確かにあった
不思議な夢を見た気がする。
まだ辺りが薄暗い頃、リョウは目をこすりながらむくりと起きがった。時計は5時半をさしながら休まずに動いている。となりで、飼い犬のサープがリョウに寄り添うように、いびきをかきながら寝ていた。
「大型犬のくせ君はいつも威厳がないのね。もうおじいちゃんだから?ふふ。おはよう」
リョウはサープを起こさないようにそっと起きるとワンピースに着替え、髪をくしでとかす。そして、コトコトと鍋を煮ながら朝食を作り始めた。
今日も、いつも通りの朝が始まる。
両親が共に殺されてからもう6年、リョウが11歳の時だった。
夜中、家の中に入って来た怪しい男は、何も言わずに突然狂ったように笑い声をあげながら両親を刺し殺した。母親にベッドへ隠されたリョウはその間声を上げるのを必死に我慢してベッドの下で体から血が逃げていく両親を見ていた。黙って見ていた。
まだ若く賢い愛犬のサープは、その間リョウを守るように大きな体で必死にリョウの体を隠していた。まっすぐな瞳で、なんの音もしなくなるまでずっとリョウに体温を分けていた。
それから、一瞬のうちに孤児となったリョウは親戚の家に引き取られるも、犬を抱いたまま何もしゃべらない子供に嫌悪感を抱いたのか、高校生になると同時に家を追い出された。影で「もうひとではなくなった子供」と言っていたのを知っている。
小さい頃両親が数ヶ月に一度連れて来てくれた別荘。森の中の閑散とした小さな家が、路頭に迷ったリョウとサープの新たな我が家となった。
それから、つまらない高校生活を送りながらサープと二人で暮らしている。高校はほとんど登校しない。埃を被った四人の思い出を少しづつ改装し、やっと住めるほどの家具や貯蓄もできた。
今は学校も夏休み。合法的に学校を休める、罪悪感のない期間。
リョウは人気のない森の中、サープといるわずかでも確かにある幸せだけで、この世にとどまっていた。
窓を開けると森の爽やかな風が入ってくる。木に囲まれているからか、真夏なのにほとんど暑いと感じたことがない。リョウは、朝食を食べると、のそのそと起きて水を飲んでいるサープの頭を撫でた。
「サープ、今日はもう散歩に行こう。今日はすごくいい日よ。きっと街に行くと、朝早く市場をやっている。待って、洗濯物を干してくるわ」
サープは眠ったまま、緩やかに尻尾をぱたぱたとさせながら小さく「うぉん」と吠えた。
今日はいい日だ。
街の方へは、極力近づかないようにしている。
リョウの父親たちの話は、街の間で知らないひとはいないし、街へ出たらきっと同情や奇妙な目で見られてしまうからだ。
惨めな自分になるのは嫌だった。だから両親が死んだ次の日から、リョウは泣くことをやめた。笑えば、きっともっと同情が付いて回るから、人前で笑うこともやめた。一人で無愛想に、ただ生きていれば誰にも惨めに思われずにすむ。そのおかげで親戚にも捨てられてしまったのだが。
だが、今はサープと共に過ごす日々が幸せだ。家族がみんないたときに比べたら、即答で「幸せだ」とは言えないが、たしかにこんな質素で静かな生活は幸せだった。サープだけが、自分の生きている証だった。
だからいいの。全然いいの。
街へは週に一度行くか行かないかだ。食料品を買うためや、遠くの街の方へは、家で作ったアクセサリーやお菓子を数週間に一度行われるフリーマーケットに出すために赴く。
今日は、久しぶりに綺麗な置物などを見てみよう。この間、時間をかけて作ったアクセサリーが飛ぶように売れたから、お金に余裕はある。たまには、いいでしょう。普通の人の子供になったって。
「さあ、行こうか」
街へ行くまで、目印もない森の中を長い間歩く。もう何年も住んでいるから道は完璧に理解できているのだが、この森はいつみても飽きない。歩くたびに景色が変わる。サープも心なしかいつもより楽しそうだ。よぼよぼの体を動かしながらキョロキョロと周りを見つめる。
「もう少しで街よ。地元の街の市場に行くのなんて、どれくらいぶりかしら。私いま、すごく気分が良いのよ。なんでかな。何か良いことがあるのかしら」
ふくらはぎほどまであるワンピースの裾をひらひら回しながら進んで行く。すると突然、サープの動きがピタリと止まった。
「…?サープ?」
サープの見ている方向は、来た方向でも、街へ向かう方向でもない、ただの草むらだった。ただ、しっぽをふりふりと動かし、その草むらに近づこうとしている。
動物の匂いでも嗅ぎ取ったのかしら。そう思い、リョウはサープの見つめる方向へつま先を向ける。
かさかさかさ…
確かにそこには誰かいた。近づいてくる音がする。サープは大きい目で草むらを愛おしそうに見つめている。目線は丁度、人間でも見るくらいの高さまで上だ。
「人…?だ、誰よ…。もしかして、迷ったの…?」
少しの沈黙の後、そろりと出て来たのは、
「……」
リョウと同じくらいの青年だった。
しかし、青年は、Tシャツから頰までべっとりと血が滴っていた。
「っ!!!けっ怪我している…だ、大丈夫…?すごい血、はやく止血しないと、、」
他の人にあまり懐かないサープは、珍しくご主人様に出会ったような喜びようで尻尾を振りながら青年の膝にすり寄っていった。よっぽど彼の事が好きになったらしい。
青年は、そんなサープなんて視界に入らないように俯き、息を切らしている。今にも泣きそうで、弱々しく左手を震わせていた。
サープの顔が曇り始める。
「なんか、あなた、様子が…」
すると青年は、上がった息のまま大きな口を開けて笑った。何が愉快なのか。お腹を抱えて、膝から崩れ落ちた。
「はははははっ!!!!あぁあっははは!!!!!ははははははははは!!!!!!!!…………
あーあ。」
はやく気づいておけばよかった。こいつは怪我人なんかじゃない。そもそも、おかしいじゃないか。
こんな大量の血を流していたら、まともに立っていられることすら困難だ。
これは、
返り血だ。
パァンッ!!!!!
狂気な笑顔を浮かべた青年は、右手に持っていた拳銃で。
サープの頭を撃ち抜いた。
6年前の記憶がフラッシュバックする。笑顔で両親を血まみれの塊にした男。その光景が、再現されたかのようだ。
思い出さなくてよかった。思い出したくなかった。今起きている光景に、偽りを求めていた。
唯一の、最後の「自我」が、破壊された。
「あ…サープ……」
艶やかで長い毛を血に染めたサープの頭を抱こうとしたが、あたまがもう無かった。名前を呼べば返事をしてくれるサープなのに。もう、サープには喉も、口も、心もなかった。
青年は、さっきの一瞬の狂気が嘘のように呆然としていた。まるで、自分のやっただ事が受け入れられないと言うように。また、出会った一瞬のように涙を浮かべながら、腰を抜かせてかたかたと震えていた。口元が、何か訴えようとしてる。
「ど。どうしよ…」
「るの………?何をしてるの?!!何をしたの?!!!!!!」
「ひっ!あっあ…ご、ごめんなさ…」
「返しなさい!!!!!!!!!私の家族を!!!私の生きている証を!!!!術を!!!!」
混乱して、自分でも何を言っているのは分からなかった。青年は小さな子供が泣くように、大粒の涙を流した。
「ごめんなさい…ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…ぼく…」
「……ねえ。君、教えて?これから私、どうすればいい?………」
気付いたら、目の前に落ちている拳銃に手を伸ばしていた。はじめてだけど、うまく定まるかな。痛くても別にいいけど、中途半端なのは、嫌だなあ。
喉が裂けるような痛みで、あたまがおかしくなりそうだった。なにかの音で耳が引きちぎれようだった。だが、気がつく頃にはもう、意識が遠のき始めていた。あぁ、これは、私の悲鳴のせいだ。
「あぁあっまって!!!!!」
「聞こえないわ。」
パァンッ!!!
森で、二回目の銃声が鳴り響いた
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