第4話 食欲
暖かな日差しと外から流れ込む涼しい風で目をさます。重い頭を起こすように頭を横に振るとベッドから立ち上がる。
「おう、お前さんも起きたか」
空条もちょうど目を覚ましたタイミングだったのか、頭だけをこちらに向けて声を掛けてくる。
「昨日は突然ぶっ倒れるから心配したわい」
昨日と同じく笑いながら話しかけてくる空条を横目に自分の身体を見る。どうやら着替えさせられたらしく検査衣の色が変わっていた。
がっはっはと笑う空条のベッドに枕が投げ込まれる。見れば通路を挟んで反対側のベッドから投げられたようだった。
「もー、朝から空条のおじさん五月蝿い! せっかくもう少し寝れると思ったのにさ!」
見れば病院衣をまとった女性がフーッと空条を睨みながら抗議していた。
「スマンスマン、じゃが朝から
友奈嬢……友奈と呼ばれた女性は少し顔を赤くしながら今度はプラスチックのマグカップを投げつける。
「嬢をつけるな恥ずかしい!」
恥ずかしさからなのか、顔を赤くした友奈がふとこちらを見る。そういえば挨拶がまだだったと思い軽く会釈してから声をかける。
「えーと、その。はじめまして、おはようございます」
不自然にならないように、笑みを浮かべながら挨拶をする。
「そういえば挨拶してなかったね。
彼女は肩まで伸びた髪をかき上げながら挨拶を返してくれる。通路を挟んでいてもわかる顔立ちの良さに思わずドキッとする。
「そこのおっさんと同じように名前を呼んだらボコすから」
彼女はニッコリと、有無を言わさぬ雰囲気でそういうのであった。
食事を取る際に、動くのに支障がなく通常の食事が摂れる患者は院内の食堂を使うことができた。空条は杖を突きながら食堂へ、友奈も僕と一緒に食堂へと向かっていた。
「それで毎回そこのおっさんは私のことをお嬢お嬢って呼ぶのよ?ひどいったらありゃしない」
「がっはっは、一度呼び方を定着させるとなかなか替えられないタチでの!」
二人は食堂に入っても些細な事で言い合いをしている。と言っても険悪な雰囲気になるわけでも無く、むしろ古い友人と語り合うかのような安心感を感じさせるものだった。
空腹感を覚えることのない僕は特に何も買わずに席に着く。四人がけのテーブルを確保すると空条と友奈を待った。しばらくするとオボンを持った二人がこちらに歩いてくる。そうして僕の隣に友奈、正面に空条が席に着く。
「なんだせっかく食堂に来たのに何も食わんのか」
食事も飲み物も持たずに席についた僕を見て空条が尋ねる。
「病気の影響なのか空腹感が無いんだよ。一先生からも食事は許可されてないしね」
嘘は吐いていない。空条も納得したような顔でお盆に載せられた食事を摂り始める。友奈はと見てみればハンバーグ定食を既に食べ始めていた。器用にナイフとフォークを使ってハンバーグとお米を口に運んでいく。
「だからって食堂に来て何も食べれないんじゃ辛いわよねー……別に無理して付き合う必要も無いのよ?」
どうやら気を遣わせてしまったようだ。空条もうんうんと頷いている。
「ああ、あの部屋に一人で居てもつまらないからね。二人を眺めてるのは面白いし」
思ったことをそのまま言う。空条が笑いながら友奈に話しかけ、友奈の表情がコロコロと変わる様は見ていて面白いものだった。……時折空条がこちらに被害を振ることも有ったが。
「それなら
友奈が夕ちゃんと呼ぶ少女は同室の最後の一人だった。小学五年生になったばかりの時に交通事故に巻き込まれ入院している、と二人から聞いていた。身体のあちこちに包帯を巻かれており、見るからに痛々しい姿だった。
食堂に行こうと友奈から声を掛けられた時、親睦を深めるためにも一緒にどうだ、と誘ってみたのだが……
「話しかけたら無視ししてベッドに潜られたよ……」
そう、挨拶をしようと話しかけたが無視されていた。おかしなことはしていないと思うのだが……
「あー、夕ちゃん少しむずかしい所あるからねー」
「友奈嬢よりも難しいとは思わんがの」
ガッハッハと笑う空条を友奈がキッと睨む。ナイフを持った手がプルプルと震えているのが見える。
「投げたら刺さるぞ」
念のために止めておく。
「投げないわよ!」
怒られてしまった。友奈は不機嫌な顔でスープのカップを手に取る。すると、唐突にスープのカップを手落とした。
「痛っ!……っつー……カップ少し割れてたのか」
見ると指先を少し切ったのか血が流れている。
――ドクンっと心臓が脈打つ。鮮やかな朱が思考を埋め尽くす。喉が乾きを訴える。しばらく覚えることのなかった空腹感が食事を求める。
あの紅い液体はさぞ美味しいのだろう。口にしたい。吸い付いて咽下したい。その衝動が押さえられない。
「和人さんっ……ちょっと……何してっ」
口の中に温かい液体が広がっていく。舌が痺れるように感じる。口の中が熱を持つ。友奈の人差し指に舌を這わせて舌全体で血液を味わう。今まで口にしたことのない甘美なそれは更に脳を溶かしていく。
――きっと、血液がこんなに美味しいならこの柔らかな肉は更に美味しいのだろうか。今舌を這わせているこの指に歯を立てて噛み切ればすぐに解る。そう思い歯に力を込めようと……
「和人さん、痛い!」
はっとして口に含んでいた指を、掴んでいた腕を離す。見ると随分と強い力で掴んでいたのか友奈の腕は掴まれていた部分が若干うっ血している。指先は血の気がなく白くなっていた。
「違う……すまない……僕は……」
理性を失っていた。とは言えなかった。むしろ強い衝動を持って血液を啜っていた。その事実が更に頭を混乱させる。
「僕は……違う……」
「和人、落ち着け……ゆっくり席に着くんじゃ……」
声が聞こえる。だが、それを誰が発したのかわからない。怖い、怖い、怖い。このままここに居ればまた同じ衝動に襲われてしまうのでは無いか。次は本当に噛みちぎってしまうのではないか。それが怖かった。
「……っ!」
気づくと僕は、どこか人のいない所へ行けないとその場から走り出していた。
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