7 yurfa(言葉)
selnaada yurfa.
いままで単にyurfa、つまりは「言葉」と呼ばれていた言語の、正確な名前である。
日本語で言えば「セルナーダ語」という表現がふさわしいだろう。
ただ、それはこの世界全体で使われる言葉、ではない。
どうもセルナーダというのはあくまで特定の地域を表す固有名詞にすぎないようなのだ。
他にも、さまざまな言語がこの世界には存在しているという。
この十日ほどで、モルグズは多くのことをヴァルサから学んでいた。
結果、セルナーダ語の特徴についてもかなり判明している。
基本的な語順は、予想通り、英語と同じSVOだった。
つまりは、主語、述語、目的語である。
ただし、セルナーダ語は英語とは違い、主語を省略することができる、いわゆるpro脱落言語だった。
これは日本語にするなら「主語脱落言語」という言い換えも可能だ。
必ずしも主語を表さずともにすむ言語、ということで文法的に日本語とも似ている。
ただ、主語脱落言語といっても、セルナーダ語は日本語のように、むやみに主語を落とす言語ではなかった。
セルナーダ語で主語が省略させることが多いのは「後続する動詞の活用により主語がわかる」からなのだ。
こうした言語は地球でも一般的なものだった。
スペイン語やイタリア語といった言語が、その代表格だろう。
これらの言語は述語となる動詞の活用が主語によって変わるため、わざわざ主語を明示する意味があまりないのだ。
そのかわり、動詞の活用は主語も示すためにきわめて重要となる。
セルナーダ語は、そうした点でも一般的な印欧語などとはちょっと違っていた。
インド・ヨーロッパ語族に属する言語の動詞の活用は、主に人称、数によって変化する。
一人称は私、二人称はあなた、三人称は彼、彼女などだ。
数は主に単数か、複数か、で分けられる。
ときおり性が関わることもあるが、それはわりと少数派だ。
だが、セルナーダ語は人称と性によって、活用が変化するが数は関係しない。
つまり、主語が「彼」か「彼女」かは重要だが、「彼」と「彼ら」は活用と無関係だということだ。
ある意味ではインド東部で使われているベンガル語と類似性がある。
ベンガル語は人称により動詞の活用が変わるが、数は関係ないのだ。
ただ、性もまた関係しない、という点でセルナーダ語とも異なる。
とはいえ、地球の言語で似たような言語が見つからないのは、自分が無知である可能性もモルグズは理解していた。
実はそういう言語はあるかもしれないが、単に自分が知らなかった、ということもありうるのだ。
たぶん、普通の日本人よりは言語学には少し詳しいだろうが、それはいうなれば「知識のつまみ食い」にすぎないと自分でもわかっている。
地球にいたころから「広く、浅く」というよりは、ちょっと興味を抱いた分野を適度に調べ、飽きれば他のものに移る、ということが多かったとしか思えない。
一つの分野を深く極める、という性分ではなかったのだろう。
そういう意味では、異世界の知識を求めるあのアーガロスという魔術師の期待にどこまで応えられるかはわからない。
wob nafato cu?
こちらを見て不安げにヴァルサが言った。
「なにをあなたは考えているの?」というような意味だ。
wobは「何」であり、nafatoは「考える」の二人称の活用であるとすでに学んでいる。
nafev...
nafevは「考える」の一人称火炎形過去形だ。
最初は誤解していたが、実はセルナーダ語では男性形は火炎形、女性形は大地形と呼ぶのが正しいらしい。
いまでこそ「二つの性」のように機能しているが、セルナーダ語のもととなった言語では、なんと火炎、大地、水、風、闇の五つの種類に名詞は分かれていたらしい。
そしてそれぞれに別の活用をしたという。
ただ、その古い言葉について訊ねると、なぜかヴァルサは言葉を濁したので、あまり深くは聞かないことにしているが。
nafev vim uttasolfuzo.(俺の明日を考えていた)
沈黙の後、モルグズは言った。
この短期間で大量の語彙を獲得するために、ヴァルサはさまざまな身振り手振りや動作で、言葉を教えてくれた。
食べる。眠る。動く。走る。歩く。話す。見る。聞く。触る。
このあたりはまだ簡単なほうだ。
「考える」や「悩む」などの精神の働きを意味するあたりの単語は、実をいえばかなり間違って覚えているかもしれない。
言語を学ぶ間に、モルグズはヴァルサという少女に好感を抱くようになっていた。
必死になって、なんとか言葉の意味を伝えようとしてくれるのがわかるからだ。
ただ厄介なのは、彼女がまだ少なくともモルグズの基準からすれば年端もいかないとはいえ、女だということだった。
どうも地球でも、自分は長い間、女に触れていなかったような気がする。
とはいえまったく女を知らぬというわけでもないようだ。
なのでヴァルサはまだ小娘だと自分に言い聞かせても、ときおり欲望に負けそうになるのをなんとかこらえている。
一度だけ、彼女が目の端に涙を浮かべ、肌着一枚の姿で地下室に来たことがある。
あのときは、怒りで頭が真っ白になった。
それが、彼女の意思でないことは明らかだったからだ。
おそらく、アーガロスが色仕掛けでなんとかしろ、とでも命じたのだろう。
不愉快というより、許せないという感情のほうが強かった。
意地でも、ヴァルサを女として見ない。
varsa era ned tavzay.
そう言ったとき、彼女が小刻みに肩を震わせて泣いたことははっきりと覚えている。
とはいえ、手が自由に使えない状態なので、用便の世話はヴァルサにしてもらうしかない。
そんなとき、うっかり体の一部が反応してしまうのが、情けなくもあった。
結局、寝ているときに腰布に精を放ってしまう始末である。
おかげで部屋の異臭はますます凄まじいものになったが、ヴァルサは嫌がりもせずに、トイレ替わりの桶のようなものを毎日、交換してくれた。
しかし、もうこんな毎日はそろそろ、終わりにしたい。
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