第5話 かいもの
広大な北海道の土地を時速五十キロで一時間走れば、止まるところもないのできちんと五十キロ先に到着する。地域住民ゆかりのスーパーに到着すると、寺原はまず特売品の惣菜を手にした。三割引き。次に冷凍食品のコーナーに行って主菜も副菜も確保した。そして最後に訪れたのは、五年ぶりに足を踏み入れるお菓子コーナーである。
「三百円までな。遠足の感覚で選べ」
「遠足ってなんですか?」
「遠足も行かせてもらえなかったのか? どこか行くだろう。クラスの何人かで集まって、水族館なり動物園なり」
「もし秋の米の収穫もそれに含まれるんなら行ったことあります」
「誰と行った?」
「クラスのみんなです。二年二組の」
「それだそれ。それが遠足」
「でしたら記憶にあります。それで、三百円というのは?」
「ほら、おやつを買っていくだろう? 遠足の楽しみの一つじゃないか」
「いやまったく知らないです」
「お菓子の交換とか、クッキー一枚でわらしべ長者みたいなことをするだろう」
「いや、しなかったですけど」
寺原は十五年以上の記憶を便りに会話していたが、もしかしたらその記憶そのものが今の時代とあっていないのだろうと強引に納得させることにした。五年前同じ条件を提示したときも、彼女たちが同じ反応を見せたからだ。これでは、バナナはおやつに入りますか、なんていう鉄板のネタさえ使えないではないか。
「とにかく、なんでもいいから三百円だ。好きなものを買ってこい」
「私が選んでいいんですか?」
「それ以外に何がある」
「いえ……初めてのことなので」
「そうか……大変だったんだな」
「たくさん初めてのことを経験させてくれるので、寺原さんは本当にいい人ですね」
初めて。その言葉の裏にどんな意味が込められているか、寺原は一瞬迷った。が、彼女がそんな寺原を見て少し首をかしげたので、なんてことはない少女の純粋な感謝だったのだろうと彼は考えを落ち着けた。どこまでも性感情の曲がりくねった男だ。寺原は久しぶりに自らの性癖を少し恨んだ。
「いいから、早く選べ。俺は野菜を見てくる」
そう言うと、寺原は小枝を置いてその場を離れた。もっとも、野菜なんて買ったことがない。どこに行ってもその帰り道に形の悪いものを農家からいただいているのだから。どっかのテレビで似たような企画をやっているよ、とは二個隣の――といっても距離にしてキロ単位で離れてしまうが――おばあさんに言われたことだ。むろん、出荷するものではないので合法なのである。結局、根は真面目なのが寺原なのだ。
小枝にとって、それは至福の時間であった。もはや新しいものを手にいれたに等しい髪を左右に振り乱しながら、これまた新しく目にするものを選んでいく。もちろん、彼女にはそれがしょっぱいのか甘いのか、不味いのか美味しいのかなんてわかるわけもないが、それでも彼女はパッケージから放たれる色とりどりの宣伝文句に目を輝かせた。
「298円……計算が得意なのか?」
「小六なめたら困りますよ。一応学校には通わせてもらってるんですから」
三百円までな、とは確かに言ったが、それでもここまでピンに寄せてくるとは思わなかった。彼女はしてやったり、といったような表情を浮かべている。
「にしても、全部チョコ系だな。好きなのか?」
「これがチョコっていうんですか。前から食べたかったんですよね」
知らずに選んでたのか。だとしたら相当本能的にチョコを愛してやまないタイプの女の子なのだろう。四点の商品をかごに入れて、二人はレジに向かった。実は、三百円というのは彼にとってそこそこの大金であり、今日は何日か先の分まで食品を購入してそれでも千円に行くか行かないか程度のお会計である。小枝がその事に気づく様子はなかったが、寺原は気持ち早めに会計を済ませて、そそくさと店を後にした。
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