第8話 感染

 暗がりの廊下を歩いていく。手にしたライトと窓から差し込む月明かりに照らされた院内は不気味な雰囲気だと俺――石田いしだ兼光かねみつは常々感じていた。

 コツッコツっと足音だけが廊下に響く。先の見えない廊下に人がいるはずの病室、普段なら数人の人が詰めているナースセンター。その何処もが日中とは違った雰囲気を持っていた。

 

「二階も異常無し……」


 手元のチェックリストに巡回結果を記していく。異常の有無などを記しながら階下の警備室へと向かう。夜間でも明かりが灯されている階段を使い階下へ向かおうとした時だった。

 ギィっと金属の扉が開くような音が上から聞こえる。屋上の扉は施錠されているはずだが、と思いながらも屋上へ足を向ける。


「誰かいるのか、いるなら下りてきなさい」


 余計な仕事を、と内心舌打ちしながらも警備の仕事をこなす。もし患者が屋上にいるなら病室へ戻さなければならないし、そうでないならまた違う対応が必要になる。もし何らかの目的を持った侵入者なら警備室へ応援を呼ぶ必要もあるな、と頭のなかでに備えた考えを巡らせる。


「おい、屋上は立入禁止だ……誰かいるんだろ」


 あるいは日中何らかの理由で開けられた扉がそのままになっているのか、とも思えてくる。声に対しても反応が無く人の気配も無かった。


「ちっ……なんだって今日はめんどくさい」


 警備室へ無線連絡をするか逡巡する。もし誰かいるなら応援が必要だろう。そうでなくとも人がいるに越したことは無い。無い、が。


「……異常なし、どうせいつも通り何もない」


 そう言い聞かせ一人で歩みを進めていく。


「ここは立ち入りが禁止されている、いるならおとなしく下りてきなさい」


 一段、また一段と階段を登っていきついに屋上に続く扉を前にする。屋上へ続く扉は半開きになっており、時折風に揺られてギィと音を立てていた。


「夕勤連中は相変わらず仕事が雑だな……」


 引き継ぎ前の点検での漏れか、それとも引き継ぎに漏れがあったのか。そんなことを考えながらなんとなしに扉を開く。月明かりに照らされ夜風に吹かれる屋上は秋の近づきを予感させる。


「……っ……ぁ……」


 そして、そこには何かに跨がり抱きついている人影があった。


「こんな所で何を盛って……」


 思わず毒づきながら近づいていく。そして、数秒前の自身の考えがどれだけバカげたものだったか後悔した。

 

 横腹が大きく破れ内臓を溢した男と、その上に跨って嗚咽をあげながら首筋に顔を寄せる女。今なお首筋から流れ出るそれを泣きながら舐めとるその光景は只々異様の一言だった。


「お前……何をしている!」


 慌てて男女に駆け寄ろうとする。途端、跨っていた女性がこちらを見る。まるで夢でも見ているかの様にぼんやりと焦点を結ばない眼が俺を見据える。


 ――これは手に負えるものじゃない。そう感覚が告げる。立ち上がろうとしている女から目をそらさずに無線機を腰から取り出そうとする。だが、唐突に右腕が激痛に襲われる。焼きごてを押し当てられたかのように熱を持ったそれは、見れば何かに食い破られたかのように抉れていた。


「なっ……いっ」


 悲鳴を上げようと口を開いた瞬間、大きな衝撃と痛みを覚える。何かに首筋を噛まれているのだとわかったのは地面に押し倒されてからだった。先程まで男に跨っていた女と、どこから現れたのか小さな少女が首筋に、手首に噛み付いている。

 ブチッっと嫌な感覚を覚える。幸か不幸か、痛みはなかった。ただ、暖かな大切な何かが身体から出ていく。徐々に身体が冷えていく感覚を最後に、意識は闇へと落ちていった。


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死に至る病 スズハラ シンジ @disturb000

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