15 jis(文字)

 とりあえず、椅子に腰を下ろした。

 目の前には、木製の書物を置くらしい台がある。書見台だろう。

 地球にもかつては書物を読むために、わざわざ専用の台が存在したのである。

 理由は幾つかあるが、書物そのものが重すぎるというのが最大の原因だ。

 緊張して頁をめくると、また文字とおぼしき記号が視界に飛び込んできた。

 ただ、さきほど見た本の文字に比べると、だいぶ形が簡単になっているように思える。


 wob ers cu?


 ers selnaada yurfama sels.


 どこか得意げにヴァルサが言った。

 selsという単語は初耳だ。

 selnaada yurfaなら「セルナーダ語」、その後ろのmaは「の」という意味だった。

 だとすれば、これは「セルナーダ語のsels」となる。

 書物のことをselsというらしい。

 だが、文字らしきものが書架の本と異なっているのが気になった。


 had wob ers cu?(あれはなんだ?)


 書架に並べられた本を指差すと、ヴァルサは幾分、声を低めた。


 had ers nersatia yurfama selsi.


 nersatia yurfaについては、以前、何度が耳にしたことがある。selnaada yurfaのもとになったという、古代の言語だ。

 

 nersatia yurfa era mig dozgin.(nersatia yurfa はとてもdozgin)


 dozginがなにか不明だ。

 ただ、いままでの経験で語尾が-nのものは形容詞が多い気がしている。

 ヴァルサは頭を抱えたり、顔をしかめたり、かなり大げさな演技を始めた。


 gow selnaada yurfa era coofe.(だけどセルナーダ語はcoofe)


 今度はヴァルサは気楽そうに頁をめくる仕草をしている。

 わかってきた。

 nersatia yurfa、つまりネルサティア語は難しいが、セルナーダ語は簡単だ、と言いたいらしい。

 わざわざヴァルサが勧めてくれたのだから、まずは日常でよく使うセルナーダ語をしっかり学んでおいたほうがいいだろう。

 ヴァルサは傍らから頁をめくると言った。


 cod ers selnaada jis.


 そこには、二十種類を超える記号が並んでいた。

 もう説明されずとも、jisの意味は考えるまでもない。文字だ。

 上の方に、五つの文字が並んでいた。


 a.


 ヴァルサが最初に指差したのは、なんとなく漢字の「山」に似た記号だった。

 ただし、下のほうはかなり丸っこくなっている。


 a.


 van!


 モルグズがヴァルサにならってaと声を出すと、満足げに少女はうなずいた。

 こうして、文字の勉強が始まった。

 a.o.e.i.u.

 まずは、母音だ。

 ありがたいことにセルナーダ文字は母音もきちんと表記するアルファベットらしかった。

 日本語と同じ五母音というのも出来過ぎかとも思ったが、実は地球の言語でも五母音を使うものは結構あるのだ。

 言語学には「言語類型論」というものが存在する。

 これは地球上で使われているさまざまな言語を比較し、そのなかで共通するもの、普遍的な箇所を見つけ、類型化したものである。

 その結果、母音の数が五つの言語が多いことは判明していた。

 言語類型論では、他にもさまざまなことがわかっている。

 たとえば地球の言語の半数近くは、語順にSOVを採用している。それと並ぶのが、SVOだ。

 この二つだけで地球の言語の九割を占める。

 他にもアラビア語のようなVSO、あるいはVOSという語順もあるが、少数派である。

 OSVやOVSといった語順に至っては、極めて少ない。

 ただ問題なのは言語類型論は「地球上の人類の言葉を研究したもの」なのである。

 果たしてこれがどこまで「異世界」で通じるかは、不明だ。

 だが、いまはそんなことより、とにかく文字を覚えたかった。

 次は、子音だ。

 

 ma.

 ba.

 pa.


 ヴァルサに続いて、復唱する。

 それぞれM、B、Pだ。


 va.

 fa.


 これはVとFである。


 na.

 da.

 ta.


 次はN、D、Tだ。

 はじめのうちは、子音の語順を特に気にしていなかったが、やがて妙なことに気づいた。

 しかし、そんなことがありうるのだろうか。

 とはいえ、偶然ということはさすがにこれは、ちょっと考えられない。

 一見すると出鱈目に並んでいるような子音の並び方に潜む規則性をモルグズは発見した。

 M、B、Pにはそれぞれ共通する点がある。

 これらの音は両唇音と言って、すべて唇を使って音を出すのである。

 Mは鼻音も使う両唇鼻音である。

 Bは唇で音を破裂させる有声両唇破裂音。

 Pもやはり両唇破裂音だが、こちらは無声両唇破裂音だ。

 有声音というのは、音を発する時に声帯が震える音を意味する。

 逆に、無声音だと声帯は震えない。

 喉のあたりに手をあてて、震えを感じたらそれは有声音ということになる。

 もっとも、日本語は音節の関係上、N以外は必ず子音の後ろには母音を末尾につけるので無声音だけの発音というのはまずありえないが。

 ヴァルサがbaやmaと言ったのも、BやMといった子音だけを発声するのは慣れないとかなり難しいからだろう。

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