5 nap sxalto foy vaz cu?(お前は私が誰か知っているだろう?)

 一体、この馬車のなかにどれだけの間、過ごしていたのかはわからない。

 しかし、いま眼の前にいるこの老婆は、本当に伝説のあの老魔術師なのだろうか。

 紫色の長衣をまとい、同じく紫に近い瞳をもつ彼女はずいぶんと小さく見えた。

 かつて訪れた、あのリアメスという都の名は彼女にあやかって名づけられたという。

 だが、いま自分の目の前にいる老婆は、ただの気の良い老婆にしか見えなかった。

 魔術師の外見に騙されてはいけないと、理解はしているのだが。


 citsogo cu?(苦しかったかね?)


 その言葉を聞いてなぜか泣きそうになった。


 mende era ned.(問題ないよ)


 彼女は、優しい声で言った。

 リアメスというのは、グルディアにとっては偉大な女魔術師だが、それでも決して温厚な女性ではなかったと聞いている。

 あまり彼女について詳しいわけではないが、地球の歴史上の偉人と同様、実際はかなり残酷なことをしたりもしていたようだ。

 なのに、なぜ急に安心したのだろう。

 なにかおかしな魔術でも使われたのだろうか。

 こちらに近寄ってくると、リアメスに、自分より遥かに小さな老婆に抱きしめられた。

 彼女はグルディアでは英雄の仲間であり、イシュリナシアではたぶん、忌むべき魔女なのだろう。

 だが、そんなことはどうでもよかった。

 なぜ自分が泣いているのかすらわからないまま、モルグズは老婆をきつく抱きしめた。

 それはほぼ本能的な感覚だった。

 理由はわからないが、彼女と自分は、どこかで似ているのだ、と。


 voni:r(きな)


 久々に馬車の狭い空間から外に出て少しは開放的な気分を味わえるかとも思ったが、街のあちこちから呻くような、嘆くような人々の声が聞こえてきた。

 なにかの歌のようにも聞こえるが、聞いていて決して気持ちのいいものではない。

 あまりにも暗鬱で、こちらの気まで滅入ってくるような声なのである。

 さらにいえば空は曇天で、黒々とした玄武岩質の石でつくられた街も妙に活気が感じられなかった。

 まるで巨大な墓所、といったような気さえしてくる。


 dusonvava ubodonazo.ers mo:gec to:g.(私はウボドナが嫌いだ。陰気すぎる)


 リアメスがしゃがれた声で言った。

 仮にもウボドはグルディア王国の守護神のはずなのだが、リアメスほどになるとそんな言葉も許されるのだろうか。

 傍らを歩くガスティスや他のウボドの僧侶たちは、特になにも感じていないようだった。

 彼らは本当に、感情を失っているらしい。

 ガスティスが言った。


 cod je+da jedas janfis ubodo zeros tsem.ubodo negus vom aln ga:nu ta u:bodizo.vo alov zev zerosle.(この歌はウボド神をお慰めするために歌われるのです。ウボドは我々のあらゆる苦悩と絶望を代理される。我らは神に感謝しなければなりません)


 いかにも宗教、といった感じの言葉だ。

 いままでの現世利益的な神々と、ウボドはやはりいろいろ性質が違うように感じられる。

 そもそも感情を捨ててあらゆる苦しみから解放されるという教義そのものが、地球の原始仏教のそれに似ていなくもない。

 仏陀は欲望こそが人を苦しめる根源だと考え、悟りの境地に達すれば無限の輪廻の輪から解放されると考えた。

 欲望を感情に言い換えれば、そのまま仏教的な教えに通じるものがある。

 ただ、原始仏教はあくまで自分で修行しなければならないという点で、どちらかといえば宗教というよりは哲学に近い。

 後にたとえば大乗仏教は、民衆も救済するようになったが、ウボド信仰はそちらにも似ているかもしれなかった。

 人々に精神的な救いを与える、という意味では現代の地球で信仰されているさまざまな宗教にも類似している。

 ただ、率直になんとなく不気味な教えであるのも事実だった。

 アースラが以前、言っていた言葉を思い出す。

 ウボドの信者は、生きながら死んでいるようなものだと。

 事実、周囲のウボドの僧侶たちは、みな個性らしいものがほとんど感じられなかった。

 年齢、性別ともにさまざまなのだが、まるで人形に囲まれて歩いているような違和感がある。

 前方に大きな、黒い円蓋屋根が見えた。

 おそらくあれが、ウボド寺院なのだろう。

 このウボドナは宗教都市、といった趣が強そうだ。

 華美な装飾などはほとんどない、奇妙な無機質さを感じる。

 そのままモルグズは、寺院の一部と思しきやはりの陰気な石造りの建物に案内された。

 かなり大きな部屋に、リアメスとともに足を踏み入れる。

 あまり豪奢な調度などはない。

 一礼すると、ウボドの僧侶たちは部屋から退出した。

 いまは、リアメスと二人きりだ。


 yoy,vo finkosum cuchav ci.(さて、私らは気楽に話ができるね)


 そう言って、リアメスはゆったりとした革張りの椅子に腰掛けた。

 地味に見えるがかなり高級なものらしい。

 モルグズも仕方なく、ノーヴァルデアを抱えて卓を挟んだ向かいに腰掛ける。

 気楽と言っても、相手はなかば伝説上の人物なのである。

 しかし、警備というものをウボド寺院のものたちも、そしてリアメスも考えないのだろうか。

 まさか魔剣ノーヴァルデアを所持したまま、この老婆と向かい合って話すことになるとは思わなかった。


 nap sxalto foy vaz cu?(お前は私が誰か知っているだろう?)


 グルディアの建国王グルードの仲間だった、女魔術師だ。

 あのノーヴァナス並、否、あるいはさらに強大な力を持つ魔術師のはずだ。


 eto ned narha.gardova ci e+zezo teg.(お前は馬鹿じゃない。私は自分の身は守れるしね)


 一瞬、心を読まれたかと思ったが、決してそんなことはないようだ。

 人生経験の差、とでもしか言いようがない。

 リアメスは決して、虚勢をはったりしていないし、またその必要もないのだ。

 なにしろ一つの国を作ったほどの人物である。

 珍しく、モルグズは相手に気を呑まれていた。

 小柄な老婆なのに、その姿はあまりにも巨大に思える。

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