5 yuridres(魔術師)

 ひどく耳障りなしゃがれた声だったが、間違いなくさきほど少女が話していたのと同じ言葉だった。

 相手を睨みつけるようにしてモルグズは答えた。


 vis ers morguz.


 一応、「俺がモルグズだ」と言ってみたつもりだが、言葉として正しい表現になっているかは自信がない。


 gaa! dewdalg!


 老人はひどく忌まわしいものを見るような目でこちらを見ながらdewdalgと叫んだ。


 cuchato ci yurfazo?


 なにを言っているのかさっぱりわからない。


 fov sxuuluzo! zemnaria takkega vel meefe sxuuluzo! yujuur! tom sxuuluzo!


 早口で老魔術師はまくしたてた。

 sxuuluzoという単語を、三度も使って。

 さきほどの女神らしきものとの会話を思い出す。

 魔術師は三人の人間を生贄を捧げて、異界の知識を求めている、と言っていなかっただろうか。

 つまり、こいつは知識が欲しいのだ。

 だとすれば……。


 sxuulzo?


 途端に魔術師が餌に食らいついてきた。


 eto sxuulu! sxuulu era aln!


 それにしても、と思った。

 この言語には、かなりの口蓋化音が含まれているらしい。

 口蓋化音とは、日本語でいえばキャ、キュ、キョのような音のことだ。

 たとえば疑問文の末尾に必ずつく「キュ」も口蓋化音だし、いまのsxuuluも日本語風にすれば「シュール」となる。

 ただし、ルはruではなくluになっているが。

 それはともかく、sxuuluの前にはsxuuluzoと言っていたはずだ。

 当然、この二つにはなにか文法的な違いがあるに違いない。

 eto sxuuluは「知識だ」と考えてさしつかえないだろう。おそらく文頭にあるはずの主語は、どうも省略されているふしがある。

 地球の言語では、主語を省略するものは珍しくない。

 実は日本語も、案外、主語がないことが多いのである。

 たとえば「地下室に捕らえられている」というモルグズの現状を意味する日本語でも、前後の文脈などによって「モルグズ」という主語がなくても文章は成立しうる。

 ただし、英語のように命令形などでない限り、常に主語を表示するよう文法的に縛られている言語もある。

 なるほど、知識は大事だ、と思わずモルグズはにやりと笑った。

 モルグズは、ごくごく浅いものではあるが言語学の知識を有しているのだ。自分でも理由はわからないが。

 モルグズが笑った瞬間、こちらを警戒するように、魔術師が後ずさった。

 そこでようやく気づいたのだが、赤い魔術師の隣にはさきほどの少女、ヴァルサがいた。


 neryuridres,vomova fuumor!


 santuur,tavzay!


 tavzayと叫んだ途端に、魔術師は痩せこけた手で少女の頬をひっぱたいた。

 どうやらこの魔術師がろくでもない奴であることだけは、間違いないようだ。

 tavzayというのも、よほど侮辱的な言葉なのか、ヴァルサの緑の目の奥で一瞬だが激しい怒りの色が浮かんだのをモルグズは見逃さなかった。

 ヴァルサはおそらくこの老人を憎んでいる。

 いまの怒りからは、鬼気迫るものが感じられた。

 異世界といっても、結局、「人間」というのは大して変わらないものらしい。

 彼らはホモ・サピエンスではないのだが、いつのまにか「人間」とみなしている自分に少しモルグズは驚いた。

 だが、あの少女の師への感情は使えるかもしれない。

 一応は弟子らしいが、少なくとも彼女は老魔術師よりも、むしろ自分に好感を抱いているのではないか、とモルグズは思った。

 この魔術師をなんとかする手駒として、ヴァルサは使える。

 それにしても、sxuuluとsxuulzoの違いがひっかかった。

 この言語の語順がいわゆるSVO、つまりは主語、述語、目的語なのはほぼ確かだ。

 たとえば日本語は語順はSOVと言われている。

 主語、目的語、述語の順だ。

 英語であれば、「私は、食べる、林檎を」。

 日本語であれば「私は、林檎を、食べる」。

 そういった違いである

 だが、ヴァルサたちの話している言語は英語と同様にSVOでありながら、主語を表記する必要がないという特徴が存在した。

 つまりは「食べる、林檎を」という語順がありうる。

 ということは、sxuuluのあとにつくzoは、日本語でいう「を」に相当するかもしれない。

 しかし、やはり限界がある。

 圧倒的に、語彙が足りない。

 文法について推測はできても、それを表現する単語をもっと知らなければどうにもならない。


 cuchaar!


 苛立ったように魔術師が叫んだ。

 本当に醜い顔の男だ。

 顔はしわだらけで、ぎょろりとした目は血走り、鼻はいわゆる鷲鼻でやたらと大きい。

 cuchaarに似た言葉は、何度か聞いた気がする。

 最初にヴァルサはモルグズが話したときに、cuchesと言っていたはずだ。

 cuch-までは共通している。

 なんらかの動詞の活用、ということも考えられた。

 日本語も、たとえば動詞は活用する。

 食べる、というのが基本ではあるが、この「食べ」から「食べた」、「食べろ」など過去形、命令形などが派生するのだ。

 ヴァルサたちの言語も、似たようなものかもしれない。

 それとは別に気になっていることもある。

 yujuur.

 santuur.

 cuchaar.

 さきほどから、別の動詞らしいものも、語尾が似たようなことになっている。

 最初の二つはともかく、cuch-を元にする単語は、たぶん「話す」とか「言う」のような意味ではないだろうか。

 まず、モルグズが最初に言葉を発したとき、cuchesとヴァルサは言った。

 そして知識が欲しい魔術師は、モルグズが異界の知識を持っていることを知っていて、cuchaarと口にしている。

 試してみる価値はありそうだ。

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