2 tenav suyvezo.fayuv suynupo elnasule.(船を使う。海からエルナスへ入る)

 当然ながら、海に門を設けることはできない。

 有事の際は、鎖などを使って軍艦の進入を阻むことはありうるが、いまのエルナスは病が流行してはいるとはいえ、他国の軍艦を警戒しているとは思えなかった。

 宿敵のグルディアはそもそも内陸国だ。

 もちろん、海賊やセルナーダとは違う地域からアクラ海にやってくる軍艦に対する備えはしているだろうが。

 モルグズたちが海路を使うことを、ネスファーディスも想定はしているだろう。

 それでも、門に比べれば、海路で進入を防ぐことは難しい。

 むしろ、いままで海路を想定しなかった自分が、迂闊だったのだ。

 言い訳はしたくないが、やはり体力の低下で思考力も落ちているのかもしれなかった。


 tenav suyvezo.fayuv suynupo elnasule.(船を使う。海からエルナスへ入る)


 それを聞いて、みなが体を震わせた。

 なんとなく、理由はわかる。

 彼らは海というものに慣れていないのだ。

 いまも口をぽかんと開けて、信じられないものをみる目でエィヘゥグがアクラ海を見つめている。

 レグゼリアもウォーザの民の集落で育ったので、海を目にしたことはないはずだ。

 ティーミャはグラワール湖には馴染みがあるはずだが、やはり海は別物、という意識が強いのが、顔がこわばっている。

 さらに彼らが恐れているものの正体も、見当がついている。


 to usuyito ci cu?(お前たち、泳げるか?)


 予想通り、レクゼリアとエィヘゥグはかぶりを振った。

 ただ、さすがにティーミャは泳げるらしい。

 彼女はグラワール湖沿いで育ったのかもしれないが、また別の理由も考えられた。

 ティーミャは、水魔術師なのである。

 魔術印の習得には、発音や印の形を覚えるだけでは不完全だ。

 実際に魔術印の扱うものを体感することも、必要になってくる。

 当然、普段からティーミャは水に親しんでいるだろう。

 水の性質を体得するので一番、早いのは水中を泳ぐことである。

 だから、彼女は泳げるのだ。

 おそらくこの世界には水着などというものは存在しないので、やはり裸で泳ぐのだろう。

 衣服を着たまま泳ぐのは、危険である。

 一体、ティーミャの裸身はどうなっているのかとつい想像してしまい、いきなり股間が異常なほどに熱を帯びた。

 自分でも狼狽したほどだ。

 どうしても、ティーミャをヴァルサに重ねてしまっている。

 だが、それのどこが悪い?

 いっそのこと、彼女を抱いてしまえばどうだ?

 別にそれは、悪いことではないぞ?

 黙れ、と自分にむかって叱責した。

 もしそんなことをすれば、今度はレクゼリアが激怒する。

 最後の最後で、女性関係が原因で計画が破綻するなど、冗談ではない。

 もっとも、計画といってもとりあえずイシュリナス寺院を襲撃するという、ずさんきわまりないものだったが。

 ふと、ティーミャが顔を赤らめた。

 いつのまにか、彼女の顔や体を、凝視していたからだ。

 それでも、彼女からは不快感は感じられなかった。

 女性たちの多くは、男性に性的な視線で見られた場合、嫌悪、場合によっては恐怖を感じる。

 自分の容姿や性的魅力に自信のある者はそれをむしろ好むこともあるが、あまり一般的ではないだろう。

 ただし、それは「相手が自分となんの関係もない、あるいは嫌いな種類の男性だった場合」である。

 好感を抱いている場合は、話が違ってくるのだ。

 また、モルグズはぞっとした。

 すっかり忘れていた。

 この半アルグの肉体が人間の女性を惹きつける強烈な性フェロモンを発散し続けていることを。

 さらにいえば、あの宿屋だけではなく、レクゼリアとの赤裸々な性行為の場面を、ティーミャは見ているのだ。

 まずい。

 彼女はたぶん、あまり色恋に慣れていないように思える。

 だからこそまずいのだ。

 十六歳くらいの少女の恋愛感情は、暴走することも珍しくない。

 もっといろいろと経験を踏めばしだいに男女の関係がわかってくるが、未経験だとそのあたりの加減がわからないのだ。

 そして、自分の心の危うさもまた、モルグズは意識していた。

 改めて、リアメスを呪いたくなる。

 その老獪さが腹立たしくなる。

 まだ自分の心がヴァルサに呪縛されていることを、あの老婆は魔術など使わずともとっくに見抜いている。

 そして傍らにヴァルサに似た少女がいれば、こちらの心情がどう変化していくか、それは理解できているはずだ。

 そもそも今回、イシュリナス寺院を叩くためにエルナスに行くのも「ヴァルサの仇討ち」以外の、何者でもない。

 それでもイシュリナシア王国を滅ぼしたくないのは、彼女がこの国を愛していたからだ。

 つまり、モルグズの思考は常にヴァルサを中心にして回っている。

 さらにいえば、自分のなかにある種の心残りがあることを、モルグズは意識していた。

 なぜ機会があったのに、ヴァルサのことを抱いてやらなかったのだろう。

 彼女がまだ、十四歳だったから。

 だが、それは現代日本の倫理観である。

 そもそも前世で殺人鬼だった者が、なぜそんな倫理観に縛られなければならないのだろう。

 本当は、怖かったのかもしれない。

 ヴァルサを愛しすぎていたがゆえに、かつてのように「自分が冷たい女をもとめていて、実際にヴァルサとことに及んだら失望してしまうのではないか」と、恐怖していたのではないか。

 つまり、臆病だったのだ。

 だから、手を出せなかった。

 アースラとのときは、なんの抵抗もなく欲望に従った。

 別段、彼女を愛してなどいなかったからだ。

 たぶん、あちらも同じことだろう。

 ただ、性フェロモンはある程度、影響していたかもしれないが。

 ふいに、視線を感じた。

 凄まじい目つきで、レクゼリアがこちらを睨んでいる。

 そこでモルグズは、失敗を悟った。

 自分がいままで、ずっとティーミャを凝視し続けていたことに気づいたのだ。

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