最高についていない日

紅音

運の悪い、幸せな思い出

 ただいまの時刻、9時40分。今起きたばかりの啓人は焦っていた。いつも目覚ましに使っているお古のケータイが、運悪く充電切れを起こし、しまいには今使っているケータイも充電し忘れ、残りのHPは15%と赤く点滅している。


 そんな運の悪さを呪いながら、何とか用意を終えた啓人は寝静まった家族を起こさないように、そっと家を出た。


 時刻は夜の9時50分。あいにくの曇り空で月が見えない暗い夜道を、啓人は駆けていくのだった。


「お、おはよう、ございます!」

「おはよう、啓人君。珍しいね、君がギリギリにつくなんて」

「す、すみません」


 肩で息をする啓人に、大丈夫と微笑んでいるのはこの店の店長、只野さんだった。客はいないようで、発注用のタブレットをいじっていた。

 只野の横を通り、事務所兼休憩室の小さな部屋へはいると、そこには先客がいた。


「あ。島内さん。お疲れさまです」

「あら、啓人君。ありがとう。一足お先に、失礼するわね」


 着替え終えたパートのおばさん、島内はタイムカードを切って事務所から去っていった。啓人は荷物をロッカーにしまい、制服に着替えると、店内へ引き返す。

 

「あ。そうそう、今日は棚卸しするために、みんな来るから」

「み、みんなすか…」


 店長の一言に、啓人は持っていたお金を落としそうになる。レジのお金を計算していたが、どこまでやったのかすら飛んでしまった。

 このコンビニの深夜アルバイトは、少し個性的な面々が揃っている。

 今日はつくづく運がついていないようだ。そう思いながら、啓人はレジの計算を再び始める。

「おはようございます」

「岬ちゃん、おはよう」


 深夜アルバイターの1人、藤堂岬(とうどう みさき)がやってきた。身長は150センチくらいで、整った顔立ち、専門学校に通っている20歳の子だ。

「も、もしかして、今、二人っきりだったんですか…!ご、ごめんなさい!」

「ちょ、ちょっと、岬さん!?」


 訳の分からないことを言って、岬が走って出て行ってしまう。呼び止めたときに見せた顔は、完全にスイッチが入っていた。


「あらら、妄想スイッチ、入っちゃったね…」


 彼女は、妄想癖を持っていたのだ。しかも、男女おかまいなし。

 客のいない店内に、啓人と店長が並んでいたため、岬のスイッチは入ってしまったのだ。

 とりあえず、時間的に遅刻になってしまうため、啓人は岬を呼び戻し、タイムカードを切らせた。


「じゃあ、僕は裏片づけてくるね」

 二つのレジに、人が付いたタイミングで、店長はバックヤードに消えた。レジ付近の商品を整理していると、隣からなんとも言えない視線が送られてくる。

“いいんですか。行かなくていいんですか。人のいない店内ですよ。これ以上にない、パーフェクトな状況ですよ、いいんですか”


 あぁ、幻聴が聞こえる。彼女の口は開いていないのに、声が聞こえる。一瞬横目で見てしまったのが間違いだった。本当に、目は口程に物を言う。

 しかし、ここで幻聴に反論しようものなら、岬の餌食になる。それがいつものパターンだった。正直、きつい。この視線に耐えられない。早く、早く誰か!


 その思いが通じたのか、入店のベルがなり、1人の男性が入ってきた。

 確かに、誰でもいいとは思った。だが、順番が違う。あなたがきては、いけない…。


「お、おはようござい…」

「れ、礼君、おはよう。今日は、よろしくね」


 明るく。そう、挨拶は大切だ。啓人なりの笑顔で金髪見るからにヤン…ちゃな霧崎礼(きりさき れい)に話しかける。深夜アルバイター二人目。

 礼は、持っていた荷物を床にポトリとおとし、2レジにいる岬と、商品整理中の啓人を交互に見た。

 いけない。これは、非常にまずい。

 入ってきた瞬間まで笑顔だった礼の表情が、みるみる無になっていく。

 肩を震わせながら、啓人に向かってくる。

 

「てめぇ、誰もいねぇからって、」

「何もしてないです!そ、それに、今さっきまで店長もいたから!」

 自分より年下の礼は、身長は高い。ただでさえ見上げるほどなのに、胸倉を掴まれすごい勢いで睨まれた。しばらくすると、冷静になったのか、ワックスで固めたように立っていた髪が重力に逆らうことを止めた。体も解放され、制服を直しながら一段落ついたことにほっとしたのもつかの間。ものすごい視線が背中に刺さる。

 岬の目の前で、男同士が急接近したので、彼女の脳内補正によりとんでもない妄想が繰り広げられているのだろう。考えるとどんどん帰りたくなるため、啓人は頭を振って忘れることにした。


「礼ちゃん?何やって…!けいちゃん!!」

「あ。美空さん、はざます」


 え。嘘だろう。いつの間に来ていたんだ。

 礼に気を取られているうちに、最後の深夜アルバイターがやってきていた。その人物は、礼の陰に居た啓人に気づくと、目を輝かせた。


「会いたかったわ~!」

 美空悟朗(みそら ごろう)年齢不詳、男。そのたくましい体にに抱き着かれた啓人の体は、ミシミシと骨が鳴っている。

 悟朗、と下の名で呼ばれることを嫌い、見た目はとても猛々しい。しかし、その内面はとても乙女で、いわゆるオカマなのだ。


「あ、ありがとうございます、と、とりあえず、タイムカードを、切って…」

 息も絶え絶えに伝えると、ようやく解放され、啓人は深く息を吐きだした。


「岬ちゃんもおはよう」

「美空さん、霧崎君、おはようございます」


 満面の笑みで岬が挨拶をし、礼は顔を真っ赤にして事務所に入っていった。彼は岬に惚れている。そして、岬自身、それに気づいてはいるが、そういう対象として見ていないため、言われた場合は断るだろうと言っていた。…どんまい。


 10時15分。ようやくバイトが全員揃い、仕事始めた。啓人と岬はレジを担当し、美空は店長と一緒に裏の片づけを、礼は事務所で恵方巻のポップを作成している。

 相変わらず、店内に客は来ず、岬と啓人は床掃除をしていた。このまま何事もなく、終わればいいと思いつつ、複数の足音が店に入ってきた。


「いらっしゃいま、せ…」

「お?啓人じゃん。ここでバイトしてるって噂、まじだったんだ」


 ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる3人組が固まった啓人に近づいてくる。

 どうして、彼らがここにいるんだろう。人違いであって欲しいと願うのに、彼らから近づいてくる。

 一歩、また一歩と、距離が詰められていくと同時に、啓人の体は小刻みに震えていく。


「うわぁ、震えちゃってるよ」

「大丈夫~?」


 思ってもいない言葉を吐いてくる。過去と重なってゆく。

 

 そいつらは、高校生の頃、啓人をいじめていた3人だった。

 昼食の買い出し、宿題の代筆、そして、サンドバッグ。啓人を殴る彼らはばれないようにと見えないところしか殴らなかった。胸、背中、鳩尾、今でも消えない痣が残っている。

 それに耐えられなくなった啓人は、2年に上がる前に高校を退学した。

 この深夜バイトを始めたのは、数か月前だった。それまでは家の外に出ることはほとんどなく、家族にすら会わない日もあるほどだった。


 やっと、啓人なりに前に進もうとしているのに、彼らはまた、啓人の前に現れた。


「あ。丁度いいや。店員さん、これちょーだい」

「!!」

 渋々レジに向かい、その上に乗せられたものに絶句する。確かに、二十歳は過ぎているが、啓人には刺激が強いもので顔に熱が集まってしまう。

 反応が予想通りで楽しそうにする3人組。啓人は震える手で商品をスキャンした。

「1200円になりま…」

「は?俺らからも金取るわけ?」

「!!で、でも、ここは、お店で…」

 

 3人が明らかに不機嫌になる。これ以上、機嫌を損ねたら、お店に迷惑をかけてしまうかもしれない。そう思いながらも、一度受け入れてしまえばエスカレートすることは痛いほど良く分かっている。

 

「うわ、キモ」

「!!み、岬さん!?」


 考え込んでいたら、いつの間にか隣に来ていた岬が啓人の手元を覗き込んでいた。

 3人は、岬を一瞬見て、ゲラゲラと笑い出す。

「ほら、お前きもいってさ!」

「いいから、さっさと払ってくれよ」


「は?私が言ってるのは別に啓人さんに対してじゃないですけど」


 調子づいていた3人がぴたりと止まる。啓人自身も驚いて岬を見た。彼女自身は不思議そうに首を傾げ、さらに言葉を続ける。

「だって、それは持っていることは大人のたしなみみたいなものでしょうが、誰かに買ってもらうようなものではないでしょう。しかも、それが好きな人との行為に使われるものならなおさら、他人に買ってもらったものを使うなんて嫌じゃないですか。それを平気でやろうとしているあなたたちは、女性を行為の目的程度にしか考えていない最低な人か、はたまた好きでもない人と行為に至るような人だと考えられます。そんなの、女の敵じゃないですか。気持ち悪い」

「な!!てめぇ!!」


 淡々と言い切った岬に、リーダー核の男が手を伸ばす。しかし、男の手は届くことなく、さらに隣から伸びてきた手によって捕らえられた。

「汚ねぇ手で岬さんに触んじゃねぇ。屑男」

「れ、礼君」


 いつの間に、と思ったが、彼がいたのはレジのすぐ後ろにある事務所だ。音が聞こえていただろうし、監視カメラもある。

 岬と啓人が二人で客もいなかった状況なら、彼は1分おきにカメラの映像を確認していたはず。

 少しだけほっとした啓人は、岬に伸ばしかけていた手を戻す。

 礼は男の腕を掴んだまま離さず、横目で啓人を見た。

「…こいつら、啓人さんの友達っすか?」

 

 冷たい声音に無意識のうちに首を横に振っていた。友人でないことは真実のため、何も問題はない。

 礼はそのまま視線を半分顔を青ざめている男たちに向け、掴む腕に力を込め、そのまま捻り上げる。痛みに顔を歪めたのもつかの間、礼は投げ捨てるように腕を解放した。 

 ふと気づけば、礼は怒っているのにいつものように髪が立っていなかった。さらに言えば、目の雰囲気も普段の怒っているときとは違う感じがした。

 本気でキレている礼を見るのは、初めてだったのだ。


「おやおや、騒がしいから出てきてみれば、どうしたんだい?」

「て、店長」


 店長、という単語に、男たちは再度顔を上げ、バックヤードから出てきた只野に大股で近づいていった。


「どうもこうもないですよ!あんたのとこのアルバイトのガキに腕を折られそうになりましてね?いやぁ、これは折れているかもしれないレベルですよ」

 嘘半分の痛がりを見せてくる男を、只野はじっと見た。そして、レジにいた啓人たちに視線を移す。

 只野と目が合った啓人は、すぐに逸らした。視線に責めるようなものはなく、ただ何があったのかを見極めているものだった。

 それでも、今の啓人に、誰かと目を合わせるという行為は苦しくなる。

 自分のせいで、被害が広まってしまっていると。これ以上、大事になる前に決着をつけるため、啓人が口を開くより先に、岬が話し始めた。


「確かに、どうもこうもないですよね。あなたたちがお金がないからって代金を啓人さんに払わせようとしていた。その買おうとしていたものが、まぁ野蛮なものだったのでついつい私の本音が漏れてしまい、怒らせてしまった。そして怒ったあなたたちが私を掴もうとしたところを霧崎君に抑えられ、そのひ弱な腕は折れてしまった、かもしれない、というわけです」


 岬は淡々とさっきのできごとを話してくれた。いや、少し不機嫌そうだった。

「あらあら。聞いていれば、ずいぶん野蛮な子なのね。女の子を大切に扱わないと、私があんたらの引っこ抜いてやるわよ」

 後半になるほど、美空の聞いたことのない低い声に背筋に冷汗が伝う。

 男たちも、美空の言葉と見た目にすっかりやられたようで、ひっと悲鳴を上げて数歩後ろに下がった。そのまま振り返ったかと思うと、啓人をギロリと睨みつけてきた。


「啓人、覚えてろよ」

「大丈夫だよ。ここにいる全員が君たちを覚えたからね。次、何かしようとしたら、すぐに通報だ。防犯カメラもあるから、昼間の人たちにも見せて、顔を覚えてもらうことも可能だよ?」

 只野は、無表情で言い放つ。気づけば、岬も美空も、礼でさえ男たちを睨んでいた。完全に店の全員を敵に回し、敵わないと悟ったのか、男たちは奥歯を噛みしめて脱兎のごとく店から出ていった。

 

 啓人は状況が呑み込めずに、あっけにとられて店の入り口を見る。彼らが尻尾を巻いて逃げ行くところなど、初めて見たのだ。

「3人とも、大丈夫だったかい?」

 心配そうに見つめる只野は、いつもの店長の顔をしていた。

 心配させてしまった。迷惑をかけてしまった。啓人の心は罪悪感で苛まれ、勢いよく頭を下げる。

「す、すみません。俺のせいで」

「怖かったわよねぇ…。今夜は一緒にいてあげましょうか?」

「!!美空さん、それは鑑賞可能でしょうか!!」

「あいつら、次顔見たらぜってぇ殴ってやる…」


 心配そうな、少し艶をのせてくる美空に先ほどまで不機嫌そうだった岬のいきいきとした声、必死に怒りを押しとどめている礼のつぶやき。誰も啓人を責めなかった。というより、啓人の言葉をあまり聞いていない気がする。

 顔を上げ見ると、只野が笑みを向けてくれた。


「君は優しい。みんなそれを知っているからね。誰も君が悪いなんて思っていないよ」

 美空のウィンク、岬は微笑み、礼は明後日を見ながら息を吐く。

 一人ぼっちの空間に、うずくまっていた高校時代。真っ暗だったその場所に、ゆっくりと光が差す。

 温かなその光は、かけがのない仲間が運んでくれた。止まっていた啓人の時計を巻いてくれた。


「よし、今夜はやることが多いからね。みんな仕事に戻るよ」


 只野の言葉を合図に、再び持ち場に戻っていく。

 運の悪い一日の、幸せな啓人の思い出だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

最高についていない日 紅音 @akane5s

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ