6 le:mis.cod magmoga era vam mets.(レーミス、この怪物は私の物よ)
なぜ女装をし、少女のように扱われることを望むのに男言葉を使っているのか。
しかし、それを聞くのはなんとなくレーミスの心に土足で踏み込むようで厭だった。
そのとき、スファーナが体を起こした。
もう起きていたらしい。
le:mis.cod magmoga era vam mets.(レーミス、この怪物は私の物よ)
metsというのは、物体を意味する。
つまり今、モルグズは物扱いされているのだ。
さらに彼女は挑発するように上掛けから豊かな胸をあらわにして、レーミスに見せつけるようにした。
mavi:r! avto ci ned codzo!(みなさい! お前はこれを持てないのよっ!)
santu:r! sufa:na!(黙れ! スファーナ!)
するとスファーナはスミレ色の瞳を輝かせて叫んだ。
santuva ned!(黙らないわよっ!)
いたたまれなくなったように、レーミスが部屋の外に出ていった。
スファーナがいきなりしなだれかかってくる。
lakava tuz,vam mo:yefe magboga...(愛してるわよ、私の可愛い怪物……)
怪物はどっちだろうな、と思う。
相手は三百年の時を生きてきた、高い自己再生能力を持ち、気まぐれというよりは狂気に近い精神の、驕慢な少女の姿を持つ魔女のようなものだ。
かたかたと、ノーヴァルデアが震え始める。
彼女にはこんな最悪な男女の修羅場は見せたくない。
スファーナを振り払い、衣服を身につけると腰に普通の長剣を、背中にノーヴァルデアを背負って部屋の外に出た。
一体、レーミスはどこに行ったのだろう。
気になるが、いまはひどく精神がささくれだっている。
外に出て深呼吸をしたい気分だった。
一階まで階段を降りて、そのまま宿の外に出る。
まだ早朝なので人通りはほとんどない。
冬の肺に突き刺さるような冷気がむしろ快かった。
一人の老婆が、こちらにむかって歩いてくる。
この地で老人をみかけることはあまりない。
生活環境が現代日本に比べて過酷なので、長生きできるものは限られているからだ。
おそらく七十過ぎにみえるが、それは現代日本の基準で見ればの話であり、実際には五十代半ばくらいだろう。
ふいに、老婆が呆然としたように口をぱくぱくと開けた。
なにか声を出したいが、声が出せないといった感じだ。
特に敬老精神に恵まれているわけでもないが、このまま発作で死なれたりしたらなんとなくばつが悪い。
軽い気持ちで近づいていったが、老婆の言葉に背筋が凍りついたようになった。
d...dewdalg...(半アルグ……)
そういえば、口に布を巻くのを忘れていた。
油断した、としか言いようがない。
最近はいつもレーミスの術に頼っていたため、かつての習慣だった口に布を巻くことを失念していたのだ。
運が悪かったとこの老婆には諦めてもらうしかない。
小路に老婆の小柄な体を引きずり込もうとした瞬間、違和感に気づいた。
やたらと重いのだ。
ほとんど本能的に、腰の長剣を抜き放つのと、老婆がなにか液体を塗りつけた短剣を突き出してきたのはほぼ同時だった。
鞘から出した長剣の刀身が、短剣に激突する金属音が鳴り響く。
いまのは半ば運によって助けられた、と言ってもいい。
そのまま、老婆の股間めがけて思い切り膝蹴りをすると「実際の老婆の股間よりも遥か高い位置」で、なにかが潰れるような不快な感触がした。
おそらく、即死だろう。
睾丸はこの世界の「人間」でも急所である。
ただし、睾丸を持つ老婆がいるはずもない。
さきほどやたらと体が重く感じられたのは「老婆の実際の体重が見た目よりも遥かに重かったから」なのだ。
おそらく実際には、もっと長身の「男」なのだろう。
幻術が実在する世界では、外見などまったくあてにならない。
おそらくこの男は暗殺の専門家だ。
なかなかに機転もきくらしい。
さすがに向こうも、まさかモルグズが牙をむきだしで外に出るとは想像もしていなかったに違いない。
だから、咄嗟に半アルグだと怯えるふりをした。
もちろんその後に、モルグズが失態に気づいて自分を殺しに近づいてくる、と想定してのことだ。
念のために革の靴底で気道を潰し、頸骨をしっかりと砕いた。
アンモニアと糞便の匂いが小路にたちこめる。
モルグズは長剣を鞘に戻すと、何事もなかったかのように牙を隠すため口を片手でおさえたまま宿に入ると自室に戻った。
いつのまにかレーミスが部屋に戻っている。
こちらの表情を見て、さすがにレーミスもなにかを察したらしい。
それにしても、幻術というのは便利なものだが、敵に使われると恐ろしく厄介だ。
これからは迂闊に雑踏を歩けない。
久々に直面した死の恐怖に、膝が笑っている。
油断大敵とはこのことだ。
果たしていまの暗殺者を誰が雇ったのかは、わからない。
ユリディンの牙、イシュリナシアのお抱え魔術師、さまざまな線が考えられる。
あるいは彼は魔術を誰かにかけてもらっただけで、本人は魔術を使えないこともありえた。
事実、いままでレーミスの呪文でモルグズも牙を隠していたのだから。
たとえ一瞬で千の軍勢を壊滅させる力を持つモルグズであっても、毒を塗った短剣一本がかすりさえば、あっさりと死んでしまうのである。
理屈ではわかっていたことだが、改めて思い知らされた。
この世界では死はあまりにも、近い。
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