8 zemnariares yas tic had i+sxuku:luma u:tunxe(ゼムナリア信者はあの馬車のなかにいるはずだ)

 ネスの都をこうして直接、目にするのは初めてだ。

 かつて護送用の馬車に揺られていたときは外の物音……主に罵声だった……しか聞こえなかったのだから。

 ヴェルヴィースとは、街の規模が違う。

 むろん現代日本人の感覚からすればさほどでもないのだろうが、限られた城壁のなかに建物が密集しているため、逆に都全体が賑わっているように思えた。

 いま、自分がいるのはどうやら都の南に近いあたりのようだ。

 中天からやや傾きかけた太陽が背中を鎧を通して熱している。

 旅の傭兵かなにかと思われているらしく、誰一人としてこちらに注意をむけなかった。

 不安になり指で口のなかを探ると確かに牙の感触はあるのだが、ナルハイン神の幻術で外からはそうは見えないようだ。

 腐っても神か、と笑いながら人混みのなかをなかば強引に前進した。

 華やかな色合いの染色された衣服をまとっている人々が多く、まるでお祭りでもしているかのようだ。

 ある意味、これはまさに祝祭なのだろう。

 邪悪な女神の信者が、正義の神の僧侶や騎士たちによって処刑されることは、ここでは「正しい、祝うべきこと」なのだ。

 地球の古代や中世でも処刑は一種の見世物だった。

 権力に反抗する者への見せしめ、という側面もあるだろうが人々はそれを娯楽として楽しんでいたともいう。

 人が殺されるところは娯楽の少ない社会の人々からみれば、恐ろしくもどこか楽しいものなのかもしれない。

 たぶん現代日本人がホラー映画を見に行くのと感覚としては同じようなものだろう。

 それにしても本当に人が多い。

 街道筋にあるらしく、旅籠の数もあのヴェルヴィースの街とは比較にすらならない。

 人口は一万は確実に超えているだろう。

 前近代の都市としては、十分に大都市といってよい。

 この都を統治するネス伯爵家がそれなりの大貴族であることもうなずけた。

 農業に経済を依存する土地では、都市の食料をまかなうためにはおよそその十倍近く農業人口が必要だとされている。

 つまり少なくとも、十万もの領民をネス伯爵家は有しているのだ。

 建物はやはり木造のものが多いが、街道に面したあたりだと石造りの、より頑丈な造りのものも結構、ある。

 南へと路地を歩き続けているうちに、しだいに人々の混雑の度合いが増してきた。

 緊張に喉が渇いてくる。

 前方に高い塔のある建物が見えてきたのだ。

 おそらくあれは、ソラリス寺院だろう。

 イシュリナスはその息子だという話だから、寺院は近くにあるかもしれない。

 果たして、かなり大きな広場の周囲に、幾つもの寺院が建てられていた。

 青い屋根のネシェリカ寺院と二つの丘のような円蓋をもつアシャルティア寺院はわかったが、他にも様々な神々の寺院がある。

 イシュリナス寺院は、すぐにそれと見当がついた。

 青字に銀色の剣と、天秤のようなものを組み合わせた意匠の印の旗が幾つも掲げられていたのだ。

 天秤は善悪をしめす秤、剣は裁きのためのもの、と考えてまず間違いないだろう。

 地球のタロットカードにも「正義」のカードがあるが、あれと似ている。

 ただ、あちらには目に布を巻かれた正義の女神も描かれているのだが。

 異世界ではあるが、この地の人々の発想も前近代の人間のそれと、ある程度は似通っているらしい。

 ただ、高い塔を三つ、備えたソラリス寺院の窓や戸口は、金色の布のようなものですべて覆われていた。

 たぶん、宗教的な理由があるのだろう。

 ソラリスは太陽とともに生命を司る神なので、死を嫌うのかもしれない。

 だがいまはそんなことはどうでもよかった。

 予想していたとおり、武装したイシュリナス騎士たちが広場には集まっている。

 騒乱を警戒しているのだろう。

 彼らは、ゼムナリア信者たちが仲間を奪還しにくると、考えている可能性が高い。

 だが寺院の上層部の人間はヴァルサがゼムナリア信者ではない、と知っているはずだ。

 どこかの寺院の上にとまった黒い羽を持つ鳥が、不吉な鳴き声を上げ始めた。

 地球でいうカラスの類にも見える。

 人々がざわめいたそのとき、厳重に警護された馬車がイシュリナス寺院の脇の路地から現れた。

 イシュリナスの騎士たちが、何人も馬車の行く手にいる見物人を排除している。

 どよめきが大きくなった。


 zemnariares yas tic had i+sxuku:luma u:tunxe(ゼムナリア信者はあの馬車のなかにいるはずだ)


 savuva ci ned!(あたしゃ待ちきれないよ)


 思わず二人の顔を見たが、ごく普通の青年と、そこらの家で料理でも作っていそうな主婦にしか見えなかった。

 彼らは悪人ではない、のだろう。

 むしろ正義の神によって悪の女神の信者が「処罰される」ことを心の底から喜んでいる。

 それでも、なぜかぞっとさせらた。

 どうみても悪人ではないからこそ、逆に恐ろしいのだ。

 これがいかにもといったごろつきや悪党面をしていれば、まだましだった。

 彼らは違う。

 ごくまともに仕事をして、日々の生活を送っているネスの都の善良な市民なのだろう。

 この人々に罪はない。

 あるとしたら、ゼムナリア信者でないとわかっているのに処刑を行おうとしているイシュリナスの僧侶たちだ。

 正義の神に仕えている人間がそんなことをしてよいのか?

 この世界では神罰があるはずなのに、なぜイシュリナス神は彼らを罰しないのだ。

 どう考えも、こんなことは間違っている。

 ヴァルサに罪はない。

 あるとしたらヴェーヴィルスの街で一人の人間に魔術で火をつけてしまったことだけだ。

 しかしあのときは自分の身を守るために仕方なかった。

 とはいえここではもう彼女はゼムナリア信者として扱われている。

 そのとき、箱馬車の扉が開けられ、一人の少女が姿を現した。

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