第3話 明晰夢・俺は眠っている。
「お、おう……って、えっ?」
思わず調子を合わせて挨拶しようとした耕祐が、我に返ってぎょっとした。
足下を見ると、床には見覚えのある赤と白のタイルが見て取れる。
廊下の両側にひしめき合っている店先の展示は、派手やかさはなくディスプレイというよりは倉庫の棚と言った雰囲気の物だったが、シャッターは取り払われ、誰の目からも営業中であると理解出来た。
焦って回りを見渡すと、自分が通路を行き交う人混みの中で、リンと向かい合って立っている事に気づく。
「昨日の……」
言って、はたと耕祐は考える。
慌ててズボンのポケットからスマホを取り出す。
今日1月25日の日付と月曜日の表示。
時間の表示は無い。
月曜日と言う事は日曜日の翌日。
「昨日の明日」
耕祐が独り言のように呟いた。
「どーしたの・?」
リンが不思議そうに覗き込む。
「まってくれ、ちょっとまってくれ」
そういって耕祐は、右手で自分の頬をなでつけた。
月曜日。
今朝。
自分はいつもより2時間早く起きてしまい、出勤時間までなにげにだらだらとテレビを見て過ごし、会社に行った。
会社での仕事はいつものとおりだったが、ふとした弾みで前日の夢を、その中で出会ったリンの可愛らしい姿を反芻して、女々しく微笑みなどを浮かべてしまっているのに気づき、そんな姿を誰かに見られてしまっていないかとか、ずっと回りを気にして1日を過ごした。
そんなわけだから、仕事はいつもの8割ほどしか処理できなかったが、妙な強迫観念に取り憑かれることもなく。
早々に見切りを付けて夜半間際に帰宅、床についた。
そうだ、まだ自分は布団の中にいるはずなのだ。
耕祐は、自分が『今、眠っている』事を確信した。
「ねぇー、ま・だぁ?つまんなあい」
リンがそういって、地団駄踏むように足踏みした。
「ちょ、あ、あと5分」
再び耕祐は考える。
明晰夢という物があると聞いたことがあった。
これは自分の夢であると自覚していながら見る夢のことだと言う。
前頭葉が半覚醒状態である時に起きる現象で、俗に心霊現象として言われる『金縛り』などもこの状態の時に起こると言われる。
金縛りとの違いは、金縛りが、自分は眠っているのに起きていると自覚してしまい、身体の自由などがきかないことにパニックするのと違い、明晰夢は、自分が夢の中にいることを認識できているので、夢の中で意志を持ったまま行動できると言うようなことらしい。
「5分経ったよぅー!」
「経ってねぇよ!」
状況を整理する。
昨日の夢は、クスリによる幻覚症状ではないかという懸念がある。
リンは夢の中の住人だと、今朝の段階で理解した。
ここに、自分の目の前には今、リンがいる。
つまり、今、自分は眠っている状態であり、この状況は明晰夢である。
スマホに時間の表示がないのは故障というより、リンと会話しているという現在の状況から、現実との差異。
『夢だからしょうがない』のだと考えるのが妥当だろう。
そうだ、コレは夢なのだ。
「つ・まんない。コウスケなんかカエレ!」
リンはそういうと、床を踏み抜く勢いで耕祐の足を踏んづけた。
「いってえぇぇぇぇぇ」
悲鳴を上げる。
回りを行き交っていた客達が、何事かというように立ち止まったが、二人の姿に一瞬目をとめると、またすぐ何事も無かったように動き出す。
そんな中、耕祐は、たった今、証明完了したはずの現状を吹き飛ばすほど、生々しくも激しい痛覚にその場で悶絶する。
そして、夢ではつねられても痛くないという通説は俗説だったのだなと妙な関心をした。
「オーケー、わかった。粗方理解した」
耕祐は踏まれた右足の甲を反対側の足の踵でさすりながら、リンに向き直った。
これは夢なのだ。ならば、訝しんだり、躊躇したりするのは馬鹿らしい。
むしろ、無意味だ。
何が起こっても、決して慌てたり驚いたりする必要は無い。
夢なのだから。
むしろ、明晰夢というこのレアな現状を楽しむべきだ。
「それじゃあ、これから何をしようか?」
「なに言ってん・の?」
耕祐の言葉にリンが軽蔑に近い眼差しを向けた。
「ここは秋葉原だ・よ?遊ぶに決まってるジャ・ン!秋葉原に来る目的はそれしか無いで・しょ?」
言うが早いか、リンは耕祐の腕を掴み走り出していた。
「あ、おい、ちょっと!」
引きずられるように走り出しながら、耕祐がリンに尋ねる。
「ここは、やっぱ、秋葉原なのか?」
「どこだと思ったのさ?自分で来たんだ・よ?」
そう言ってリンがあはははと声を立てて笑った。
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