10 isxurinas ers mig rxo:bin zeros.(イシュリナスはとても恐ろしい神だ)

 mogoto isxuridaszo cu?(お前はイシュリダスを憎むか?)


 当たり前だ、と言いたいのだが、この感覚はなんなのだろう。

 ウボドもイシュリナスも、モルグズからすれば五十歩百歩のおぞましい神である。


 kilnoto zev isxuridasle.(お前はイシュリダスと戦わねばならない)


 そんなことは言われずともわかっている。

 ただ、アクセントのある音節でもnがdに変わっているのは、方言にひきずられた蔑称なのかもしれなかった。

 なぜ鼻音が非鼻音になったのかはわからないが、mという同じような鼻音がまだグルディア訛り話者の間で残っている時点で、奇妙な話だとは思っている。

 リアメスの都では、mがbにしか聞こえなかった話者もいたとはいえ、いままで経験してきた限り、なんだかこの世界の言葉の音韻変化には地球の言語からすれば違和感を覚える。

 とはいえ、今はそんなことを考えていても意味がないのだが。


 bo aln yanbob tuz.(我々ばお前にあらゆる協力をする)


 それはありがたいのが、その前に聞いておきたいことがあった。


 sxafum sxulv isxurinasle meg.(イシュリナスについて詳しく知りたい)


 すると、大僧正は言った。


 isxuridas ers wagtin zeros.(イシュリダスは謎めいた神だ)


 ウボドも似たようなものではないかとも思ったが、余計なことは言わなかった。


 uldqe isxuridas erig qu+sin i+sxuresma zeros.gow jen isxuridas ers va:nisma zeros.ers mxuln.(かつてのイシュリダスはぷつうの騎士の神だった。だが今、イシュリダスは正義の神である。奇妙だ)


 ある男がイシュリナスに出会い、その男を中心としてイシュリナシアという国が建国された。

 セルナーダで人類が絶滅寸前にまでいったときに、それは起きたのだ。

 もしイシュリナスがいなければ、そのままセルナーダの地の人々は、本当に死に絶えていたかもしれない。

 それと少し遅れて、イオマンテも建国されている。

 なるほど、イシュリナスはある意味では、救世主のような神と見なしてもおかしくはない。

 なぜただの騎士の神が、正義の神となったのだろう。

 それからいろいろと問いただしたが、ウボドの大僧正さえ、正体はわからないようだ。

 とはいえ、モルグズはこの世界の人間でさえ知らない、神々の秘密を知っている。

 彼らは人々の無意識から生まれるのだ。

 邪悪な行為が横行し、助けを求める人々の願いが、強い存在、つまり騎士という姿に投影されてイシュリナス神が新たに正義の神としての側面を持った、ということは考えられないだろうか。

 たぶん、だいたいはそれで会っているのではないかという気がするが、それとイシュリナス信仰の持つあの残酷とも思える側面が、うまくつながらない。

 なぜイシュリナスは、ヴァルサが無実だと知りながら僧侶たちを止めなかったのか。

 あるいは、神罰を与えなかったのか。

 ただこれは「正義とはなにか」という、非常に難しい問題とも直結している。

 一神教的な「絶対の正義」というものが存在するとは、モルグズは考えてはいない。

 しかし、それを求める人々がいるのならば、話は違ってくる。

 イシュリナスは絶対の正義の体現者、と人々が望んでいるとなれば。

 独善、偽善もイシュリナスが認めれば「正義」となる。

 背筋が寒くなってきた。

 ウボドは邪神というほどではないだろうが、正直にいって好きにはなれない。

 感情をなくせば確かに苦しむことはなくなるだろうが、それは良い意味での人間性の喪失にも繋がる。

 昔、どこかでウボド騎士団の騎士たちは死を恐れずに戦うと聞いた気がするが、たぶん事実だろう、と今のウーダスを見ていると思う。

 ガスティスが求めた虚無が、ウボド信仰には存在する。

 ヴァルサのクローンを大量に魔術的につくることは、正義か。

 少なくとも、モルグズにとっては答えは否だ。

 だが、イシュリナスにとっては、それは悪なる存在であるモルグズを捕らえ、知識を有効に活かすための「正義の行い」なのかもしれない。

 そもそもなにが正義かは、文化や社会、あるいは時代によってころころ変わるものだ。

 たとえば共同体内での殺人、窃盗などを裁くことは「正義」かもしれない。

 ただその裁き方も、たとえば法治主義国家においては、個人、もしくは集団による、法に乗っ取らない私刑であれば「悪」となる。

 さらにいえはナチス・ドイツがユダヤ人に対して行ったホロコーストなどは、誰が考えても悪のように思える。

 しかし、当時のドイツではユダヤ人であると官憲に密告することは「正義」だったし、もしドイツが戦争に勝利していれば、現代の地球でも「正義であり続けた」かもしれないのだ。

 さらにアメリカが日本に対し、原子爆弾を使用したことを「正義」と考えることは、日本人には難しい。

 だがアメリカからすれば、それは本土決戦を予定し、さらに数十万、場合によっては数百万の死者が出ることも覚悟していた日本を思いとどまらせ、終戦に持ち込んだということで「正義」なのだ。

 かつてアルデアが言っていたように、正義について考える、というのは非常に難しいことなのである。

 だが、この世界では現実にイシュリナスという「正義の神」が存在している。

 その「正義の定義」は、どこにも示されていないままに。

 「恣意的に正義が決められる」ことほど、恐ろしいものはない。

 改めて、本質的な意味でイシュリナス神という存在に、慄然とさせられた。

 正義神を名乗ってはいるが、イシュリナスとはつまりは「独裁者」なのだ。

 正義は、彼が決める。

 法治などという概念は、そこにない。

 正義は、彼の僧侶たちが決める。

 僧侶の正義は「神が担保してくれる」。


 isxurinas ers mig rxo:bin zeros.(イシュリナスはとても恐ろしい神だ)


 それを聞いて、ウーダスも、リアメスもうなずいた。

 何度、思ったかわからないが、本当にこの世界にはろくな神がいない。

 しかし、そのなかでもイシュリナスは飛び抜けてたちの悪い神といえるだろう。

 正義神の皮をかぶった邪神、といっても間違いではないかもしれない。

 これから自分は、その強大な力を持つ神に、挑まねばならないのである。

 たとえウボド教団の支援をうけても、どこまでやれるのだろうか。

 さらに難しいのは、別にモルグズは「イシュリナシアを滅ぼしたいわけではない」ということだ。

 ただこのあたりはうまくやらないと、ウボド神やグルディアに利用され、ヴァルサの愛したイシュリナシアという国そのものまで、滅ぼしてしまうかもしれない。

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