン君の料理は別格よ!!」


 なんかいつの間にかサラが帰ってきていた、流れるように俺の腹へ蹴りを入れ今までの犯人が確定する。

どうやら一人で結構獣を倒していたらしく今日の夕飯代くらいは余裕で持っていそうだ。


「あ、はぁ、そうなのですか、じゃあお言葉に甘えて……」


 こうして今日は三人で食を囲むことになった。サラは飯代だけは渋らずにだしてくれるから有難い。

 うまい飯が安く食べられるのならアーリンに払う。これより安くて美味しいお店があったらそっちに払うということらしい。


 家に帰り飯の準備をする、今日も白米を使った料理だ。白米を炊いている間に、鍋にそれぞれ適当に切ったオニオル、キャロント、ポテタ、を入れて煮込む、残念ながらお肉は買えなかったのでお肉はないがそれでも十分美味しいので良しとしよう。

 弱火で煮込みたいが時間も無いので少し火を強くして煮込む、十分に煮込んだところで、東方の発達しすぎている文化が生んだ茶色で四角の塊を適量鍋にぶちこむ。

 俺が最初これを見たときは気味の悪さに食い物とは思えなかったが、作っている間になんとも言えない良い香りが漂って色とは反面、食欲がそそられてしまう魔法の逸品だ。


 さて、今日のこいつもそんな芳醇が香りが漂ってきた。この匂いによる侵略に勝る軍勢などいないだろう、これは兵器である、戦争を平和的に解決する兵器である。将来戦争を回避するとか言っていたサラに教えてやりたい。これこそが最強の兵器だと。

 そしてこの香りがサラの鼻腔をくすぐったらしい、ご飯ご飯という鼻歌と共にお腹のなる音が聞こえてきた。全く恥ずかしくないのか、この女性は。


「よし!! 完成だ!! 今日の夕飯はカーレーッスだ!!」


「カーレーッス!!」


「カーレーッス?」


 リリィちゃんは初めての言葉と初めての香りに戸惑っているようだ、東方の文化はまだ万人に広がっているわけでは無いらしい、こんなにも素晴らしいのに。しかしリリィちゃん、幸運に思ってほしい!! 今日ここで東方の文化のその一角を堪能できることを!!!!


「まぁ見た目はあんまり美味しくなさそうだけど、一度食べたらこの食べ物、やみつきになるのは間違いないし、次からこの食べ物を見ると食欲は何故か増してしまう代物さ、一度食べてごらん、リリィちゃんも!」


「「「いただきます」」」


 緊張の瞬間、リリィちゃんは無論、サラもカレーッスを食べるのは初めてのはずだ、俺の舌には合ったがこの二人に合うとは限らない、まぁ、サラの場合嫌いな食べ物など無いと思うのだが、ちょっと気になるのでいつか聞いてみよう。


 二人はスプーンを使ってカレーッスを掬う、カレーッス独特のとろりとした液体、これをルーというらしいが、そのルーがスプーンからとろとろと落ちていく様がまた美しい、このとろみが無いと表現できないような速度と口から器までの間という絶妙な距離が織り成す美しさなのだろう。

 サラはぱくりと口の中に入れ、リリィちゃんはふぅふぅと息を吹きかけて少し冷ましてからあまり唇にルーが付かないように慎重に口の中に入れた。


「見た目からは想像できないほど味に深みがあるだろう!!」


 とうとう、抑えきれずに感想を聞いてしまう、我慢して味を楽しむ時間を自由に与えてやりたかったが無理だった。よく考えたら二人の反応が楽しみすぎて自分のカレーッスを食べる事を忘れていた。


「ええ、美味しいわ! 確かに見た目からは全く想像のつかない味ね! 複数の味が混ざり合っているのに喧嘩していない、寧ろ互いに味を引き立たせている様な感じね」


 さすがサラ、料理の事となると……訂正します…………料理に関しても鋭い! そう、このカレーッスは複数のスパイスを用いて作られているのだ。


「確かに美味しいですけど、私には少し辛い気もします」


「リリィちゃんは辛いの苦手なのね、じゃぁこのケイチョウの卵をそこに落として、かき混ぜて食べてごらん、見た目はこれ以上ないほどに悪くなるけど、最悪の見た目をした最強の食べ物になるんだ。

 はい、ケイチョウの卵」


「有難うございます。ではそうさせてもらいますね」


 そしてリリィちゃんは俺が言った通りに卵を入れてカレーッスをかき混ぜる、見た目はどんどん悪くなる、リリィちゃんが後悔していないか不安になる程には見た目が悪くなった。


「あ、あのこれ、本当に食べられるんですか?」


「あ、うん、あー見た目は悪くなるって言ったよね、うん。

 ほら、うん、でもほら食べられるからね、安心して! 食べたらびっくりすると思うよ、だって本当に美味しいんだもの!!」


「わかりました、そこまで言うなら食べます!!

 ……あ、美味しい! 凄く美味しいし食べやすくなりました。まろやかなのに、味に深みがあります!!」


 どうやらリリィちゃんもカレーッスが気に入ってくれたみたいで良かった。

 よしこれで自分の分のカレーッスが落ち着いて食べられるぞ……あれえ? おかしいなー? 俺の分のカレーッスが器ごと消えているよー。

あれ、マジで何処に行った、もしかして入れ忘れた? まさか、自分の分を忘れるなんてあるはずない、たとえあったとしてもそれは云十年も先の話だろう。さてどこにいったのやら。

 とりあえずきょろきょろとまわりを見渡してみる。サラの前にお皿が重ねてある、リリィちゃんは美味しそうににこにこしながらカレーッスを食べている、可愛い。


 ふむ、しかしお皿が無いというのも神妙な……ん、お皿は皆さん一つのはずですよね、俺にはお皿がありませんね、リリィちゃんにはお皿が一枚ありますね、サラは、お皿が重ねてありますね、って二枚あるじゃん。


「サラてめぇ!! 俺のカレーッス食べやがって!!」


「え、ずっと食べていないからいらないのかと思ったわ」


「いらないならなんでいらないのに自分の分も用意するんだよ!!」


「それは、ほらいざ準備してみたけどなんか食欲湧かないわって時、あるじゃない?」


「あるけど……けど今日は食欲あった。あぁ俺のカレーッス……」


「悪かったわ、本当にいらないと思ったの」


 どうやらサラに悪気が無いようなので責めるにも責められない、かと言って夕飯がないのは問題だ。


「あの良かったら私のパン食べますか」


「パン? パン持ってるの?」


「はい、非常食として常に持ち歩いているんです、カレーッス程お腹は膨れませんが、無いよりはましかと思いますよ」


「有難う!! 本当に助かるよ!!」


 こうして夕飯無しは逃れた。


 それにしても本当にクエストの達成状況を報告するとすぐにお金が貰えたので驚いたが、すぐに収入が得られるのはありがたい。


 首都にも勿論ギルドは有るので、これで首都まで行ってもなんとか暮らしていけそうだ。

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