第3話
「それで有り金全てをこの枯葉に注ぎ込んだ挙句、仕事まで辞めて冒険者になろうとしたのか?」
「だって! 今なら専属で永続的に全て貴女だけに卸します! って言うんだもの! 凄かったのよこの葉っぱ!」
今なら貴女だけにって……それって常套句だろ。
「今日の昼までは……だろ? 昼間の暑さで化けの皮が剥がれたんだな」
「それでも! 荷物を軽くする魔方陣で二割も軽くなるなんて快挙だわ!」
「売った商人はもう居ないだろうけどな」
彼女は真っ青な顔を上げ、驚愕の表情で俺をみつめる。
「いや、そりゃそうだろう? 全財産を巻き上げてこれ以上絞り取る事も出来ないんだから、これ以上しゃぶっても旨味なんか無いだろうし、今日は朝から暑かったからな、旨味の無くなったカモが騒ぐ前に次の狩場へ移動しているだろうさ」
ガックリと肩を落とし、ハイライトの無くなった瞳でブツブツと物騒な事を呟く彼女に少なからず同情した俺は、鞄からネット通販で取り寄せたあんパンを取り出して彼女に向かって放り投げた。
「まあ、腹が減っていたら碌な考えが浮かばないもんだ。これでも食え」
「ありがとうって……これ何?」
「パンだ」
彼女は自分の鞄をゴソゴソと漁り始めたかと思えば、携帯用の筆らしき物を数本取り出して、あんパンが包装されているビニール袋にゴチョゴチョと文字を書き出した。
「インクが弾いちゃう……油か蝋が表面に膜を張っているのかしら……それとも結界? ねえ? この紙は何なの? こんな透明な紙は見た事がないわ! 大型昆虫の翅か何か?」
ああ……そっちに食いついたか、大人しくあんパンに食いついてくれれば良かったのに……
「その紙には少し仕掛けがあってな、どら貸してみろ」
彼女は大人しくあんパンを俺に渡して来たので、ビニール袋から取り出したパンを彼女に渡して空になったビニール袋を焚き火の中へと素早く焼べた。
「あ! ちょっと! なんて事をするのよ!」
焚き火に焼べられたビニール袋は勢い良く炎をあげて燃え始めたので、彼女は炎の中から拾い上げる事が出来ずにこちらに恨みがましい視線を送って来る。
「世紀の大発見かも知れなかったのに!」
「世紀の大発見をしたらしたで、またクズみたいな奴が沢山寄って来るぞ」
痛い所を突かれたのか彼女は視線をあんパンに移すと訝しげに匂いを嗅ぎだした。
「パンみたいな香りがするけど、パンではないわね……」
「パンだぞ」
「生焼けじゃないこのパン!」
ふにょふにょとあんパンを指で押し、俺に抗議する。
「キチンと焼けてるぞ。普通のパンよりも空気を多く含んでいるんだ。食わないなら俺が食うから返せ」
「生焼けだったら返すわよ!」
彼女はむぐむぐと咀嚼しながら今食べたばかりのパンの断面を凝視している。
「この黒いのは? 甘いけど色が不安だから教えて」
「豆と砂糖を煮詰めて作ったジャムだ」
「豆のジャムって……」
「要らないならかえせ」
「要るわよ!」
返すのが嫌なのかバクバクと勢い良く食べ始めるとあっという間にたいらげる。
「不思議な食べ物ね、初めて聞いたわ豆のジャムなんて」
「そうか、口に合ったなら何よりだ」
辺りはすっかり夜の闇に包まれて山の木々が軋む音にビクつく時間帯になっている。
「ねえ、さっきの不思議な紙なんだけど」
「もう無い」
「紙じゃなくて、紙に文字が沢山書いてあったんだけど……あの不思議な紙に書き込めるインクも在るって事よね?」
今度はそっちか……
「在るけど、俺は持ってないぞ」
「貴方は何処から来たの? あのパンは何処で購入したの?」
ああ、目立ちたく無い主人公の気持ちが今なら解る気がする。
「それにあのパンの包み紙に書いてあった文字なんだけど、アレって古代文字よね?」
「古代文字?」
彼女は積み重なった焚き木の中から手頃な小枝を手に取ると、地面を引っ掻き文字を書いていく。
俺の読み慣れたアラビア数字、この世界では見慣れない文字だった。
識字率の低いこの世界でも文書は存在するが、俺が目にしたのは冒険者ギルドだけであった。
ギルドの受付嬢が読み上げサービスをしてくれているので苦労する事はなかったが、元の世界とは違う文字にいささかげんなりとしたので覚えている。
「この文字は数字を表していると言われているわ。他にもいくつか紋章経典に書かれていた文字が包み紙に書いてあった。あなた流暢に言葉を話しているけれど、この国の人間ではないわね?」
彼女は俺に対してドーンと音が出そうなくらいに人差し指を向けた。
「それで?」
「それでって……」
「俺が何か悪さをしたか? 税金も支払っているぞ? 何か困った事があるのか?」
「古代文字に関した物を持っているなら、何か不思議な物を持っていてもおかしくないわ」
「それを取り上げてどうするんだ? 街中にいるクズ達みたいに俺から取り上げて金儲けでも考えているのか?」
「そんな事は……」
「もう疲れたよ」
俺は久しぶりに故郷の文字を知っている人間に会えた所為か、クズに騙された被害者に自分自身を重ねてしまった所為か、此方の世界に来てしまってから如何にこの世界にウンザリしているか、如何に自分が詰んでいるかを早口でまくし立てた。
自分の信じたネット通販能力を使いこなせなかったストレスを赤の他人にぶつける様に話した後に、一つ深呼吸をして彼女に声のトーンを下げて話しかける。
「雪の様に白い紙、闇の様に黒いインク。これの事だろ?」
ネット通販で取り寄せたミニ色紙とサインペンを彼女の前に取り出して、サラサラと色紙にイタズラ書きを書いて見せた。
ガツン!
視界に散った火花と、顎に走った激痛と、俺に馬乗りになってナイフを構える彼女を見て殴り倒された事を理解する。
「もっと……もっとあるんでしょう? 出しなさいよ! あるだけ全部出しなさいよ!」
俺の首にナイフの腹を減り込ませてヒステリックに叫ぶ彼女。
「これさえあれば、あたしは! 紋章士の頂になれるんだ! 魔方陣の真理に近付けるんだ! 早く! 早く全部出しなさいよ!」
焚き火に照らし出される彼女の唇はカチカチと音を立てて震えている。
「全部出して、全部奪って、俺を殺して、その後はどうするんだ?」
「魔方陣の真理をこの手に掴むのよ!」
「ナイフを突き付けて奪えるなんて随分とお手軽な真理だな」
「貴方になんか解りっこない! 紋章士の頂になれる名誉なんて貴方になんか……」
ナイフの腹が喉元に添えられたままブルブルと震えている。
「わかるさ……」
「!」
「今のお前の目、街にたむろするクズ達と同じ目をしているからな」
「なにを……」
「雪の様に白い紙も、闇の様に黒いインクも、ただの物だよ。真理でも頂でも無い、単なる物だ。無くなればそれで終わりだ。そんな物の為に人の命を平気で踏み躙る奴の掴んだ真理なんざ、たかが知れているさ」
彼女は肩で息をしながら俺の首元に突き付けていたナイフを大きく振りかぶる。
ああ……次があるならネット通販能力だけはやめておこうかな……
願わくば次の人生はクズの少ない世界で生まれたいものだ。
「うううううう!」
力んだ彼女が身体ごと倒れこむ様にナイフを振り下ろし、俺は目を閉じた。
ドスン!
歯を食いしばりこの後に襲って来る痛みに備えて身を固めていると、思ってもいない頰からじくりとした痛みが襲って来る。
何があったのかと恐る恐る目を開くと、顔のすぐ横に彼女が持っていた筈のナイフが地面に突立ち、ついでの様に俺の左頰を切り裂いていた。
「痛えなおい!」
「煩い! 黙って見ていなさい!」
未だ俺の上に馬乗りになっている彼女はその両手を自分の服に持って行くと、もどかしげに上着を脱ぎ捨てて行く。
なんとも色気の無い脱ぎ方だ。
「ちゃんと見ていなさいよ!」
上半身裸の彼女はすっかり目が座っている。
「見ろと言われれば嫌いな方ではないから見るが、色仕掛けにしては勉強が足りないんじゃないのか?」
「煩い!」
いつのまにか手にしている携帯用の筆で自分の左胸の上にサラサラと魔方陣らしき物を書き始めているが、こちらとしては魔方陣の知識など持ち合わせていないので何やら特殊なプレイとしか思えない。
「我が意志を持って誓う!この血を持つ者に永遠の隷属を!」
俺の右手をむんずと掴み上げ、ナイフで流血した左頬に擦りつけるとその手をそのまま書かれたばかりの彼女の左胸の魔方陣へと導きはじめる。
「お、おい」
むんにゅ
柔らかい……
ほんのりと幸せな気分を台無しにする様な電撃が俺の右手を襲う。
「ぎゃあ!」
「ぐっ!」
苦痛に歪む彼女の顔が俺の視線に気付くと不敵に微笑んだ。
「他人の命で真理を掴んだりしない、私の命、私の人生全てをかけて真理を掴んで見せるわ!」
「は?」
「隷属魔方陣を自分に使ったのよ! 貴方があたしに死ねと命令すればすっごく嫌だけど死んであげるわ! 貴方が死ねば自動的にあたしも死ぬわ。そんな魔方陣を自分の身体に書いて自分の意志で宣誓したのよ」
「消せ」
「もう無理」
クズはクズでも厄介なクズが釣れたもんだ。
街のクズ達よりは随分とマシなクズだけどな……
「旦那様これから末永く宜しくね、運命共同体なんだから勿論アレの方もね」
「エロい方か?」
「紙よ! インクよ! ばっかじゃないの!? 求められれば断れないと思って調子にのってんじゃないわよ!」
「断れないのか?」
「あ……」
先ずはコイツの馬鹿を治すのが先決だな……
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