第5話 夕
病院の中を走っていく。少しでも人の少ない所を探して敷地内を駆けていく。そして、気づくと病棟の裏手――建物の死角になっており道路からも建物からも人の目が通らない場所にたどり着いていた。
「ここは……」
走る足を止めて辺りを見渡す。比較的影になる部分が多く建物の間を抜けていく風が心地よい。
「お兄ちゃん、何してるの」
不意に、影の中から声を掛けられる。声のした方を見てみれば暗がりの中で膝を抱えて座る夕がそこに居た。
影の中で座り込む彼女と目が合う。まるで心の奥底まで見透かされるような気持ちになり、慌ててその場を離れようとする。
「逃げちゃダメ、みんなお兄ちゃんを探してるよ」
彼女は立ち上がると服に付いた砂埃を叩き落としながら徐々に近づいてくる。自身よりも遥かに小さい相手にも関わらず彼女から目が離せない。
「混乱しちゃったんだね、大丈夫だよお兄ちゃん」
ゆっくり抱きしめられる。夕のほうが身長が小さいため、夕が僕の胸に頭を埋める形になっている。だが、抱きしめられた身体に夕の温かな感覚を感じる。血の通わない冷えた身体に彼女の暖かさは特別暖かく感じた。
「お兄ちゃんは冷たいんだね……大丈夫だよ、お姉ちゃんがいるからね」
抱きしめられながらゆっくりと背中を叩かれる。その暖かさや優しさはとても心地が良かった。年下の、それも小学生相手に抱く感覚として間違っていると思っても、まるで――母親のようだと感じるものだった。
どれだけ時間が立っただろうか。短い時間にも感じたし、とても長い時間にも感じた。
ゆっくりと夕が身体を離す。気づけばここに来る前よりもずっと気持ちが落ち着いていた。そして、名残惜しさを、自身よりも小さな女の子に母性を感じている事がすこし恥ずかしかった。
「お兄ちゃん落ち着いた」
そう言うと元の位置――先程まで座っていた場所に戻り腰を下ろす。すると横を手で叩きながらこちらを見てくる。横に座れ、と言う事だろうか。夕に近づき同じように腰を下ろす。
「お兄ちゃん、まるで弟みたい」
腰を下ろしてから少しすると夕はそんなことを話し始める。
「ママは小さい頃に死んじゃった。パパは頑張って夕と
夕は少し俯いて、少し身体を丸めるように話しを続ける。
「陽はママが死んでからずっと寂しそうだったの。パパは夕に『陽が大きくなるまで、お姉ちゃんとして陽を支えてあげるんだよ』って夕に言ったの」
ゆっくりと、遠くを見ながら夕は言葉を続ける。
「ある日陽が泣きながら帰ってきた事があったの……パパは出張で居なくて、お姉ちゃんだからなんとかしたくて、だからママが夕にやってくれた事を陽にしたの」
なんとなく理解した。夕は姉として、そして弟の母として頑張ってきたのだろう。
「さっきのお兄ちゃん、泣いて帰ってきた陽と同じ顔をしてた」
夕はくすくす笑ってから、
「お兄ちゃん、お兄ちゃんなのに弟みたい」
そう笑ったのだった。
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