第3話 自分との別れ
第二章「自分との別れ」
リスク暗殺未遂事件があった日の翌日から、リスクの貴族としての生活が始まった。貴族としての生活は、リスクにとって初めての経験の連続で、住む場所も、食べるものも、遊ぶことも、下級市民の時には味わえなかった新しい世界の窓を、リスクは頭で考える暇もなく、受け入れた。礼儀作法、言葉遣い、儀式の規則、他の貴族からのやっかみや嫉妬の回避、貴族としての教育など、リスクが個人でこなさなければいけない仕事や研修、癖は山のようにあったが、リスクにとってはそれは苦痛ではなかった。何故ならば、王女アリサがいつもそばにいて、リスクのサポートをしてくれたからだ。未亡人の母を貧しい農村から城の直轄区である城下町につれてきて、自分の家と少し離れた場所で一人暮らしをすることができたのも、アリサの配慮が行き届いたおかげであった。そんな日々のノルマを一日ずつこなしていく間に、あっという間に一ヶ月以上の時が流れた。
あの日から、かつての仲間たち、特にマラーナとは一度も会っていない。貴族が住む場所には基本的に『下級市民』は入れないという規則もあった。だが、研修を受けている時も、マラーナが自分に面会の予約を取りたいと言ってきていると何度か知り合いから聞いたことがあった。しかし、面会を設定した日はすでに仕事や研修でスケジュールは埋まっており、一度も彼女と会えぬ行き違いの日々が過ぎていった。もうひとりの仲間のルシファーは生きているのか死んでいるのかさえ、リスクはわからなかった。前からそれほど仲が良かったわけでもなかったし、彼に興味がなかったリスクは、ルシファーと会う機会を設けることはなかった。また気になる事と言えば、自分を殺した敵の身元も、依然としてわからなかった。死体は警察団がすべて押収し、身元の洗い出しをしているが、リスクに有力な連絡はなかった。それよりも、あの日から自分の警護として、常に二名以上の兵士が休息をとる時以外は、自分の半径三メートル以内にいる事の方が、リスクは気になっていた。
「いいじゃありませんか。寝るときは私が守って差し上げますし」
「アリサ様、ご冗談を」
いつのまにか、家事(といっても、結局、皿洗いくらいしかできないのだが)を自分の住んでいる二階建ての家でしてくれているアリサの言葉を、リスクは笑いながら受け流せる所まできていた。アリサは、毎晩、といっても毎日ではないのだが、こっそり城を抜け出して、仕事を終えたリスクのために、リスクの家で家事をしてくれていた。リスクも、そんなアリサの優しさに、甘えていたのかもしれない。城の貴族としての業務に疲れた後、アリサの笑顔も見れば、今日の疲れはすべて吹き飛んでいた、気がした。男にとって女の笑顔に、勝る薬はない、と誰かが言っていたが、その通りだとリスクは思った。
「私のために、警備していただくのは、有り難いのですが、側にいるだけで、肩が凝ります。あれは、王様の命令なんですよね?」
「いいえ。あれは防衛大臣のアイディアでございますのよ」
アリサは、紺のワンピースに花柄のエプロンをしながら、奥の台所でリスクに返事をしていた。リスクはリビングのソファに座りながら、ワンピースのスカートからのぞく白く透き通ったアリサの足を横目で見ていた。アリサのその足が、時折、小刻みに揺れているのが、リスクをくすぐった。
「・・・・そうですか・・・でも国王様もご存じのはずでしょう?」
「そうですね。ただ大臣に言われるまま、承認した感じですよ。いつもどおり」
皿洗いが上手くなってきたアリサは、皿を割る回数も、だんだんと減っていた。それがリスクにとっては嬉しいことであった。大きな皿の割れる音がする度に、リスクの心臓には大きな負荷がかかったからだ。何度、皿洗いを止めてほしいと思ったかしれない。でも、彼女の真剣な態度を知っていたから、リスクは、黙って、皿の割れる音と共に、あと片づけを手伝った。
「今日は、どうするのですか?」
リスクは、ソファで明日の会議資料に目を通しながらアリサに訪ねる。毎日、自分の家で家事をしてくれるのは嬉しいが、こうも頻繁に来られると、そろそろ、城内に変な噂が流れる頃だろう。それでなくても、俺は暗殺未遂事件に巻き込まれたのだ。彼女の身に何かあれば、自分の首は、一瞬で分断されるしかないのだ。
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・ん?・・・・・・」
アリサは少しの間、黙っていた。だが皿洗いをすべて終わらせると、リスクが座っているソファにエプロンをつけたまま座り、その小さな口を、開き始めた。
「リスク子爵・・・・・ひとつお聞きしたいのです・・・・ずっと・・・私が家事をし続けたら・・・迷惑・・・ですか・・・?」
「・・・・・・・・・・・・」
それは決意の目だった。アリサは、ゴミひとつ見当たらない汚れのない瞳で、リスクをみつめていた。そしてリスクも、書類から目を離すと、アリサをソファに座ったまま見つめた。
「・・・迷惑というか・・いや迷惑どころか・・・恐れ多いです・・・・王女様にやってもらうなんて・・・そんなの下級の仕事は・・・メイドにやらせておけば・・・」
「リスク子爵の雇われているメイドは・・・女ですか・・・?」
「へ?」
一瞬、アリサが何をいっているのか、理解できなかったリスクは、間の抜けた返事を、アリサに返えして慌てて謝罪をした。
「すいません。まだメイドはいないですけど、雇う金ならあるから・・・それでたとえ話を・・・・・」
「・・・リスク子爵・・・」
「・・・アリサ王女・・・」
「・・・・・私じゃ・・・駄目ですか・・・?」
決定的な一言だった。彼女の顔が、どんどん自分の元へ近づいてくる。その度に、胸の奥が熱くなる。
「・・・アリサ・・・・・」
いろんな想いが、リスクの頭の中を駆けめぐった。自分の立場、彼女のあの日のドレスの隙間から見えた「柔らかい白い肌の胸」、国王の顔、貴族たちの自分への眼差し、人々の噂という酒のおつまみになる自分、そしてかつての仲間たち、マラーナ・・・・マラーナ?
「カンカンカン!」
玄関のドアにぶら下がっている、呼び鈴の音が、キスをする前の二人の男女の運命を保留させた。確かにほっとしたような、でもリスクの身体はアリサのそれを「欲していた」のは、確かであった。自分で決められない運命に、性の衝動だけで突っ走って良いものか、迷っていたリスクにとっては、その突然の割り込みは、運命の女神に他ならなかった。
「すいません。今、でますから」
複雑な表情で眉をしかめるアリサの美しい顔に、保留と謝罪の挨拶をすばやくすませると、リスクの来ることを期待している客の元へ、リスクは足を向けた。こんな夜に郵便は来るはずないと思いながらも、玄関のノブに手をかけて、ハッとリスクは身構えた。
『・・・まさか・・暗殺者・・・?』
自分が、武器も持っていない丸腰で玄関まで来たことの迂闊さに、今、気がついたリスクは、慌てて身体を引き戻し、武器部屋にしていた場所へ飛び込み愛用している貴族用の剣「ハイルド」を持ち、再び玄関の前へ足を運んだ。いつも、護衛兵に守られていることが、リスクの緊張感を奪っていたから、ドアノブに触るその瞬間まで、殺されるということに気がつかなかった自分の危機感のなさが、いずれどこかで不味いことが起こる予感をリスクの頭に刻みこんだ。
「どちらさま?」
ドアノブの先にある暗闇に向けて、リスクは、とりあえず対話を試みた。ここで返事が返ってこなかったら、即座に剣を抜いて、臨戦態勢に入らなければいけない。そうしなければ、次の瞬間、自分の貴族としての人生は、そこで終わるからだ。
「・・・・リク・・・」
その人間の声が耳の鼓膜を揺らしたとき、リスクの脳から、何かが飛び出したような気がした。来訪者の名前を尋ねることをしなくても、その声の主が誰かなど、リスクにはもうわかっていた。だから、その消えそうな艶のある声が、あの時の夜の記憶を、リスクの頭に蘇らせれば、リスクには、十分だった。
「・・・・・・・・・・」
胸の高鳴り、痺れるような身体の熱、初めての感触、歓喜の声、けだるい、でも、自然と心地よい朝を迎えたあの日、俺は確かに、あの日、生まれ変わった。そして永遠を誓った相手が、今、俺の目の前に、立っているのだ。
「・・・マラーナ・・・か・・」
それを口にした時、リスクは背後を、一瞬、確認した。どうやら、まだ、誰もいないようだ。そして、まっすぐこんな夜に自分の家をひとりでたどり着いたマラーナに、身体をむき直した。
「どうしたんだ?このエリアは、下級市民は立ち入り禁止だぞ?」
彼女に会えた嬉しさをストレートに口に乗せず、冷たく事務的な言葉を、最初にリスクは、口に乗せた。
「・・・・・・・・・・・」
『そんな言葉』を最初にあなたから待っていたのではない、という顔を、マラーナは無言のうちにリスクに示した。怒らせるような言葉を言ったつもりもないのに、マラーナが不機嫌な顔に変わっていくさまを、リスクはずっと、目の前で見てすぐに気がついた。
「・・あっ・・ああ・・俺に会いに来てくれたんだよな・・・ありがとう・・ここまで来るの・・・大変だっただろう・・・?」
自分の身をねぎらう言葉をかけてくれた瞬間に、マラーナの心は、笑顔に変わっていった。
「うん。そうなんだよ。リクの家、わかりづらいところにあるから」
すでに自分の愛称を使う彼女は、もうあなたと私は『そういう関係』であることを、公然の事実にしたがっているようであった。
「マラーナはどうやってこのエリアに入ったんだ?ここは通行証をエリアの入口で見せないと・・入れないんだぞ・・?」
やっぱり同じ話をリスクは、もう一度、蒸し返した。下級市民という言葉を使わなかったのは、彼の優しさであったかもしれない。
「ある言葉を言ったの。それで此処まで来れた」
「・・・え・・・・?」
予想外のマラーナの言葉に、リスクは言葉を失った。許可証をいらない裏技や抜け道が貴族の世界にはあることを知ったリスクは、この世界で、自分が他の貴族を正せなければいけないという使命感の芽が、リスクの中に生まれ始めていた。
「どんな言葉・・・?」
だが今は、単純に使命感より好奇心が、上回っていた。
「フフッ・・・聞きたい・・・?」
猫のような顔をしてクイズを出してくるマラーナに、リスクの神経はイライラし始めた。なんでこんなところで、回答をすぐに言わないのか。リスクには、まったく理解できなかった。
「・・・聞きたいよ・・・早く・・・」
多少のイラつきを押さえつつ、女を見せる彼女の唇が、こう言った。
「私は、リスク子爵の妻です!って、言ったの」
「!?」
「キャー、ついに言っちゃった!あたし」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
まだ、恋人でもなかったのに、同棲もしていなかったのに、どうしてそんなことを、こんな簡単に第三者に言えるのか、リスクには本当に、理解できなかった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「どうしたの?」
マラーナの告白に喜びもせず、絶句している目の前の男を、疑念を挟み込みながら見つめるマラーナの目。そしてそれは、これから来るであろう、相手の反応すべてを見逃すまいとする、野生の動物の目に変わっていた。
「マラーナ・・・俺たち・・・」
そう言ったまま、次の言葉を必死に探しているリスク。
「えっ・・・・?」
自分が予想した答えを返してこないリスクに、戸惑いの反応を返すマラーナ。
「リク・・・どうしたの・・・?どうしたのよ」
リスクの神妙な顔を見始めて、マラーナの顔も、どんどん青くなっていく。喜んで自分を力一杯抱きしめてくれる、どころか手も握らないリスクを見て、マラーナは彼の服の生地を、思いっきり手で引っ張って、訴えかける。
「・・リク・・あの夜は・・・私たちにとって・・・そうゆう意味じゃなかったの・・・?」
「・・・・俺たち・・・」
「私を愛しているって言ったじゃないよ!!」
「・・・・・・・・・・」
あの日の夜、マラーナの肉体に溺れた時、俺はマラーナに愛してるといったような気もするし、言っていないような気もする。二人ともお酒の勢いで、あそこまでいったとは、認めたくはなかった。だが彼の理性は、彼女の身体を見た瞬間、一気に吹っ飛んだ。愛情や、同情を超えて、リスクはただ、彼女の身体を求めただけだった。どうやら、俺は彼女にはプロポーズまではしていないらしい。でも酔った勢いの俺なら、あの日、言ってもおかしくはなかった。が、それを確かめようにも、今は、目の前のマラーナの証言、だけしか、確固たる証拠がないのだ。
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「なあ・・・・結婚どころか・・付きあっても・・・いないよな・・・?俺たち・・・?」
相手に責任を負わせるカタチの同意を、リスクはマラーナに求めた。男が責任をとらない最低のカタチに、マラーナの思いは引き裂かれる。
「どうして・・・?どうしてよ・・・・?」
「すまない・・愛してるっていったかもしれない・・・でも・・・今は・・・忙しいんだ・・・お前に会っていられない・・・帰ってくれ・・・」
「リク・・・」
仕事という口実を武器に、リスクは、マラーナの言葉を封じた。本当は一夜だけの関係という部分もあったかもしれない。それを口にすれば、もっと彼女の怒りと悲しみを買うのは、分かりきっていた。
「・・・じゃあ・・・また飯でもいこうか・・・また秘書から連絡するから・・・」
だが、男としての部分は、あわよくば、あと一回という気持ちも、確かにリスクの中にはなくはなかった。それが許されるのであれば、であるが。それを口にすることもなく、リスクはマラーナに最期の手を振ると、家の中に入ろうとしていた。
「待って!」
リスクが閉ざそうとする玄関のドアを手で止めたマラーナは、もう一度、リスクの顔を見ようと、必死に抵抗していた。
「リク・・・最後に一言だけ・・・言わせてよ・・!」
必死のマラーナの訴えに、リスクの心は、どんどん、この場所から遠ざかっていく。何よりも、家の中にいる、もう一人の存在の方が、彼には大きくなっていった。
「早くしろよ。仕事で忙しいんだ」
リスクはまだ少しの情がマラーナに残っていた。だから、マラーナの言葉を聞くことができた。
「・・・赤ちゃん・・・できたの」
「!?」
世界の時が、その瞬間に、すべて止まったような気がした。さっきまであったマラーナへの情がすべて吹き飛び、ただ自分のした過去の『過ち』が、身体の奥底から、ゆっくりと熱く上ってくるようなそんな感覚が、リスクを襲い始めた。自分の独りよがり、根拠のない自信、アルコールの酔いの中で、そして取り返しのない罪が、今、目の前のお腹の中に、確かにあった。
「・・・リク・・・・」
最後のカードを出し切り、赤く充血した目でマラーナはリスクを見つめる。母親としての自覚と芯の通った強さを、マラーナは備えつつあった。
「・・わたしね・・・リクの赤ちゃんが生みたい!」
「!?」
リスクの口の中にあった唾が、一瞬にして蒸発した。父親の自覚も、夫としての覚悟も、『まだ』備わっていないのに、どうして、そんなに俺を求めるのだ。子供ができたから、男は父親に変わるのか?いや、そうじゃない。一般論はどうでもいい。俺がどうしたいかだ。それに子供ができてから、女から母親に変わるのは間違いないと、今のリスクは確信していた。
「だからさ・・・リク・・・私と・・・・けっ・・」
「・・・・ゴクッ・・・・・」
最後の二文字の言葉を、慌てて自分の胸にしまい込んだマラーナが、リスクを待っている。リスクを待っているのだ。自分には、すべての主導権はないことを、マラーナは知っていた。魔王を倒したからといって、身分も、報酬も、何もかも保証されていない自分自身を知っていた。だから、すべてをリスクに託したいのだ。だが、それは自分では絶対に言わない。リスクに言わせたい。いや、言ってほしいのだ。
「マラーナ」
リスクが、ついに重圧から解き放たれた口を開く。
「はっ・・・はい」
緊張した声を出してマラーナは、ついに待っていたという気持ちを抑えつつ、笑顔がときより、高揚した顔からにじみ出ては、消えていた。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
心臓の高鳴りは、お互いに体の中で静かに鳴っていた。それが重なり共鳴しあい、そしてひとつのリズムを作っていく。リスクの真剣な眼差しが、マラーナの心臓の音をさらに高める。こんなにも見つめられるのになれていないマラーナは、恥ずかしくて死んでしまいそうに鳴る自分を感じながらも。でも、リスクを見続けなければいけなかった。彼の言葉を、すべて受け止める覚悟は、できていた。私たちの・・・これからのために・・・
「マラーナ・・・」
「はい」
来た。ついに。今日という日が変わっていく音を、マラーナは聞いた。
「堕ろして・・・くれないか・・・俺の・・・・ために」
「!?」
さっきまであった希望の火が、失望の白い炎に変わり、絶望の青白い灯にグラデーションを変える。私を抱きしめるはずのリスクの力強い手が、目に見えない空気を力一杯、手の中で抱きしめて、震えていた。私の魂は、心臓から足の先まで絶望という重力に引っ張られ、体中に生気がなくなり、命の熱を感じなくなっていく。
「う・・・・・・そ・・?」
結局、彼は、新しい命の存在を知ってもなお、何も変わらなかった。変われなかったのだ。最後のカードを切ったマラーナの言葉の裏側に何があるのかを、想像できぬまま、最後まで自分本位のまま、この時を終えようとしていた。
「ふざけないで!男でしょ!?」
マラーナは、目に水を貯めながら、なおもリスクに食い下がる。
「・・・・・・・・・・・・・」
「責任をとるんじゃないの!?私を愛してるって言っておいて!」
「・・・ごめん・・・・」
「謝らないで!」
おとなしくて、内向的で、一歩後ろを下がって、男を立てていたマラーナの別の一面を、リスクは見たような気がした。こんなにも芯が強くて、大声を張り上げるマラーナの姿を、こんな形で見たくはなかったが。
「・・・お金は払うから・・・」
「!?」
リスクのその言葉に、今日、初めて殺意に近い怒りがこみ上げてきたマラーナは、背中を向けてこれ以上の会話を拒否したリスクの背中を、自分の拳で思いっきり叩いた。
「なんでよ!どうしてよ!?理由を聞かせて!」
「・・・・・・・・・・・・・・ごめん」
叩いたリスクの背中が、どんどん、自分から遠ざかっていてく。
「・・・リスク・・・!理由を・・・・」
あの時、私を抱きしめてくれた腕は、身体は、もう、二度と、私の元にはやってこない。でも、私の魅力は、彼にとって、その程度のモノだったのか?マラーナは、涙を流して、彼にこっちへ戻ってくるように何度も叫んだ。新しい命とともに、貧しくても、貴族じゃなくても、私は、十分だった。あなたさえいれば。だが、彼の背中は、その先に待っているヒトの元へ向かっていった。
「!?」
私は見てしまった。リビングの入り口に立っている、美しい赤い可憐な薔薇を。私よりも、地位も、名誉も、お金も、美しさもすべてを、生まれたときからすべて持っていた、彼女の存在!
「アリサ・・王女・・・?」
マラーナはそう呟き、リスクは、黙って、私との最後の境界線である、玄関のドアを、思いっきり閉めた。永遠の別れは、この木製の玄関のドア、一枚で、完全に遮られた。
「・・・・・・・・・・」
夜は、まだ私には、冷たかった。あの日の夜とは、同じ夜のはずなのに、今日の私にはもの凄くこの夜は冷え切っていた。私の身体すべてを凍らせるような、いてつい夜の寒さ、が、私を襲ってきた。あの日の幸せは、幻想だったのか。家の中では、もう一つの愛が、生まれ始めているのに。彼はもう、私の元には戻ってこない。それを知りながら、私は一人、どこへ、むかえばいいのだろうか?この目の前の夜は、何も私に教えてはくれないのだ。
「・・・・アウゥ・・・・・」
夜の月が、ひとり、闇の中をさまよっているマラーナを、静かに照らしていた。
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