12 ers cu+so.wob vam a:jsuma patca era cu?(質問です。私の齢は幾つでしょう?)

 sxelgo ned zemgosma se+ka ko:rad kap i+sxuma ha:yi ko:rad kap.(彼らは鉄の作り方も馬の乗り方も知りませんでした)


 ta nersatiaresi vego wodes akla suynuzo suyveritse.(そしてakla海を渡ってネルサティア人が船で来ました)


 aklaは鮫のことだ。

 鮫海か、アクラ海と訳すべきか心のなかで悩んだが、とりあえずアクラ海と呼ぶことにした。


 selinma reysi gocrigi kilnole kilnogo nersatiaresile.nerstiaresi ves go cod satzo .(精霊の民はネルサティア人と戦いましたが負けてしまいました。この地はネルサティア人のものとなりました)


 実際にはnersatiaresi ves goは直訳すると「ネルサティア人が所有し終えた)となる。


 me:fe gxafsi egseles azim asuy nxezigi tsal selinma reysima asuycho teg.ers selna:daresi.(彼らの血が精霊の民の血と混じりあい、新たな子供たちが生まれました。これがセルナーダ人です)。


 ta yurfa mesum cemsoga.ers selna:da yurfa jen vo cuchiva del.(そして言葉も新しく変わりました。それが私たちが今、話しているセルナーダ語です)


 簡潔だが、これでいまのセルナーダが、ネルサティア人と「精霊の民」、この土地の先住民の言葉が融合して出来上がった言語であるとはっきりした。

 結論からいえば、たぶんネルサティア語がラテン語に近い言語であり、先住民の言葉が日本語のような言語、なのだろう。

 だとすれば、セルナーダ語のいささか不自然な語順にもある程度の説明がつく。

 今のセルナーダ語は語順がSVO、つまり主語、述語、目的語の順番になっている。

 しかし通常、SVO言語はだいたい後置詞ではなく「前置詞」を用いるのだ。

 とはいえ、すべてのSVO型言語が前置詞を使うわけではない。

 地球のフィンランド語はSVO語順であっても、後置詞を使う言語として知られている。

 もっともフィンランド語は前置詞も用いるのだが。

 さらにいえば、他の不自然に思えた点もこれでいろいろと説明はできるた。

 地球の言語は、言語学では大きく四種類に分けられると考えられている。

 屈折語、膠着語、孤立語、そして抱合語だ。

 かなり大雑把に言えば、屈折語とは動詞の活用が多く、名詞も格変化、曲用と呼ばれる変化を見せる。

 印欧語やアラビア語の属するアフロ・アジア語族が屈折語の代表格だが、この種類の言語は近年になればなるほど、屈折性、つまり変化が弱くなっている。

 一番よく見られるのは、名詞の格による変化の消失だ。

 たとえば英語はいまでは代名詞いがいの名詞は単数形と複数形で形が変わるだけである。

 格とは、その名詞を他の言葉と結びつける種類のようなものだ。

 日本語では「が、は」が後ろにつけば、主格と呼ばれる。

 基本的に、主語になりうるもっとも標準的な格だ。

 次に属格がある。

 これは言語によりその意味する幅はやや異なるが、その名詞が誰、あるいは何に属しているか、あるいは所有されているか、ということを意味し、所有者の単語と結びつく。

 日本語でいう「の」が後ろにつくものだ。

 英語では、所有格と呼ばれている。

 対格というのもある。

 これは直接的な目的語で、日本語だと「を」を後ろにぶらさげている。

 「私はお前の金を奪った」という場合「私は」は主格、「お前の」は属格、「金を」は対格となり、それぞれの言葉は結ばれている。

 だが、目的語には他にも間接的な意味をしめす与格というのがある。

 日本語だと「に」がつくことが多い。

 「私はお前の金を彼女にあげた」という日本語だと「彼女に」が間接的な目的語、ということである。

 これを英語にするとI gave her your money.になるが、大事なのは語順だ。

 英語では、普通の名詞は格変化がなくなっている。

 だから、SVのあと二種類の目的語がつく場合、必ず間接目的語、次に直接目的語にするという決まりがあり、この順番にしないと意味がおかしくなる。

 たとえばI gave your money her.にすると、「私はお前の金に彼女をあげた」という、意味不明な文章になってしまうのだ。

 格が失われたため、英語では語順の制約を厳しくせざるを得なかったのである。

 他にも動詞の活用もいまでは三人称単数現在形の場合、動詞の後ろにsをつける程度なので、すでにいまの英語は屈折語と呼ぶのが難しいほどだった。

 しかし、古代に使われていたラテン語や現代のロシア語には、きちんと名詞の格変化も動詞の活用も残っている。

 この変化たるや凄まじいもので、幾つかの種類ごとに名詞の格変化、動詞の活用などにはそれなりの規則性はあるが、すべてを覚えるのはかなり難しい。

 膠着語も一見すると、この屈折語と同じように見えるが、特徴は名詞の格変化にある。

 たとえば日本語の例では「は、が」、「の」、「を」、「に」と「後置詞」を名詞の後ろにつけるだけで良い。

 そして動詞の後ろにはたいてい日本語の「食べられませんでした」のように「食べる」にさまざまな助詞などをくっつけて活用させる。

 膠着語にはアジアの多くの言語、すなわち日本語やモンゴル語、さらにはトルコ語なども含まれる。

 これらの言語は「アルタイ諸語」と呼ばれる似たようなグループに属している、という説があるが、日本語の場合、厳密にはどうかいまだに謎とされている。

 フィンランド語も同じ膠着語に分類されるが、こちらはウラル語族という、また別の語族の言葉だ。

 ただしフィンランド語の元となっているウラル祖語の頃は、語順はSOVだったという説が有力だし、実際、ユーラシア東部のウラル語族の言葉ではいまもこの語順が用いられている。

 しかしアジアとヨーロッパの境界あたりにいたフィンランド人の祖先は西に移動する過程でSVO語順の言語を話す人々と接触した。

 その結果、語順も影響をうけた可能性が高い。

 かくてSVOでありながら後置詞も使うという、比較的、変わった言語が生まれた。

 セルナーダ語も、おそらくネルサティア語はSVO、先住民の語順はSOVだったのだろう。

 つまり、語順は征服者であるネルサティア語のものが残ったが、名詞の格変化は膠着語的ないまのセルナーダ語に変化した、というのがモルグズの推測だ。

 ちなみに四つの言語分類のうちの孤立語とは古代中国語のように、動詞がそもそも活用しない言語である。

 また屈折語に似た、抱合語という、文そのものが動詞を中心にして一つの塊のようにくっついた種類の言葉も、北東アジアや新大陸では一般的だ。

 アイヌ語も典型的な抱合語とされている。

 

 ,,,morguz? sekito li vam cu+chazo cu?(モルグズ、あなた私の話を聞いているの?)


 melrus era.(当然だ)


 ya:ya! lagt yatmite! melrus ers asro tedod jod du:rig era "s" dog!(はい、また間違えた! melrusは後ろが"s"だから火炎形よ!)


 ,,,melrus ers.(……当然だ)


 最近、セルナーダ語に慣れてくるにつれて、なんとなくヴァルサの言っていることが日本語のように聞こえてきた。

 いいことなのか、悪いことなのかわからないが。


 gow,eto mig yurin.(でもあなたってすごく頭いいのよね)


 セルナーダ語で「頭が良い」を直訳しても意味はなさないがyurinとは「賢い」ということだ。


 vis erv cu?(俺がか?)


 omoto ci yurfazo honef kan so:rolle.(こんな短い時間で言葉を覚えられるなんて)


 ers ingosxa+ga cu?(お世辞か?)


 セルナーダ語では、偽物、偽を意味するingoと、褒めるという動詞の名詞形sxa+gaがつながり「偽褒め」つまり「お世辞」という意味の単語になる。

 こうして名詞同士をつなげた単語があるのも、いかにも膠着語的だ。

 そもそも膠着とは「にかわでくっつける」という意味である。

 もっとも、屈折語でもたとえばドイツ語も似たような感じで、どんどん言葉をつなげることは出来るのだが。

 屈折語、膠着語というのはあくまで枠組み程度の意味合いでしかないということだ。

 

 ers temsukoksa.(本音よ)


 これはtems「本当」とkoksa「心」を組み合わせた言葉であり、「本心」とも訳せる。

 日本語の場合、もともと音の短い漢字同士を組み合わせるのでセルナーダ語は比較するとどうしても一つの単語が長くなってしまう。

 ただそのせいで日本語は同音多義語が異常に増えたのだから、どちらがましかは考えかたによる。


 bamel tom a:js ers cu?(ところでお前、幾つだ?)


 モルグズの問いに、にやりとヴァルサが笑った。


 ers cu+so. wob vam a:jsuma patca era cu?(質問です。私の齢は幾つでしょう?)


 日本語に直訳すると「私の年齢の数はなんでしょう」といった言い回しになる。

 こうした言語ごとに独特の用法を覚えるのが、言語学習の際には大変なのだ。


 uum..a:js ers dec ant cu?(うーん、だいたい十歳くらいか?)


 ne+do! erav ham uld a:js(いいえっ! 私はもっと年上よ)


 怒りのためか、ヴァルサの顔が少し赤くなっていた。

 もっとも、この世界の一日の長さが地球と比較しようがないため、「一年」がどれだけの時間で、どの程度になれば人が成長するかもわからないモルグズとしてはこれは普通に答えづらい質問だったのだが。


 erav decucur a:js! socum nava udnema resale!(十四歳っ! すぐに大人の女になるんだから)


 ということは、やはり彼女はまだ未成年なのだ。

 偶然かどうかは知らないが、地球人とこの世界の「人間」との年齢における成長具合はだいたい同じようだった。

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