3 leksuya tsem!(王国のために!)

 こんな正義は狂ってる。

 しかし、イシュリナスにとっては「正義」なのだ。

 力さえあれば正しい。

 それが、イシュリナス神の正体に限りなく近いように思える。

 だからこそ人々が力の象徴と考えた「騎士の神」でもある。

 ただ、まだなにか大事な点を、自分は見落としている。

 それがなにか、答えに近づいているのはわかっているのに、どうしても届かない。

 そんなことを考えている間にも、状況は悪化していた。

 イシュリナス騎士団は、ついにエルナス市民を「暴徒」と認定し、彼らの殺戮を始めた。

 だが、もはやいまのイシュリナスはただの圧制者だ。

 神託をうけての行動だから、王家などはこれには関わっていないだろう。

 いままで、モルグズはこの世界にきてから、恐ろしい目に数えきれないほどあってきた。

 それでも、これほど恐ろしい、と感じたことはないかもしれない。

 神の正義のもとに、人を殺す。

 地球の歴史でも、似たようなことはいくらでもあった。

 もっとも有名なのは、キリスト教徒がイスラム圏の人々に対して行った十字軍の蛮行だろう。

 異教徒から聖都を奪還する、という美名のもと、大量の「異教徒」が殺戮されたのである。

 第四回十字軍のときは、ほとんど質の悪い冗談のような愚行が行われた。

 同じキリスト教徒であるはずの、ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルが、徹底的に略奪されたのである。

 十字軍はローマ法王庁の統べるカトリックであり、ビザンツは東方正教会という宗派の違いはあるが、それでもキリスト教徒同士で神の名のもとに殺し合ったことになる。

 イシュリナスは、一神教の負の側面だけを集めた神のようにすら思えてきた。

 やはり、徹底的に叩く必要がある。

 こんな愚かな神のために、ヴァルサは殺されたのだ。

 許せない。

 赦さない。

 イシュリナスの騎士たちは、はじめのうちは民衆を圧倒していた。

 装備も練度もあまりにも違いすぎる。

 とはいえ、重装騎兵にも弱点はある。

 そもそも騎兵は、本来は野戦でその最大の威力を発揮するのである。

 エルナスは大都市ではあるが、メディルナ街道のような幅が広く、整備された道だけではない。

 むしろ横道は馬も通れない幅のものが結構、あるのだ。

 「仲間」を殺された民衆たちは、逆襲を始めていた。

 一度、細い路地に入ればそこから先は騎士たちは追いづらくなる。

 誰が教えたわけでもなく、生き延びることを考えれば人は必死になる。

 殺されるところまで追い詰められた人間は、時としてとんでもないことをするものだ。

 モルグズが一時的に逃げ込んだ路地では、粗末な短剣や縄を持った男たちが、一騎の騎士の馬の足に綱を巻いていた。

 一人は、馬蹄で蹴飛ばされ壁にぶつかったまま動かなくなったが、もう一人は馬の前足を縄で縛ることを成功させ、ぐっとひっぱっていく。

 派手ないななきとともに馬が体勢を崩し、不自然な格好を維持できずにそのまま足が折れた。

 あわてて騎士が反撃しようとしたが、面頬の狭間に、刀身を水平にした短剣を突きこまれて、騎士は絶命した。

 あちこちから、怒号と悲鳴が聞こえてくる。

 イシュリナスは最悪の選択をしたことに、気づいているのだろうか。

 追い詰められた人間を敵にまわすとは、つまりこういうことなのだ。

 そして、数の問題がある。

 イシュリナシア騎士団の総数は、五千ほどだという。

 だが、いまエルナスにいるのは、せいぜい千、どんなに多くても二千はいない。

 北のグルディア、東のイオマンテの防衛のためにも、兵力を集中させるわけにはいかないのだ。

 それに対し、エルナスの人口は十五万だ。

 さらにいえば、二千の騎士がいたとしても「馬鹿の罰」で臥せっている者も多いだろう。

 こうして考えるとなんとも皮肉な名前の病名だ。


 leksuya tsem!(王国のために!)


 あちこちで、そんな声が聞こえてきた。

 つまり、民衆はイシュリナスをすでに「王国の敵」と認定したのだ。

 ここまでくれば、王家もうかつに王家直属の白銀騎士団を動かせなくなった。

 民衆、というより暴徒たちは、あくまで「王国のため」という大義のもと、イシュリナス神を敵にまわしている。

 白銀騎士団、そして王国軍もまた、これで非常に動きづらくなった。

 もしここで彼らが戦力として投入されれば、さらに厄介なことになる。

 今度は「王家や王国までもが暴徒からの攻撃の対象となる」のだ。

 いまのところ、白銀騎士団も、王国軍もまったく動いた様子はない。

 むろん、モルグズも広いエルナスの都すべてを見通せるわけではないが、なにかあったら噂くらいは伝わってきてもよさそうだ。

 なるほど、とモルグズは思わず笑った。

 この国の国王は、決して馬鹿ではない。

 ネスファーディスの助言もあるのかもしれないが「白銀騎士団や国王にとっては、実は今回の騒乱は歓迎すべきもの」という可能性すらある。

 イシュリナシアは決して一枚岩ではない。

 もし、イシュリナス寺院や騎士団が最近、あまりにも力をつけすぎて邪魔になってきた、と「誰か」が考えたとしたら。

 むろん、かなり危険な賭けではある。

 一歩間違えれば、王国そのものの屋台骨に罅が入るからだ。

 ただ、ひょっとすると、また自分はうまい具合に利用されたのかもしれない。

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