第7話 そいつは、誰だ?
エリードは、その日、ある連絡を城の中にある自分の自室で待っていた。アリサとラダム国王の連絡である。出産間近だったアリサは、急に容態を悪くしていた。だが、どうやら一命を取りとめたらしい。お腹の子供は流産したと部下から報告があったのは、部屋の時計が午後十三時を回ったところである。
「そうか・・・」
エリードは、短く言葉を切って、部下からの報告を流した。部下は一礼をすると、エリードの部屋から出ていった。
「あとは・・・あっちか・・」
部屋の窓の外には、グレーの薄暗い風景が、どこまでも世界に続いていた。いつもは晴れている時間帯なのに、今日はやけに朝から夜のように暗かった。昼を過ぎても太陽が雲で隠れている世界に、光という存在はなかった。それでも、エリードの顔には、光が宿っていた。
「フフッ・・」
唇の端から、少しの笑いがこぼれる。誰もいない部屋の気の緩みか、外の景色に似つかわしくない笑みを顔に宿し、エリードは、小刻みに身体を揺らしていた。
「やった!」
少しの笑い声は、やがて歓喜の声にかわり、エリードはイスから立ち上がると、窓のある場所に足を運んだ。
「あと少しで、この世界は、俺のものだ!」
ラダム国王が、アリサを流産させた相手をリスクの愛人だと思いこませる工作が、ここまで上手く行くとは・・・・我ながら自分の書いたシナリオ通りに、人間が動く様を見るのは、痛快だった。
「ククッ・・それでラダム国王がリスクの死刑執行の際に挑発して、リスクに逆に殺されれば・・・・」
その報告を、彼は、この自室で待っていたのである。見に覚えのない死刑宣告に、必死で抵抗するリスクは、おそらく自分の中に眠っている『勇者の力』で国王を殺すだろう。その現場を部下に確認させ、証拠を完璧にそろえる。そしてあとでその罪を裁判でつきつけて、リスクを排除するもよし、その場で自分の部下に反逆罪で殺害するのもよし。
「・・・邪魔者は・・・もう・・・いなくなった・・・」
エリードの野心は、誰の目にも見えなかった。だが、それに気がついたのは、エリード本人だけであった。なぜが自分は、父ラダムに、物心ついたときから、嫌われていた。病気がちだったせいか、それでも、いつも妹のアリサだけが可愛がられていた。ある日、彼はふと自分は、この国の王になれないことを、悟った。
「ならば・・・」
いつ死んでもおかしくない病気の身体のままなら、一人では死なない、と心に決めたエリードは、いつか自分を愛さないラダム国王に殺意を抱き始め、暗殺する機会を狙っていた。そして、その日が、今日だった。
「母を・・・毒殺したのは・・・僕じゃない・・・ただ、その日は、父の飲む紅茶のカップを、母が少し、味見した・・・それだけなんだ・・・」
言い訳のような独り言を呟くエリードは、窓の外に落ちていく白い粉の存在を目視していた。
「雪・・・か・・・」
天空から降ってきた白い奇跡を眺めながら、季節が雪に変わるのをエリードは、感じていた。
ギィィ
ふと、エリードの後ろで不快な金属音が鳴った。誰かが、わざとノックもせずに、自分の部屋のドアノブを外側から回して、自分の聖域に足を踏み入れようとしているのだ。わざと、エリードはドアノブの接続部分の金属部分に油を差すことをしていなかった。それは侵入者が入ってきたときに、すぐに察知できるほどの音をわざと鳴らすことで、即座に招からざる客に反応できるように、で、ある。
「・・・・・・・・・」
腰に差した護身用の剣に手をかけ、腰の骨の間接を回し、剣を抜くと同時に進入者に正面から対峙する、エリードの動きは、一瞬の無駄もない、理想的な一連の動作であった。
「!?」
ただ、エリードには、計算違いが三点あった。それは彼が義弟を過小評価していたこと。彼の、自分よりも遥かに大きい野心に対処できなかったこと。そして彼の能力は、自分よりも早く、効率的に、自分の命を、胸の上から一瞬にして剣の一突きでつらぬき、奪ったこと。ただ、それだけであった。
「ガハッ・・・・何で・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
馬乗りになって、悲鳴を上げぬままエリードは、邪悪鬼よりも恐ろしい顔に変質した義弟が、自分の弁解を聞く気もないことは、明らかであった。自分の部屋の前で血まみれで倒れているさっきの部下の、人間だった塊を、目のすきまで捉えながら、すべては自分の浅はかな野心であったと気がついた。
『あのとき、アリサの横に座っていたこいつが、義兄としてわざわざ注いでやったカップを、毒入りの紅茶を・・・飲んでいれば・・・きっと・・・こんな・・・・未来には・・・・』
エリードもまた、口からもう死ぬしかないレベルの血を吐き出しながら、永遠に醒めない夢の中へ、旅だった。彼のリスクへの予感は、ある意味、正しかった。だが、運命は、リスクに味方した。寒い冬の日は、やけに、いつもより、赤かった。
「国王は、アリサ王女は、どこにいったのですか!?」
顔に通っている血液のすべてを、責任という重力に引っ張られたように、青い顔をふりがざして、城の廊下を走り回るハーグ政務官は、焦っていた。国王の右腕として、政治がわからない王のために、政治参謀としてひとり王政のすべてを支えていたハーグは、スケジュール通りにことが運ばないことに恐怖を感じていた。今日の午前中に、国王は自分の知らない秘密の用事を告げて、朝から部屋を出ていた。だから午後の十四時を回っても、王が自分の部屋に戻らないことに、ハーグの心臓は押しつぶされそうだった。王が秘密の用事を作るときは、だいだい、複数の女性と密会し、情事に溺れている時くらいのことは、予想はしていた。だが、そんな時でも、王は遅れることはあっても、何の連絡もしないわけではなかった。伝令係の秘書から、接待で遅れるとだけ連絡があったが、今日はなかった。それが、ハーグの心を、締め付けた。額の上に何本も皺を作り、すっかり白髪に変わった髪の毛も、その程度で済んだことは、奇跡だった。王の逆鱗に触れ、その場で本当に、首が胴体から切り離され、跳ね跳んだ前任の政務官の姿を、何度も目に焼き付いていた。そんな責任が重いだけの政務官を五年以上続けられた自分には、才能があると自信をつけてきた中で、見に覚えのない、最大最悪の出来事が、今、起きてしまった。
「・・・ハーグ政務官殿・・・こんにちは・・・」
そんな顔面が青くきゅうりのようになったハーグに、悠長に挨拶をする青年が一人、いた。
「・・・おお・・・リスク殿・・・これは失礼・・・気がつきませんでした・・」
下級市民から自分を追い越して王族に成り上がった青年に対しての、妬みや嫉妬を感じさせない態度で、ハーグは丁寧に青年に挨拶を返した。
「ハーグ政務官・・どうかされたのですか・・・?いやに慌てて・・・」
「・・・・いやね・・・いろいろと・・・立て込んでまして・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
いきなり相手が王族とはいえ、すぐに自分が今、思っていることを話さないあたり、ハーグの警戒心は、何重にも張り張り巡らされていたし、彼が有能な証拠であった。
「・・・仕事が忙しいのですか・・?」
「・・・はぁ・・・まあ・・・そんなところです・・誰か・・・変わってくれないですかね・・・ハハッ・・」
苦笑するハーグに、リスクの目が光る。
「王のお世話は大変ですね」
「・・・よくご存じで・・ああ・・国王から聞いたのですね・・・」
「・・・・・・・・・・・」
リスクは、『はい』とも『いいえ』とも言わなかったが、相手が、勝手に誤解をし始めた。
「そうなんですよ・・・実はね・・・」
ハーグの警戒心は、一気に、そのことで崩壊し始めた。相手が自分のこのつらい境遇を理解してくれていると思った瞬間、相手が信頼できる『味方』に変わっていった。
「・・・なるほど・・・そうだったのですね・・・」
ハーグの説明を丁寧に頷いて、唇に手をあてて、しっかり聞いているという態度をするリスク。だが、手の後ろにある唇は、笑っていた。
「・・・・すいません・・・つまらないお話で時間をとらせてしまいましたね・・・失礼いたしました・・・忘れてください・・・」
「・・・いえいえ・・すばらしい貴重なことを聞かせてもらいました・・・ありがとう・・」
リスクは、ハーグに対して、敬語を使うのを、止めていた。
「・・・えっ・・・どういう意味ですか・・・?」
急に感謝されて、ハーグは、困惑していた。
「ああ・・・言い忘れていたが・・・こういうことで・・・」
リスクは、胸のポケットから、一枚の書類を取り出して、ハーグの前に、示した。
「・・・・・・えっ・・・・王位譲渡同意書・・・?」
リスクは、唇の端を、上へ押し上げた。
「・・・そう・・・・今日から・・・私が・・国王だ・・・・」
譲渡同意書には、ラダム国王のサインと、王印である鳳凰のデザインが、赤く刻印されて、いた。
「ハーグ君・・・よろしく・・・頼むよ・・・君の代わりはいないから・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ハーグは訳も分からず、ただ、黙ってリスク新国王に、敬礼をした、だけであった。
リスクが国王に就任する戴冠式は、その日の翌日に、ハーグ政務官の指揮のもとに、不死鳥の間で、粛々と行われた。ラダム元国王やエリード王子、アリサ王女の三人の王族が欠席のまま、リスク国王の戴冠式は、誰の異議を挟み込む余地もなく、ただ、リスクが持ってきた王位譲渡同意書だけが、この場のすべての意味を、証明していた。ラダム国王のサインと押印は、監察官に何度も検証してもらい、本物であるという証明がされたのは、戴冠式の二時間前のことである。そこからリスクはすぐに国王として戴冠式をすぐに行うようにハーグに初の命令を下し、この場を作り出したのだ。ハーグは、新国王が何を急いでいるのかは知らなかったが新しい国王になっても、自分が奴隷のように自由もなく、こき使われることには変わりなかった。
「アリサは・・・どうなっている・・・?」
「・・・容態の事ですか?・・・アリサ様は心身は安定していますが・・世継ぎに関しましては・・・残念ながら・・・・」
ハーグは、病院からの報告書を読み上げながら、リスクの顔色をうかがっていた。人の顔色を伺うことに慣れすぎて、それだけの男になるのは、ハーグの本意ではなかったが、自分と家族が生き残るためには、この若く、そして成り上がりの新国王の気持ちを、自分なりに解釈して、先回りするしかなかった。
「うん。そうか」
ハーグの読みは、リスクがハーグの報告に満足そうな顔をしているのを見て、初めて正しかったと証明できるレベルだった。
「アリサは良いとしても、義兄のエリード王子も昨日から行方不明なのだから・・・捜索隊を編成しなければな・・・」
リスクは、顎に残った髭を全部剃らずに、そのまま部分的に残すことにした。それは、ジンクスであったかもしれなかったし、王としての威厳の残照かもしれなかった。
「そうそう」
「はっ?」
なにか、急に思い出したように、リスクは言葉を発した。
「まず国内が不安定な状況なのでな、新しい予算会議において新・騎士団を編成したい。装備は寄せ集めでなく最新鋭のものを調達し、国内外に向けてアピールする意味を込めてな。そして新団員を広く採用する。若くて才能があって、戦闘経験がなくてもかまわない。戦闘で武勲をたてれば、すぐに出世できるようにする。あと・・・」
「・・・・ちょ・・・ちょっと・・・待ってください・・・その予算を組むための収入は・・・どこから調達するのですか・・・?」
ハーグの顔が、さらに青くなる。ない袖は振れぬ。いきなり天からお金が降ってくる奇跡も、どうやら、見込めそうもない。だが新国王は、資金調達のあてがあるようで、ニヤッと笑いを口からこぼした。
「お金がない、なら、奪えばいい」
「・・・・・・・・・・・」
しんと静まりかえった王の寝室で、リスクとハーグは二人、しばし黙り込む。そこから離れた二人用ベットで、人間の吐息が、静かに呻いた。それは甘美の情事を終えたあとの気怠さの残る挨拶か。ハーグも、リスク王のベットにいるそれと、何もかも忘れて、性の泉に溺れたい衝動に駆られた。だが、王の顔を見れば、そんな甘い誘惑の夢は、消えた。
「ハーグ・・・俺を怒らせるなよ・・・?」
リスクの国王としての、何かが、今、始まろうとしていた。
「新国王が誕生したらしいぜ?知っているか、ルシファー?」
船着き場で、今、海から取れた魚を必死に陸に揚げているルシファーに、親方が、話しかける。
「・・・えっ・・・なんだって・・・?今俺に話しかけると危ないですよ・・」
ルシファーは、新鮮に跳ねる魚と格闘していたので、親方の言葉など、半分くらいしか聞こえていなかった。
「なんでもない」
親方は、ルシファーの仕事ぶりを見て、今は何も言わないと決めた。
「今のお前には、必要ないか・・そんなこと・・・」
「そうそう。難しいことはよくわかんねぇ。今は・・・」
親方は、城の専属新聞社が出した号外の新聞を丸めて、ルシファーの見えない場所に捨てた。
「今日の稼ぎはどれくらいだ?」
ルシファーは、仲間とシェアしている家に夜の二十一時に戻ると、早速、みんなの給料を集めて、金額を数え始めた。
「やっぱりルシファーが一番多いな。元戦士だからかな?」
隣の男が、嫌みと賞賛を半分づつ混ぜた声をあげる。
「馬鹿野郎。せっかくあの場所から抜け出せて、こうやって職にあり就けたのに、元戦士とか関係ない」
隣の男の給料が少ないことを見て、ルシファーは頭を殴った。
「痛てぇ。」
「目標のノルマ達成できなかったら、いつまでも起業できないだろうが?」
「ルシファーが俺の分、稼げばいい」
他の男が言った。
「俺に全員分の稼ぎをやれってか。ならもっと独裁者みたいに、お前らから、締め上げるぜ?」
「ヒィ!?」
「ハハッ。すまんな。お前の剣術塾を作る資金、もうすぐだぜ?」
別の男が、ルシファーの肩を嬉しそうに叩いた。
「わかってる。俺の剣術塾が軌道に乗ったら、お前たちの夢も、叶えられる資金ができる。そうしたら、みんなでパーティしようぜ?」
「やった!!」
歓声と、抱き合う音が家から漏れ出す。
「おっと。そんなに騒ぐなよ?せっかく住所不定の無職の俺たちでも貸してくれる家なんだ。大事に使えよ。」
ルシファーは、唇に人差し指を一本、あてた。
「あんな過去は二度とごめんだぜ。闇ギャンブルで生計を立てていた・・・あのころには・・・」
「ああ・・・税金もちゃんと納められるようになったし。これも全部、ルシファー・・お前のおかげだ。ありがとうな」
仲間のねぎらいの言葉に、目頭が熱くなったルシファーは
「俺、ちょっと、酒買ってくる」
と、ひとり、外に出て行った。
「・・・・・・・・・・」
夜に開いている店は、ほとんど閉店して営業をしていなかったが、それでも知っている行きつけの店の親父なら、余った酒を分けてくれると思い、ルシファーは、その店の前にきた。
「親父さん!!あけてください・・!あれ・・・?おかしいな・・」
いつもはこの時間までやっているはずの、行きつけのお店は、なぜか今日は閉まっていた。一枚の張り紙が、木製のドアの前に無造作に張ってあるのをルシファーは目に留めた。
『閉店しました』
いつも店の中は満席状態で、売り上げが悪かったという印象はない。急に何かあったのかと思いながら、違う店でお持ち帰り用にお酒の瓶を何本か買うと、遅くなった帰り道を、ルシファーは歩いていった。
「・・・フウ・・・・・」
久しぶりに肉体労働をした体は、嬉しい悲鳴を上げていた。その日暮らしで、生きる意味も見いだせなかったあの頃。魔王を倒したあとの少ない報奨金は、すべて闇ギャンブルの暗黒の中に消えていった。そのクソッタレな自分の人生を何とかしたい。そのきっかけを与えたのは、元仲間のリスクだった。
「・・・あいつだけには・・・負けたくない・・・な」
ひとり貴族に成り上がって、騎士団長の団長として俺の前に現れたとき、俺は嫉妬することをしなかった。
『こいつは、俺たちとは、違うんだ』
自分が努力しても追いつけない、あまりにも遠くに行った、かつての仲間との再会。そして今の自分の立場を比較して、あまりにも違いすぎて、逆にリスクに嫉妬しなかった自分が、情けなかった。
『俺の人生は、ずっと、こんなままなのか・・・』
リスクと俺は下級出身同士、息があって、一緒に魔王を倒して、そして、あいつはチャンスをつかんだ。俺とあいつの差って、一体、なんなんだ?とルシファーは自問自答する日々が続いた。
『・・・いや・・・俺とあいつはほとんど変わらない・・・あとは運だけじゃないか・・・』
リスクとの差を改めて認識したルシファーは、魔王を倒したという過去の栄光の自分を捨て、闇ギャンブルに行くのを止め、やっと掴んだ漁師の仕事をしながら、自分の特技を生かせる商売を自分で始める資金集めを、仲間たちと一緒に始めた。
「あと・・・少しだ・・・あと少しで・・・・」
ルシファーは、ひとりでつぶやきながら、みんなが待つ二階建ての家の外側に設置された階段を上っていった。その家の階段は、足を上にかける度に、鈍い音がたまにした。ところどころ錆びていて、でも芯はしっかりして見える。汚れもあるが、磨けば、綺麗になるレベルだった。
「まるで・・・この階段・・・俺みたいだな・・・」
そんな思いを巡らせると、この汚い階段もルシファーにとって味わい深いものに変わっていく。
「・・・・今日はやけに玄関の前の床が汚いな・・・あいつ・・掃除さぼってるな・・・」
この家のオーナーさんに怒られて、ここを追い出されたら、俺たちはまた野宿生活が待っているのを、理解していない仲間にルシファーは少しイラつきながらも、そんな仲間を愛おしいと思う自分は、成長したのだと思った。そして、みんなの待つ玄関ドアを、勢いよく開け放つ。
「ただいま!」
「・・・・ダメじゃないか・・・」
「!?」
予想外の返事に、ルシファーは、玄関の前で動きを停止させた。「ダメ・・?」
「・・・・ダメだろうが・・・・」
家の中にいた、それは、ルシファーの問いかけに、同じ言葉を何度も繰り返してきた。気がつくと、足下に赤い血糊がうっすらとルシファーの靴に伝染し、赤いシミを作り始めている。部屋は誰もいないみたいに静かだった。ルシファーとそれ以外に話し声は聞こえなかった。
「ダメだよ・・・ルシファー・・・」
その言葉の主の背中が、うっすらと見え始める。見に覚えのある輪郭と、そして緊張や怒りによって低い声なる癖があった。記憶の底から浮かび上がってくるあいつに、よく似ている影だった。
「・・・・ダメじゃないか・・・ちゃんとここにいなきゃ・・・ルシファー」
「・・ああ・・・」
全身が痙攣し始める。愛も憎しみも、同情も、妬みも、すべて感じた相手が、背中から、ルシファーに語りかけてきた。地獄の底から、やつが、また、やってきたのだ。
「・・リ・・」
「ダメだろ・・・お前・・・ここにちゃんといなきゃ・・・よけいなことを・・俺にさせやがってよぉ・・・お前は・・・ここにいなくちゃ・・・ダメじゃないか・・・」
「・・・・・ス・・・・」
「ダメじゃないか・・・・」
男の背中から、横顔が、見える。そして
「お前は・・・死ななきゃ・・・ダメじゃないか」
「・・・ク・・・・」
男の顔は、かつての仲間の、それ、ではなかった。それを見た後に、ルシファーの姿を見たものは、いなかった。漁師の仕事も、翌日から、欠勤し続けていた。
新国王の座に収まったリスク国王の「春の大改革」は、春一番のように凄まじい風を、国の中に吹き荒らした。
粛正である。
王族は、リスクとアリサ以外、全員が行方不明か、二度と戻ってこれない場所に強制追放された。一応、リスクの妻であり后(きさき)の立場であるアリサを追放すれば、リスクに非難が殺到するのを避ける意味もあった。だが、あくまでも形だけでの后で、病院から退院したアリサは、父が死んだことを知らされると、また体調を崩し、そのまま城の離れにある小さな療養所に、入院という形で監禁された。日中はリスクの親衛隊に監視され、妻と言うよりも囚人という扱いだった。
「・・・・・人殺し・・・・」
アリサは、誰もいない一人部屋で、そう、壁に向かって呟いた。そしてリスクは、リスクの独裁王政に反対する一部の貴族や役人たちを牢にぶち込み、罪をなすりつけ、死刑という罰を与えて、この世から消した。その指揮をすべて行ったのはハーグ政務官だったが、あまりにも数が多すぎたため、まとめて死刑をした日の翌日、彼は体調不良で倒れ、一週間以上、家から一歩も出ることはなかった。ハーグ政務官の副官のライズが、ハーグの変わりに死刑執行を指揮していたが、彼はリスクに心酔しており、ラダム国王時代の不正や汚職を排除し、一部の才能のある人間にチャンスを与えてくれたリスクを偉大な王だと称えた。その功績が認められたライズは、リスク国王の直属の親衛隊の隊長として役職を変え、スパイ監視や城内の警備、市民の弾圧と懐柔を一気に引き受けた。リスクは、彼に若き自分を重ね合わせ、たいそう可愛がった。
「これから・・・どうなさるのです・・?」
ある日、ライズは、リスクに恐る恐る訪ねた。
「・・どうというのは・・・どういう意味だ?」
質問に質問を返すリスク。意味不明で、底の浅い質問を嫌うリスクは、相手が意味もなく自分の時間を使うことが嫌いだった。
「・・・いえ・・・まだ・・・死刑執行を続けるのですか・・?これ以上続けると・・・」
「・・・なんだ・・?」
「・・・いえ・・・国内に有能な人材が減ってしまいます・・・他国のとの関係も・・・国内の政治も・・・まだ不完全なままで・・・死刑執行よりも・・・まだする事が・・・」
言葉の文末を断言できないのは、ライズがまだ、若いからだ。
「・・・わかっているよ・・・だが・・・嫌いな人間を俺の傍においておくのは・・・我慢できないんだ・・・わかるだろう?」
「・・・はっ・・・」
やけに子供っぽい理屈で、ライズに返事をするリスク。
「恐怖と絶対的な暴力で、国内の秩序を平定する時期は・・・もう終わったか・・・そうだな・・・牢屋にいる役人の中で、ラダム国王の忠誠を捨てるものをピックアップし、懐柔させろ。ラダム国王の肖像画を踏んだやつは重要な職業を与えるとな。できない奴は全員殺せ。いいな?」
「ハッ・・・」
リスクは、顔を硬直化させたライズの肩を、二度叩くと、付き添いの女性秘書の腰に手を回し、執務室を出て行った。
『フィルーナ秘書と言ったか?あれは。それ以外にも第二秘書も第三秘書も、同じ金髪で目の青いグラマーな美女ばかり。そこの部分は、前任のラダム国王と同じ・・・か・・・・』
ヒゲを顎まで垂らしたリスクは、政治の仕事をすべてライズに押しつけると、城の中にある、国王専用の小さな家の中に、秘書のフィルーナとともに、静かに消えていった。まだ、日が落ちる前の夕方の空は、赤く、血のように染まっていた。
リスク国王が王に就任してから半年が過ぎ、ラダム国王亡き後の国は、一応の平穏が訪れた。リスク新国王が次に行った改革は税金滞納分の取り立てである。それは苛烈を極め、現場の税徴収官のさじ加減で、納税額以上に余分に税金を納めることになった事例がいくつもの場所で多発した、一家離散や商店の倒産が相次ぎ、人々は、新国王に不満を持ちながらも、表向きは何もいわず、ただ、自分が目立たないように、静かに生活をしていた。また犯罪らしい犯罪は起きていない。それは騎士団や警察組織が強化され、城の城下町の至る所に警察署ができたことと関係があった。表向きは犯罪抑止のためだったが、反乱などの不穏な動きをする国民の監視も、同時にそこで行っていた。王となり独裁政治をしているという感覚は、リスクにはなかったし、自分はいつも正しいと思っていた。ただ、自分の正義を理解できない愚かな愚民どもを、自分が正さなければならないという正義感だけは、リスクの中にいつもあった。それは国内だけではなく国外も同じで、自分たちの国の地位が、下であることに、異常な嫌悪感を覚えたリスクは、外交を何もしなかった前任のラダム国王を罵りながらも、
「近いうちに、見ていろ」
とだけ呟いて、ハーグ政務官やライズ親衛隊隊長とともに、何か話していた。だが、その内容を知る人間は、ほとんどいなかった。
「知っているか?」
国境付近に設置されていた隣国の警備所で、本を読んでいた警備兵の一人が、仲間の一人から、そんな言葉を投げかけられた。
「何を?」
本を読んでいた警備兵は、本から目線を外すさずに、そう返事をした。
「隣国の王様、死んだらしいぜ?」
「・・・・病死か・・?」
王様が任期中に国内で死ぬ場合、病気か暗殺か、相場は決まっていた。
「・・・さあな・・・でも噂じゃ・・・部下に殺されたって」
「暗殺ってやつか・・まっ・・よくある話だ・・・俺たちには関係ない話だな・・」
警備兵は、最後まで本から自分の目の照準を外すことはなかった。
「どうやらそうでもないらしいぜ?」
「えっ?」
「・・・・即位した新しい王・・・あだ名が『魔王』だってさ・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
人間社会を、つい最近まで恐怖のどん底にたたき込んだ『あの魔王』の異名が、再び、現世に降りてきて、暗い影を、警備兵たちにも、落としていった。
「正真正銘の人間なんだろ?そいつは?なら・・・大したことはないさ・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
同僚は、なにも喋らなかった。いや、喋ることがができなかった。
「・・・・ん・・・・?」
本の向こう側で同僚がずっと沈黙していることに違和感を察知した警備兵が、ようやく持っていた本から目の照準をはずし、正面の現実をみた。
「・・・・・・・・・・・・」
幻想の世界から現実に戻ってきた警備兵は、また幻想の世界にいる感覚を味わった。それくらい、目の前の光景が、あまりにも現実離れしていたからだ。円錐の形をした大きな槍で、体の真ん中を貫かれた元同僚だったものが、血を吹き出しながら槍の中で、目を開けながら寝ていた。
「・・・おい・・・・・」
寝るな仕事中だぞと、声をかけようと思って、残りの警備兵がそっちへ動こうとしたのを、槍を持った持ち主は、見逃すことはなかった。光り輝いた目は、人間のコンマ何秒のミクロの宇宙の世界を、見逃すわけがなかった。同僚に駆け寄ろうとする警備兵の体を、槍が通り抜けるまで、五秒とかからなかった。もうひとりの警備兵も、すぐに同僚の後を追った。
「・・・・・敵の援軍が来る時間は?」
槍の主は、部下らしき人間に声をかけた。
「敵の本拠地からこの一帯までの距離、推定五十キロ。どんなに急いでも二時間以上かかります。いけますよ」
「そうか。こいつらが本部と連絡をとった形跡はない。三時間以上は、敵は我々を見つけることは不可能だ。その間に、この敵の隣国に足がかりを作らせてもらおうか」
警備兵だったものの亡骸を、証拠隠滅のために、森の中に埋めて、さらに自分たちが国境を越えてたった今、侵略をした形跡をすべて消したリスクは、最新鋭の装備を調えた新騎士団を従えて、隣国を、今、武力で、蹂躙しようとしていた。
「王、ハマド王、報告いたします!」
血の気を、顔からすべてそぎ落とした秘書役の男が、ハマド王の寝室にノックもしないでいきなり飛び込んできた。
「ノックもせずに、何をしておるか!」
猫の絵柄の入った寝間着をつけたハマド王が、目をこすりながら、不躾な秘書を怒鳴った。
「・・・し・・・し・・・」
「し・・がどうした・・?」
「敵です!?」
「!?」
「隣の国のリスク国王が、我々の領土を、侵略してきました!」
ここ数百年、魔王の恐怖で人間同士の争いがなかったから、まさか隣の人間が悪魔だったことに気がつかなかったハマドは、ショックのあまり、腰から地面に崩れ落ちた。そしていつも頭の隅には侵略の予感を警戒していたが、そのことが現実になるまで、人間は対策を立てないものだと、ここにきて、初めて知った。
「・・・し・・・侵略者を撃退せよ!」
ただそれだけの指示をして、ハマド国王はショックで、気絶した。リスク新騎士団が、領土を侵害してから、四時間もの時間が、すでにその時、経過していた。
「上手くいきそうだな」
リスクは、新しく自分用に作らせた双眼鏡を片手に、戦況を隣国の専用の高台から、見守っていた。敵の国王が最前線のこんな場所に来ること自体、異例中の異例である。それでも、騎士団長出身の血が、新しい戦いにリスクを呼び込んだ。彼は国内の政治をハーグとライズに任せ、隣国の侵略行為に、ただ、のめり込んでいった。リスクの目の照準の先では、わらわらと動く我がリスク騎士団の騎馬隊と突然の奇襲に慌てふためく補給基地の敵の兵士たちの逃げる姿があった。リスク騎士団は、八割の敵の補給基地をつぶし、最後の補給基地の殲滅作戦に移行していた。降伏を知らせる狼煙(のろし)が上がれば、リスクたち騎士団の勝利は、ほぼ確実である。それが完了し、騎士団と本国の軍隊を併せて、隣国に降伏を迫り、隣国を自分たちの国に併合する。そのプランは、リスクの頭にすでにできあがっていた。そして、それを実行しつつあった。リスクはエリードが残した紅茶のカップに銀の漆を上から塗らせ、そのカップを使用して、コーヒーを飲んでいた。
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
降伏の合図である狼煙の煙は、まだ、見えない。この戦闘が始まって一時間以上経過しているが、一時間以内に決着がつかなかった戦闘を、リスクは今までに経験したことがないので、怒りの神経に血液が大量に流れこんだせいで、一気に膨張し始めた。
「新任の騎士団長は何をしているか!?誰だ!?」
高台にいる味方全員の背筋が、その怒号で、九十度に上がる。そして慌てふためいて、誰がリスクに報告するのかを、お互いに見ていた。
「・・・・サッ・・・サイロン騎士団長でございます」
階級の低い団員が答える。
「サイロンは今日限りで首だ。あとで人事課に伝えろ!」
「はっ・・しかし・・・」
「後任はどうにでもなる。死刑にならなかっただけでもありがたいと思え!」
団員は、これ以上何か言うと、自分の首がはねられると感じ、黙って引き下がった。
「!?・・リスク王・・・あれを・・・」
そばにいた作戦参謀が声を上げた。
「!?来たか!」
待ちに待った灰色の煙が、補給基地の方角から天高く上っていけば、この場にいた味方全員に、安堵と歓声がわき起こった。
「作戦は成功だ!やりましたね!国王陛下!」
「行くぞ!!」
リスクは笑顔を噛み殺してそう言うと、先陣を切って、味方の勝利の美酒を自分が味わおうと、馬に乗って高台を勢いよく駆け下った。
「・・・どうした・・・?サイロンはいないのか・・?」
味方の狼煙を目指して敵の壊滅寸前の補給基地に到着したリスクたちは、すぐに味方が寄って、自分に勝利の報告をしないことに、苛立っていた。
「・・・・サイロン・どこにいる・・?・・お前はもう殺されたいのか?!・・・ああ!?」
怒号の成分が、一層、強くリスクの口から飛び出せば、味方の何人かもそれに同調し、リスクに負けないくらい、サイロンを罵倒する言葉を、あたりに吐き出した。それはリスク国王の怒号を、少しでも和らげるために、そうしたことだった。
「お前たち、止めろ。そう汚い言葉を吐くな。騎士団の品位が下がる」
「・・・・・・・・・はぁ・・・申し訳ありません」
誰のために汚い言葉を使ったのか、まったく理解していないリスクに、気のない謝罪をする部下たち。サイロンの行方もわからないまま、リスク一行は、とりあえず、補給基地をゆっくりと巡回し、残っている味方や負傷兵たちの収容をする事にした。
「どういうことだ・・?」
確かに、敵降伏の灰色の狼煙は上がっていた。リスクたちはそれを目指して、ここにやって来た。だが、敵の姿もなければ、味方の姿もどこにも見えなかった。もちろん、サイロンもいるはずがない。
「・・・・・・・・・・」
無言の怒りが、リスクの身体を支配し始めた。空気の中に緊張という成分が混じり始め、またも部下たちの顔が、青くなり始める。
「・・・・みんなでどこか休憩しているのかな・・?」
「きっと勝利のお酒でも飲んでいるんじゃないですか?」
周りのフォローの言葉も、リスクの耳には、永遠に届かない。味方の勝利の報告だけが、リスクの魂を、安息の場所へつれていってくれるのだ。
「リスク王!」
味方らしき男の声に、リスクは、そちらを振り向く。
「きたか!」
リスクは、胸を躍らせた。リスクの視線の先には、見慣れない金髪の童顔の青年が立っていた。
「君は?サイロンは?」
目の前の人間よりも、この補給基地襲撃を指揮していたリーダーの行方を、青年に訪ねた。
「報告します。サイロン騎士団長は、ここには来れません」
青年は、そう言いながら、腰に差していた鞘から剣を抜いた。
「どうしてだ?逃げたのか?」
リスクは、青年の行動を目で追いながら、そういった。
「違います」
青年は、はっきり、答えた。
「なら、どこかで休んでいるのか?」
「違います」
青年は、はっきり答えた。
「どうした?どうしてここに来れない?」
「サイロン騎士団長は、旅立ったからです」
「!?」
予想外の青年の言葉に、リスクは言葉を発することを、一瞬、忘れた。
「でも、すぐに会えますよ」
青年は、ニヤリと笑った。その顔は、どこか、本当の笑いではなかった。
「ん?・・・旅立ったのに会えるとは、どういう意味だ?」
リスクは、意味のないなぞなぞを、この場でする気分ではなかったので、イラつきが増した。
「リスク王」
「!?」
突然、目の前の青年は自分の名前を呼んだ。
「あなたは、今日、サイロン騎士団長と・・・
死の旅へ、一緒に旅立つのですから」
「!?」
リスク以外のその場にいた全員が、青年の言葉に反応し剣を掴もうとした、刹那、すべてが、終わっていた。
「・・・・・・・・・・」
白目をむいて、リスク以外の全員は声も出せずに、醒めない夢の中に旅立っていった。そこは苦しみも恐怖も、誰かに怒鳴られることもない、美しい死の世界だった。
「・・・おい!・・・なんで寝てるんだ!?」
急速に変化する事態をすぐに理解できない無能なリスクになったのは、独裁者としての生活が長く続いた性である。味方がもうすでに死んでいるのに、声をかけるのは意味がないと、リスクは気がつくのが、遅かった。
「・・・・ま・・・まさか・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
青年の気持ちの悪い微笑み。そして、べっとりと背中にまとわりついた冷や汗と恐怖という感情が、久しぶりに怒りよりも、リスクの身体を支配し始めた。
「リスク王・・お前はタダでは殺さない」
「・・・おまえは・・・?」
「おれは・・・・お前をこの世から倒すために生まれてものだ!!」
新たな勇者が、魔王リスクの前に、現れたのだった。
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