Case9 学校に出る幽霊(1) 

 その翌日の放課後も、乙波の学校の怪談調査は続く……無論、俺も道連れである。


「――いや、絶対、不審がられるだろ?」


「大丈夫だよ。その時は見学希望の新入生だって言い張れば、なんとか誤魔化せるって」


 プールサイドの片隅に身をひそめ、俺は乙波にそう苦言を呈するが、乙波はまるで聞く耳を持ってはくれない……ま、一応、二人とも体操着に着替えては来ているので、マネージャーとかに紛れて制服姿よりは目立たないかとは思うのだが……。


 それにこの環境ならば、部員達の上げる歓声や水音が天井に木霊し、多少の物音を立てたり、普段通りの声でしゃべっていたりしても特に注目されないのがせめてもの救いである。


 昨日の続きで俺達が三つ目に訪れた怪談の場所は〝引きづり込まれるプール〟だった。


 乙波の説明によれば、昔、このプールで溺れ死んだ生徒の幽霊が、自分の仲間を欲しがって同じくここで泳ぐ者を暗い水の底へと引きづり込むのだそうだ……無論、最近、引きづり込まれたという生徒は存在しないし、もしそれが本当だったとしたら、今もこうして水泳部が平気で泳いでなどいないことだろう。


 ちなみにその当時は露天のプールだったらしいが、数年前に改修されて、現在はこのような屋内プールとなっている。


 それ故にまだ肌寒いこんな四月の半ばからでも泳ぐことができるのであるが、反面、この中は湿度が高いし、塩素の臭いのする空気はなんだか気持ち悪いような生温かさだ。


「あれ、上敷くんじゃん……と天音さん?」


 そんなほんとに幽霊の出るような生温かさの中、無謀にも堂々と振る舞う乙波の傍ら、俺がそわそわと周囲の警戒に当っていると、不意にどこか聞き憶えのある声が頭の後で聞こえた。


「…っ!? ……あ、有尾?」


 俺がびっくりしてそちらを振り向くと、それは有尾菜乃子だった。彼女はタイルの上に水滴を滴らせながら、その身には紺の競泳用水着と頭に白いスイミング・キャップを被っている。


「あ、どうもこんにちは」


 驚きに立ち尽くす俺のとなりで、乙波は暢気にも笑顔で挨拶をしている。


「……あれ、水泳部……だったっけ?」


「うん、そだよ。それよか上敷くんはどうしたの? もしかして水泳部に入りたいとか?」


 有尾は塩素で充血した目をパチクリさせて俺の顔を訝しげに見つめ、そう常識的な判断を下して尋ねてくる。


「あ、ああ、まあ、そんな感じかな……見学というかなんというか……」


 その問いに、俺は彼女から視線を逸らすと、あやふやな言葉で誤魔化すように答えた。


 とりあえず、ここまでは乙波の「不審に思われた時の対応マニュアル」通りだ。


「ほんと! そいつは大歓迎だよ! そっかそっか。上敷くんも泳ぐの好きだったんだあ……もう入部届け書いた? まだなら用紙もらってきてあげようか?」


 すると、有尾はパッと顔色を明るくし、うれしそうな声を弾ませてはしゃぎまくる。


 下手な言い訳を信じてくれたのはいいが、有尾は思いの外それを真に受け止めて、異様なほどに喜んでしまっている。


「あ、いや、まだ入ると決めたわけじゃなくて……泳ぐのが好きというわけでもないというかなんというか……」


 このまま入部させられかねない有尾の勢いに、なんとかその誤解を解きつつも、アホな本当の理由を告げずにうまいこと言い逃れようと四苦八苦する俺だったが……思わず戻した俺の視線の先には、彼女の豊満な胸のラインがピチピチの水着越しに浮かんでいる。


 驚きのためにそこまで気が回らなかったが……よく発育した胸にくびれた腰、そこから伸びる引き締まった小麦色の艶やかな太腿……プロポーションのいい有尾の水着姿は、これまた目に毒なお宝ショットである。


「ん? ……はっ! …も、もう! 上敷くん、目がヤらしい……もしかして、水着の女の子を存分に見られるからとか不純な動機で水泳部入ろうとしてるんじゃないでしょうね?」


 不覚にもレーザー光線並に照射されていた俺のガン見視線に気付いた有尾が、恥ずかしそうに胸を両腕で覆い隠すと、軽蔑するような疑いの眼差しを代りに返してくる。


「い、いや、そんなことはけして……」


「じゃあ、なんで水泳部入りたいの?」


「いや、入りたいというかなんというか、ただ見学してるだけというか……」


「ただ見学う~!? じゃあ、やっぱり水着の女の子が目当てなんだ!」


 うう……ますます誤解が……。


 俺は慌てて誤解を解こうとするが、解けるどころかさらに誤解は悪い方向へと深まるばかりである。


 それに、つきあってるカノジョの目の前で他の女の子の水着姿に目を奪われるとは、当然、乙波も怒っているに違いないと、こっそり彼女の方を覗ってみるのだったが……


「あの、お取り込み中のところ悪いんだけど、有尾さん、もし知ってたら教えてくれないかな?」


 乙波は俺の浮気心などまったくもって眼中にない様子で、不意に話に割って入ると有尾にそう言って切り出す。


「ハァ……ヤキモチ焼いたりとかはしないんだ……」


 俺としてはホッとした反面、なんだかとっても淋しいような……。


「ん? ……なに? 天音さん」


「水泳部員だったら〝引きづり込まれるプール〟の話、何か聞いてないかなあ? 巷じゃ語られていないような、部員しか知らないもっと詳しい裏事情とか」


 きょとんとした顔で振り向く有尾に、乙波は重ねてそう尋ねる。


 また、いきなりな質問だな……いくら水泳部員だからって、んなことそうそう知るわけないだろ? 突然、トンデモなやつに変な質問されて、有尾もとんだ迷惑だろうな……。


「ああ、あの話。うん。先輩達から聞いてるよ。その真相についてもね」


「えっ! 知ってるの!?」


 だが、予想に反してさらっと肯定してくれる有尾に、俺の方が乙波よりも先に声を上げてしまう。さすが社交的な有尾といったところだが、実はこの娘、伴野以上に情報通なのかもしれない……。


「やっぱりわたしの睨んだ通り……その真相、詳しく教えてくれない?」


「うん、いいよ。わたしが聞いた話ではね……昔むかし、まだこのプールが露天だった頃、ある男子生徒が休みの日に一人でこのプールに来て泳いでたんだって」


 いったい、どう睨んだ通りだったのかは知らないが、そう真剣な顔で頼み込む乙波に、有尾も表情を硬くすると、どこか声をひそめるような口調で語り出した。


「でも、そうしたらなぜかプールの水がだんだんと少なくなり始めたの。排水溝の栓を抜いたわけでもないのにおかしいな? と首を傾げたんだけど、そんなこと思ってる内にもみるみる水面には渦巻ができ始めて、慌てて逃げようとしたその生徒もあれよあれよという間に渦の底に飲み込まれちゃったっの!」


 つまり、その飲み込まれた男子生徒が、プールで泳ぐ者を引きづり込むようになったという霊の正体か……。


 しかし、それまでの流れから俺が推測したその結末に反して、話は思わぬ方向へと向かう。


「ま、でも、同時に水も全部抜けて、運良く彼は溺れずにすんだんだけどね。後で調べた結果、水が抜けたのはどうやら底にあった謎の蓋・・・が原因だったみたいなんだ」


「謎の蓋?」


 故意に強張らせていた表情を緩め、ウィンクをしてオチを付けるお茶目な有尾に、そのどこか聞き憶えのある響きを耳にして俺は思わず声を漏らす。


「うん。以前、このプールの底には変な鉄の蓋があって、それを開けると中は何に使うかよくわからない空間になってたみたいなんだ。なにせこのプール自体、戦前に作られた古いものだから、そこのコンクリに老朽化で大きなヒビが入って、それでプールの水が流れ出しちゃったらしいんだよ。その事故の後、危険だからってことで埋められちゃったみたいだから、今はもうその扉も空間も残ってはいないんだけどね」


「あの怪談の裏にそんな事件が……プールの底に謎の蓋と謎の空間……これはますます怪しくなってきたね」


 なにか昨日の既視感デジャヴュを感じるその話に、乙波は薄い眉毛を寄せ、難しい顔をして考え込んでいる。


「ま、何はともあれ、そうしてその男子生徒は事なきを得たわけで、死んだんでも無念を残した地縛霊になったんでもないんだけど、その事故の話が広まる内に尾鰭がついて、今聞く〝引きづり込まれるプール〟の話になっちゃったってとこみたいだよ? つまり、ぶっちゃけあの話は嘘だったってことだね」


 まあ、もともと俺は信じていなかったので嘘なのはもちろん想定内であるが、それでも、そんな元ネタの事件が実際にあったとはな……。


 そう言い切って話を結ぶ有尾に、俺は納得しながらも少々驚いている。


 乙波はいつもながら無根拠に怪しがっているが、その〝謎の蓋〟とその下の空間というのは、おそらく昨日見たベートーベンや階段のとこのものと似たか寄ったかの、施設管理をするために必要とされたものなのだろう。


 あるいはその場所にプールの水を管理するモーターやなんかの機械類がもともとは収まっていたのか……いずれにしろ、なんら怪しいところなどそこには存在しない。


 ただ、昨日から続くこの〝謎の扉〟という共通する符号には、多少、不思議な因縁めいたものを感じてしまったりもする……ま、きっとただの偶然の一致か、もしくはそうしたものが怪談の元ネタになりやすいという、ごくごく自然な法則性の結果に過ぎないのだろうが……。


「ところで、なんでそんな話聞きたかったの?」


 そうして俺と乙波がそれぞれの常識に照らし合わせて考えを巡らせていると、当然思うであろうその疑問を不意に有尾が尋ねてくる。


「それはもちろん、今、わたし達、この高校に伝わる学校の怪談について…」


「あああ! い、いや、ただなんとな~くだよ! なんとな~くこのプール見てたら、そんな話もあったっけな~って思い出しただけで……そ、そう! 下調べだよ、下調べ! 水泳部の入部を考える者として、そうした噂もちゃんとチェックしておかなきゃって思ったんだ。では、天音さん、予定も詰まってることですし、そろそろお暇しましょうか?」


 乙波が正直に即答しようとするがそうはさせん! 俺は慌てて大声を上げると思い付きの言い訳で適当に誤魔化し、さっさと彼女を連れてこの場を退散しようとする。


 乙波とともに学校の怪談を調べているなどと知られたら、俺までトンデモ系として有尾に認識されてしまう。もうこれ以上、変な誤解を受けるのはまっぴら御免だ。


「ええ~……ま、でも、確かに〝兵隊の歩く廊下〟も今日中に見ときたいしね……」


 最初は顔をしかめて抵抗を見せる乙波だったが、どうやら幸いにも俺の出まかせ通りにハードスケジュールだったらしく、今回は素直に従ってくれる。


「じゃ、そういうことで。有尾も部活、がんばれよ!」


「どうもおじゃましました」


「ええ? …あ、ちょっと、上敷くん、入部の話はどうするの~っ!?」


「ああ~! それはまた日を改めてということで~っ!」


 そして、急な展開について来れていない有尾をプールサイドに独り置き去りにすると、俺はペコリと頭を下げる乙波の手を引き、逃げるようにしてその温室を足早に後にした――。

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