第4話 疑惑 そして
「このヤロー。俺が注文した料理の中に髪の毛が入ってたぞ!飯がくえねぇじゃねぇか!」
昼下がりの城下町。その一角にあるお店の中で、一人の茶髪の男が、店主と思われる男に、大声で文句を言っていっているようだった。その男は、茶髪以外は普通の男のように見えた。
「申し訳ありません。私も、細心の注意をして気をつけていたのですが。代金はお支払わなくて結構です。しかし茶髪の髪の店員は、このお店にはおりませんが」
「じゃあ、俺が茶髪だから、俺が自分で入れたって言うのか!?ああ?」
周りのお客は、店主と茶髪の男を、交互に見ながらも、気まずそうに顔をゆがめながら、ご飯を食べていた。止めに入り厄介ごとを引き受けようとする人間は、誰もいない。
「おいおい。いちゃもんつけんじゃねーよ!誠意を見せろって言ってんのよ?」
「誠意?」
茶髪の客から、いつもの常套句が、飛び出した。
「誠意って、なんです?料理の代金はいらないと、さっきから言ってますよ?」
店主は、顔のすべてから汗を拭きだして、謝っている。だが、店主にクレームを入れている人間は、そんなことは、お構いなしであった。
「はあ?お前、そんなんで許されると思ってんのか?その態度が気にいらねぇ!さっさと、金をよこせ!それが誠意ってもんだろうが!」
クレーマーの言う誠意とは、結局は、そこにあった。
「それはできません」
店主は、目の前のぶん殴られそうな拳を見ながら、そう突き返した。
「ふざけんじゃねーぞ!俺は怒ってんだぞ!」
怒っているか、怒っていないかは、店主の知った事ではない。だが、まわりのお客への配慮は、必要であった。
「・・・・・・・・」
「・・・・どうした・・・?お前の『誠意』次第で、このお店が、髪の毛入りのスープを出すって、今日、城下町中に言いふらしてやるからな」
「・・・・・・・・」
その言葉に、顔面が蒼白になった店主は、慌てて、店の厨房に走っていくと、金庫からいくばくかの金貨を持って出て来た。そして
「これで」
と短い言葉と共に、クレーマーに手で渡した。
「たりねぇ」
「へっ?」
ボコッ
鈍い音が店内に響きわたる。直後、店主が腹を押さえてうずくまっているのが見えた。
「・・・全然足りねぇな。今、決めたぜ。今日、お前の店の事を、この町すべての人間に拡散してくるからな」
そう言い放って、店を立ち去ろうとする茶髪の男の肩を、誰かが、ゆっくりと掴んだ。
「ん?なんだよ?誠意をもう、用意したのか?」
茶髪の男は、自分の肩を掴んだのが、店主だと思ってそういった。だが、その腕は店主の、それではなかった。
「待て」
茶髪の男の肩を掴んだ相手の声は、若いが声が低く、そして力強さがにじみ出ていた。
「暴行罪と脅迫罪の現行犯だ!」
茶髪の男の肩を掴んだ相手は、そう早口で、喋った。
「あぁ?」
「ここで飯を食べていた、縁だ。騎士団長のリスクが、お前を捕縛する」
「!?」
茶髪の男は、肩を掴んだ相手の殺気を、一瞬で自分の体すべてで感じ取ると、リスクの方向へ振り返らずに思いっきり店の外へ、向かって走り出した。
「!!」
リスクは、肩においた手を振りきって、逃げる茶髪の男の背中を、自分の視線の真ん中の軸に持っていった。そしてリスクの瞳孔の色が金色の目に変わると、電光石火のごとく、地面を蹴り上げて、一瞬で茶髪の男の前に回り込むと、リスクは、相手のみぞおちに、拳を、数回叩き込んだ。
ドドドドドッン!
その攻撃の時間は、一秒という一瞬の空間の中に、すべて、綺麗に収まった。
「グフッッッ」
みぞおちにリスクの拳を何度も叩き込まれた茶髪の男は、口から嘔吐物を吐き出して、顔を歪ませながら、その場に倒れ込んだ。息をするのも苦しそうなその顔は、悪人のように醜い顔をしていると、リスクは思った。
「それじゃ、こいつをこれから裁判にかける準備をしなくてはいけないので、警察団と検察団に連絡を、よろしくお願いいたします」
木製の手錠と足錠を茶髪の男にかけるリスクの周りで、人々の歓喜の声が、温泉の湯のごとくあたりからわき上がった。
「うぉぉぉぉ!すげぇ!」
「やるな!」
「さすが勇者だ!」
「どうやってあんなことできたんだ?」
そんな歓声を耳で、胸で受け止めながら、冷静に店主に木製の手錠等の鍵を渡すリスク。
「ありがとうございます。あいつ・・いつも店にイチャモンをつける常習犯ですよ。でも・・どうして・・あなたにはそんなことができるのですか?みんな・・余計な争いをしたくないから見て見ぬ振りをすることしかしない貴族も多いのに・・・」
「貴族として、市民のお手本として、当たり前のことを、当たり前にしただけです」
「・・・・・・・・・」
店主はその言葉を、聞いた瞬間、店の裏に走っていくと、袋一杯の野菜を詰めて戻ってきた。
「感激しました!リスク騎士団長殿、これ、お土産です!持って行ってください!」
「こんな・・・多すぎますよ!」
「いいんです!今日の晩ご飯に使ってください!私の善意です!」
貴族は、市民からモノをもらうことは、法律で禁止されていたが、必ずしも現行犯でなければ、許されているというのが、人間のいいかげんな部分でもあった。
「だめです。私はモノをもらうために、犯人を捕らえたのではないと言うことを覚えておいてください」
袋一杯の野菜を、リスクは店主に突き返した。
「しかし」
額の表面に横一文字に何重も走らせた皺の数だけ、店主の今までの苦労と努力のカタチが、見て取れた。
「それなら騎士団宛に寄付というカタチにしてください。それなら・・・しかるべき団員に振り分けられますから」
「リスク騎士団長・・・あなたはなんて立派な人なんですか・・」
店主は、涙を流して、リスクの両手を自分の両手で優しく包み込んだ。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
「いいえ。それじゃあ、私はこれで・・」
「リスクさん、今日のお礼は必ず致します!待っていてください!」
軽くうなずくリスク。店を立ち去るリスクに、お店の店主は、何度も何度も、見えなくなるまで、頭を下げ続けた。周りにいた人々も、お城に帰って行くリスクを、拍手で見送っていった。
「フゥ・・」
夜の闇が自宅の窓に映りこめば、リスクは、家の玄関のドアを開けて、リビングに仕事で疲れた自分の身体を運ぶ。暖かい光が広がるリビングは、自分のストレスに浸かった身体を休めるには、ちょうどいい。自分の貴族の制服をハンガーに掛けて、ふと壁に掛かっている時計に、目の照準をあわせる。
「もう・・こんな時間か・・・」
二十二時を回った時計の針は、相変わらず、ひとり孤独に働き続けている。そんな働き針の正確な仕事ぶりを見ながら、今日の仕事は以外と長かったなと、疲労感で重くなった身体をソファに横たえる。
「あれっ?」
リスクはひとり誰もいない自宅で、口から言葉を漏らした。
「今日は、何曜日だっけな・・?」
仕事の忙しさで、時間と曜日の感覚がなくなっていく自身にリスクは愕然としていた。カレンダーも久しく見ていない。貴族になってから、やることが多すぎて、母の元にも帰っていない親不孝ものである姿も、情けなく思う。しかし、お金の仕送りだけは、滞らせていないのが、ただの自慢でもある。
「同じ城下町に住んでいるのに、俺は・・なにやってんだか・・・」
父を亡くし、女ひとりで俺を育ててくれた母を楽させてやりたいという目標が、リスクを魔王討伐へ向かわせた。魔王を倒せば報奨金で、中級市民レベルの暮らしができると思ったからだ。父を亡くした母を、一人にするのは心苦しかったが、下級市民より下の暮らしを、これ以上、母にさせたくはなかった。
「・・・でも・・・まさか・・・俺が貴族になるとはね・・・」
リスクは、自分の人生は出来すぎだと思った。一人暮らし用の自宅がリビング付きの二部屋あるのも、家に帰れば綺麗に掃除してあるのも、すべてアリサ王女のおかげであることを、彼は知っていた。
「ここの家賃だって・・軽く20は越えるのに・・・無料で・・」
下級市民出身の俺が、短時間で騎士団長まで成り上がれたのも、おそらくアリサの根回しが影であったに違いない。そんなことを思いながらリスクは、ビールを目の前のグラスに入れる手が、少し震えた。
「・・・・・・・・・・・・・」
ビールを一口、口にする。ビールの苦みが強烈に、喉を刺激し、少しむせる。お酒など、昔は好きではなかったのに、気がつくと毎晩、アルコールを身体に流し込まないと、眠れない自分が、いた。陰口に耐えられなくなった自分の身体をアルコール漬けにするために。ぼーっと何も考えずにいるために。
「・・・・・・・・・・・・・」
汚れのない天井を見つめること、しばらく、ふと店で買ったおつまみをかじりながら、自宅ポストに入っていた郵便物を、机の上に雑に仕分ける。
「・・・・・・ん・・・・・?」
ひとつの見なれない長方形の封筒が、リスクの目に写る。
「・・・・・・・・」
『リスク様へ』と表紙に記載があり、差出人は、今日のお昼に偶然、昼飯を食べに寄った店の店主からだった。単なるお礼の手紙だろうと想像し、ハサミで封筒の上の部分を裂く。予想通りのリスクに宛てた手紙と、リスクの予想外であったもう一つの書類、合計二枚が封筒の中に入っていた。
「・・・・・・・・」
『リスク様へ 本日は、わざわざお仕事の合間を縫って、当店に足を補込んでいただき、ありがとうございます。本当に今日はリスク様に助けていただきました。言葉や態度では到底、感謝しきれません。ですので、お礼をさせていただきます。もし不足ならば、連絡ください。これが私の、誠意でございます』
そんな店主の綺麗な文字を読みきると、リスクはもう一つの書類に目を移して、そして目が点のまま、止まった。
「・・・・・・・・」
自分の給料の五倍以上の金額が記入された『小切手』が、リスクの手の中で、ひとり輝いていた。それを握る手が、いつの間にか震えている。酒の性ではない。これを銀行に持って行けば、この小さな紙に記載されている金額が、何の努力も仕事もしていないリスクの中に、無条件で入ってくる。その快感がとっさに、リスクの胸を焦がしただけだ。買いたいモノ、行きたい場所、求めたいあの白い肌・・・頭を欲望と妄想が交差し、目の前が夢か現実か、バランスを崩し始める。と同時に、どこか冷静な自分もいた。
『賄賂だ・・・これは・・・』
この小切手が自分の利益になるように不正な金品を贈り、取りはからってもらうことに当たることは、学校の勉強が嫌いなリスクのような人間でも、知っていた。貴族は当たり前だが、貴族の下の上級市民(役人・官僚)も賄賂をもらったとなれば、法律の厳罰は免れなかった。ただ、リスクは取りはからってほしいと頼まれたわけでもない。店主は、ただの『誠意』だと言っていた。それだけだ。
「・・・・・しかし・・・・」
欲望で熱くした胸と、理性で冷えた頭が、交互にリスクの身体にやってきた。そして自分の胸に、ある結論を残して彼らは去っていった。リスクは、その自分の思いを聞き、ある決断をしたのだった。
その日の朝は、どこからかやってきた白く深い霧が、城の町の中に、重く上からのしかかっていた。こんな早朝であればお店など、どこもやっておらず、一部の飲み屋や男を囲う店以外には、人の命の息吹は、そこには皆無であった。閉店を知らせる小さな木の立て札が店のドアの前に、一人寂しく、ただぶら下がって、店の人間が取り外してくれることを待っていた。そんな朝の静寂の中にいる酔狂な人間など、酔いつぶれた奴か、ホームレスか、けだるさの残る思いで恋人の元から去っていく人間か、『リスク』以外に、いなかった。
「・・・・・・・・・・・・」
『この時間で、こんな場所で、一番、正気なのは俺だけだ』
ずっと足音を立てずに、彼はある場所に向かって足を進めた。自分の手の中には、一枚の紙切れが揺れている。紙には、自分の給料の五倍以上の金額のお金が、そこにあった。それはいつでも、リスクに至福の時間を与えてくれる、最高のモノ。リスクの小切手を握る手は、その金額の思いに震えていた。
「・・・・・・・・・・・・」
リスクの口の中は、砂漠のように水分が蒸発し、カラカラに干上がっていた。唾が口の底から出てこない。独特の口臭が、リスクの口の中に広がっていく。
「・・・・・・・・・・・・」
リスクの足は、ある場所の前で、静かに止まった。その場所は、他の場所と同じように『閉店』という立て札を店の前に掲げている、何も変わらない普通の店だ。そしてそのお店が、他の店と、唯一、違った点は、リスクが昨日、そこで飯を食べている最中にたまたま暴漢を逮捕し、そして店主からお礼をもらった店、ということ、だけであった。
「・・・フゥ・・・・」
口からため息をもらし、白い霧の中で、周囲に視線の照準をむける。あたりに人の命の息吹を感じないのを改めてリスクは確認すると、目の前の店の郵便ポストに視線をずらした。
「・・・・・・・ここに・・・」
もらった小切手を返却すれば、『昨日のこと』は、すべてチャラに精算できる。心が動いた自分も、罪悪感を感じた自分も、すべてこれで消えるのだ。この紙さえ見なかったことにすれば、暴漢を捕まえる前に、戻れる気がする。貴族としての自分に。リスクは、そう考えていた。だから、ここに朝早く起きてきたのだ。誰も見ていない中で、自分が、自分であるために。
「・・・・・・・・・ゴクッ・・・」
自分の指が、白の小切手を小さくつまむと、ゆっくりとそれをポストの高さまで持ち上げて、前に進んでいく。あと数分も待てば、店のポストに小切手は吸い込まれて、自分の力で取り出すことは、永遠に出来なくなる。指が前進すれば、ポストと小切手の距離は、どんどん縮まっていく。そして、小切手の先端が、郵便ポストの本体を捉えようとした、その時に、リスクの頭の中に、ある記憶が蘇る。
『・・・お金なら・・・何とかするから・・・・お前は気にせず・・・学校へ行きなさい・・・』
父がいなくなったあとの、母子家庭で自分を育ててくれた母のやつれた顔を、リスクは、頭に思い出していた。趣味も捨て、楽しみもなく、ただ、子供の俺を育てるため『だけ』に、働いていた母の横顔を。弱音を。ストレスをぶつけられた日々を。そんな家を飛び出した日を。俺のために新しい服、帽子を寝ないで編んでくれたあの夜を。父を恨んだ俺を、激しく叱った母のいたあの日を。母のためにお金以外の部分で何とかしようと思っていた、過去の自分自身を・・・
「・・・・ウッ・・・ウウッ・・・」
リスクは、小切手を郵便ポストに入れる手前で、目から涙を流していた。母を楽にさせたい。母の楽しみを俺が与えてあげたい。母に贅沢な暮らしをさせてやりたい。そんな思いで俺は魔王討伐を決意したのだ。すべては、俺のすべては母のためであった。俺自身の欲望の為じゃない。だが、貴族になって、下級市民出身であった俺が最初にしたのは、母の仕送りよりも、自分の純粋な欲望のために給料を使ってきた。今までしたくでもできなかった美味しいモノを食べ、欲しいモノを買い、お酒を飲み、女のいる店で、女を知り、すべて自分中心だった。俺は、本当は母よりも、『自分自身のために貴族になりたかったのではないか?』
「違う!」
リスクの心の声が、心臓から胃を通って喉を通り、口から飛び出した。
「俺は違う。違うんだ!母さんのためだ!母さんの・・・」
リスクは、小切手を自分の目の前に持ってきて、改めて金額を見た。
「・・・・これなら・・・これなら・・・・」
今月の給料は、ほとんど使い切り、母の誕生日は、もうすぐなのだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
誰も、リスクを見ていなかった。誰も、リスクに興味がなかった。
誰も・・・・誰も・・・・
「・・・・・・・母さん・・・・・・」
母が、今、どうしているだろうか?ひとりで寂しい思いをしているのではないか。俺は、こんなところにいていいのか?俺は、母の元に今すぐ行くべき何じゃないのか?
「・・・母さん!!」
小切手を再び、自分の手で握りしめ、リスクは、走り出した。もう、彼は振り返って、あの店を見ることは、永遠になかった。その日、リスクの中で、何かが、変わった。彼の中の変化は、本当のところ、彼自身にもわからなかった。リスクが立ち去ったお店の郵便ポストには、今日という日において、書類の類は、一通も届いては、いなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます