モルグズ異世界殺戮行路

梅津裕一

第一章 mazzefa(目覚め)

1 rxafsa(少女)

 目を覚ますと目の前に見知らぬ少女がいた。

 年齢は十三、四といったところか。

 だが、いままで彼の知っていた「人間」とは若干、違っていた。

 彼の知る人間の多くは、人にもよるがだいたい黒、もしくはせいぜい褐色の髪と瞳を持っていたのだ。

 しかし、眼前の女の子の髪は鮮やかな金色だった。

 驚きに見開かれた瞳も綺麗な緑色だ。

 少なくとも、ニホンジンではないようだ。

 ニホンジン。

 そうだ。

 かつて彼は「ニホンジン」だったのだ。

 では今の自分は何者だと考え、愕然とした。

 記憶がない。

 ひどく喉元が苦しかったことだけは覚えているが、それがなぜかはわからなかった。

 誰かと、ついさきほど、とても大事な話をしていた気もするがその内容もぼんやりとした霧のなかだ。

 怯えた様子で、少女が尋ねるように言った。


 mazefate cu?


 マゼファテ・キュ、というような音に聞こえる。言葉、という単語が脳裏をよぎった。

「オマエ……ナニ……イッテル……?」

 うまく口がまわらない。

 まるで他人の体を無理やり、使っているかのようだ。

 動こうとすると、手首のあたりに鋭い痛みが走った。

 重い、金属の鳴る音が聞こえてくる。

 手錠のようなものにより、両手首を背後で縛られているらしい。

 干しわらの上にあぐらで座っているような姿勢なので、満足に身動きもとれなかった。


 cuches! cuches!


 少女はびっくりしたように意味不明の言葉らしいものを叫んでいる。

 どうしてよいものかわからず、困惑してあたりを見渡した。

 古い石組みの壁と床、そして天井のある円形の狭い部屋だ。

 大きさは六畳くらいだろうか。

 少女の向うに古びた木製の扉らしきものが見えるが彼女が邪魔で細部はよくわからない。

 干しわららしきものが床には敷かれていたが、ずいぶんと汚れていた。

 それにしても、凄まじい悪臭である。

 強烈な糞便の匂いが充満していた。

 部屋の端の木製の桶らしきものがあるが、どうやらそのなかにも汚物が溜まっているようだった。

 奇妙なことに気づいたのはそのときだ。

 完全な閉鎖空間であり窓らしきものはない。

 なのに、部屋全体がぼんやりと明るいのだ。

 よく影の位置を観察して見ると、どうやら中央の虚空が光源になっているようだが、そこには照明はなにもない。

 なんだか気持ちが悪くなってきた。

 どうしてこんな場所に鎖で繋がれているのだろう。

 さらにいえば目の前の少女の格好も、珍妙だった。

 体をすっぽりと足元まで覆うような服は染色すらされていないようだ。

 そのためあちこちに汚れが目立つが、どうやら羊毛かなにかを粗く織ったものらしい。

 色合いは白と灰色の中間で、さまざまな汚れが染みついている。

 わりと豊かな胸な胸の曲線が目についたが、いくらなんでも衣服が不潔すぎだ。

 少なくとも、いままで知っていた世界では、まずこんな少女はいなかった。

 いたとしても「ニホン」の外だったろう。

 

 tom marna wob era cu?


 怯えながらも興奮した様子で少女がなにやら話しかけてくる。

「ワカン……ネエヨ……」


 wakan,,,neeyo ers marna cu?


 そこでまた、おかしな点に気づいた。

 一見すると、少女は汚らしい身なりだがかなり可愛らしい部類に入るだろう。

 美少女、といってもよい。

 だが、本能が違和感を告げている。

 確かに、人間によく似ているとはいえ、この少女は「本当に人間なのだろうか?」

 おそらく解剖学に詳しい人間、あるいは専門の医師でもなければただの「ニホンの外の人間」と判断するだろう。

 しかし、なぜか彼には少女が「自分の知っている人間に酷似した別物」ということがはっきりとわかった。

 別に目や鼻や口といった顔の器官の数や形はおかしくはない。

 それでも、たとえばゆったりとした衣服の袖から除く手の形状が、彼の知っている「人間」とはわずかに違っていた。

 人間にも指の長さなどには個人差があるが、比率が少し妙なのだ。爪も、明らかに人間に比べて一回り大きい。

 一番、気になったのは耳だった。

 耳は人体でも最も複雑な形状を持つ器官と言われているが、その構造が若干、人間とは違っている。

 まず間違いなく、この少女はいわゆるホモ・サピエンスではありえない。

 ただ、それでも恐ろしく人類に似た外見の種族であることは確かだが。


 marna! marna!


 彼女の発する言葉からして、口腔などの構造もやはり人類の構造とほぼ同様だろう。

 もし彼女に唇がなく、鼻から音を出すことが不可能であればMという音はそもそも発声が難しいのである。

 ただ、彼が一番、よく知っていた言語とはどう考えても別物だ。

 marnaは「マルナ」に近い音だがこれはローマ字で表記するとmarunaになる。

 しかし、少女の発音はmarnaなのだ。

 そこまで考え、記憶がないはずなのに知識はあることに驚かされた。

 とりあえず、いつまでもこの状況でいるわけにはいかない。

 そしていま、話し相手は目の前の少女、ただ一人なのである。


 marna?


 口に出してみた。

 あるいは、彼女の名前だろうか。

 いまの発音は、日本語……漢字というものを思い出した……というよりは、英語に近い。

 音節はmarとnaの二つに分かれており、marを強めに発音している。

 これは、強弱アクセントと呼ばれるもので、日本語のように音の高低でアクセントをつけるものとは違う。

 こちらが発した言葉に、少女は激しい反応を見せた。

 肌が白いので興奮して顔が赤くなっているのがよくわかる。

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