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悠子は、ここしばらく一言も口をきかなかった。カズオと分担している家事を黙ってこなすと、部屋に引きこもってしまう日が、何日も続いていた。
始めのうちカズオは、高校2年生の女の子は、えてしてこんなものだろうと高を括っていた。が、半月近くその状態が続いて、さすがに放っておけなくなった。
「パパには分からないことかも知れないけど、もし、その気になったら、どうして元気がないのか、話してほしい。」
悠子の部屋のドアの外から、そういう意味のことを言って、カズオはリビングに戻った。父親に、娘の心のどこまで立ち入る権利があるのか、見当がつかなかった。
4日後の夜、夕食を終えて、ウイスキーを飲みながらテレビを見ていたカズオの向かいの椅子に、おずおずと悠子は腰を掛けた。
「パパ、ママは未来が分かるの?」
「えっ、どうかしたのか?」カズオは戸惑いながら、聞き返した。
「『悠子さんは、高校2年生の時、好きな人がいるって話してませんでしたか?』って、ママに聞いたの。もし、ママが未来を知ってるんなら、私の片想いがどうなるか分かるかもしれないと思って……」
「好きな人がいるのか?」
「そんなの当たり前でしょ。」
「……で、なぜ、聞いたんだい。」
「だって、失恋はしたくないでしょ。ママに聞いて、上手くいくんだったら告白しようって、思ったの。」
「パパは、あまり賛成できないな。失敗するから人生なんだよ。未来が分かっていたら面白くないだろ。」
「ウソ!」
悠子は珍しく興奮して叫んだ。
「パパはいつだってママから未来を教えてもらってるわ。そうじゃない?ママには未来が見えるのよ。いつか、パパは、ママがもう人生を経験しちゃって、お婆さんになったんだよ、って私に言ったわ。だからママの思い出話は、私達の未来なんでしょ?そうしていつもパパはママの話を聞いてるじゃない!」
悠子の指は、額ぎわを何度もなでていた。
「自分の未来を知ったってろくな事はない。」
「でも、私、聞いたわ。」
カズオは黙った。
「『失恋だったみたい』って、ママは言ったわ。それから、26で結婚するって教えてくれた。パパが猛烈に反対するんだって。でね、『いいこと教えてあげるわね。あなたのパパが反対したら、一度きりの人生なんだから、自分の人生は自分で決める、って、言い張りなさい。必ず言い負かせるから。』って教えてくれた。」
「パパは反対なんかしないよ、ママにも言ったけど、悠子が生まれる前に。」
「そんなの、その時にならなけりゃ分からないでしょ。」
「矛盾してないか?ママは未来が分かるって言ったばかりじゃないか。」
「……告白したの。」
「……」
「彼に。でも振られた。ママの言うとおりだった。でも、告白して良かった。ママの答えを聞いたときには、ゼッタイやめようって思ったんだけど、未来は自分で作るものだって自分に言い聞かせて……、だから後悔してないし、これからだって自分の人生は、自分で切り開いて行くつもり。」
「それが正解だと思うよ。」
「でも、ママにはこれからも聞くけどね。」
そう言うと悠子はぺろっと舌を出した。
「……さっき悠子は、パパがママから未来を教えてもらってると言ったね。そうかもしれない。でもね、ママが生きた世界では、ママは悠子とパパと一緒に歳をとってるんだよ。3人とも自分の年齢を生きていくんだ。だからパパは、50歳のパパが47歳のママと、どうやって生活しているのか、60歳になったらどんな夫婦になってるのか、そんな家族の話を聞いてるんだよ。パパはちゃんとママを幸せにしているのか。悠子は病気や事故にあっていないか。それから、実を言うと、時々『昔』の話も聞いてる。悠子が中学校を卒業した時、パパは悠子の卒業式に1人で行っただろ。ママの想い出の中では、あの日、パパとママはどうしたんだろう?一緒に行ったのかな?その時に何か面白いことがあったのかな。あったんなら知りたいなあって、後になって急に気になってね。」
「どうだった。」
「なにが?」
「卒業式、何か面白いことあったの?」
「やっぱり、行ってた。」
「なに?」
「悠子、卒業式の後、ファミレスに行きたいって言っただろ。それで2人で行ったよな。」
「そう、そうして、大人の話をしたわ。悠子ももう一人前の大人だからって。」
「そうだった。そのファミレスに、ママと3人で行ってたんだ。」
「同じだったってこと?」
「そうだ。たまたま、目についた店に入ったはずだったけど、同じ店だった。」
「未来は決まってたってこと?じゃあ、ママが一緒でも、パパは私に、大人の話をした?」
「するはずはないよ。そこにママがいるんだから。だから、まったく同じじゃあ、ない。」
「なんだか分からなくなっちゃった。未来は決まってるの、それとも違うの?」
「ママはたった一度の人生を生きて、今、サナトリウムにいる。ママと一緒に歳をとったパパは、多分、今もママの傍にいて、それから、もう1人のパパは、こうして悠子と一緒にいる。」
「パパはそれで幸せなの?」
ウイスキーグラスの中の溶け残った小さな氷を指で廻しながら、カズオはしばらく考えた。それから、眉根を寄せてじっと答えを待っている悠子の顔を、真っ直ぐに見つめると言った。
「ああ。幸せだよ。2つの人生を生きるなんて、贅沢だろ?」
悠子は、カズオの顔を真っ直ぐに見つめ返すと、
「ママがあんな風にならなかったら、私は今と違ってたのかな?」と聞いた。
「そんなことはない。悠子はパパとママの2人で育ててるんだよ。今までだって、これからだって。
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