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「ユウスケとトモコ。悠子の子供たちの名前。上が男の子で、下が女の子。4つ違い。大学までは、入学式や卒業式の年が重ならなくて楽ね。あなたの定年の前の年にユウスケが生まれるわ。だから、会社の嘱託を断ったのは、孫の世話をしたかったからかもね。私も、もちろんユウスケは可愛いけど、まだ50代だからあなたと2人だけで、ゆっくり過ごしたい、と思ってる。ずっと一緒だったからうっとうしいって思うより、そろそろ自分たちだけの時間が欲しいって思ってる。私って結構良い奥さんじゃない?そして、あなたはちゃんと私の傍にいてくれる。毎日旦那様が傍にいてもうるさがらない、ってすごい事じゃない?」

 「今だって良い奥さんだよ。文句なし。」

 カズオはサチコの背中から両腕を回して、大きくなったお腹を抱えるように抱きしめて、話を聞いていた。最近はこの姿勢でサチコの話を聞くことが多くなった。サチコが話の途中で時々、ひどく取り乱すようになったからだ。


 臨月にはいると、サチコは益々饒舌になった。自分の知っていることをすべてカズオに伝えようとでもするかのように、カズオの顔を見ると話し始めるのだった。ベッドに入った後でも、サチコは話し続けた。

 「結婚式はね、親を泣かせるシナリオが用意してあるの。悠子がね、パパ、ママ、今まで育ててくれてありがとう、って手紙を読んで、あなたがわんわん泣くの。嫁に行ったって、どうせすぐ遊びに来るんだし、夫婦2人でわが家に入り浸りになるに決まってるんだから、結婚したってどうってことない、なんて言ってたくせに。あなたのせいで、私もちょっと涙ぐんじゃうんだけど、あなたほどひどくはないわ。でも、随分長く育ててきたんだなあ、って思う。3人で暮らすのはやっぱり今日で最後だし。生まれてきたときに、パパとママにしてくれてありがとうって言ったみたいに、今度は、もっと素敵な未来をプレゼントしてくれてありがとう、って悠子に言うの。何もかも手探りで赤ちゃんから育てて、そうしてようやく、娘がお母さんになるために結婚する、そうやって、人の一生は過ぎていくんだなあ、そう思ったら、あなたが泣くのが分かる気がしたのね。私結婚してよかった、悠子を産んでよかった。」

 そう言うとサチコはカズオの胸にそっと頭を載せた。

 サチコの取り留めのない話は、カズオを不安にしていた。密かに相談した産婦人科医は、「出産前は誰でも不安定になるものですよ。」と言うだけだった。確かに、お腹の中の悠子に子守歌を歌って聴かせている姿や、産着を縫っている姿などを見ると、いつものサチコと変わらないように見えた。しかし、一旦、話し始めると止まらないサチコの姿には、鬼気迫るものがあった。


 「高校生活の最後の日に、6年間お弁当ありがとう、って手紙をくれたわ。私は、あなたと結婚して2年目に会社を辞めて、それからは、家族のために生きようって決めたから、悠子のお弁当を作るのも当たり前だと思ってた。晩ご飯を作るときに、次の日のお弁当のおかずも少し用意して、悠子が好きな卵焼きは朝作って。いつかウインナソーセージをタコに切ったら、もうそんな年じゃないって、言いながら、でもありがと、って言ったり。卵ってコレステロール多いから、毎日はダメよ、って言って、言い合いになって、結局卵は1日1個、お弁当に入れるか、家で食べるかは悠子が決める、っていう協定も結んだわ。中学は吹奏楽部だったけど、高校はバレー部だから、お弁当の量が足りないって文句も言ったわね。ちゃんと栄養計算してるんだからダメって私は取り合わないんだけど、あなた、売店でパン買えって、そっとお小遣い渡してたでしょ。知ってたわよ。でも、文句は言わなかった。私って頑固だから。あなたには陰で感謝してたわ。」

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