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 妊娠6か月目を過ぎる頃から、サチコの話は、異様に詳しくなりだした。

 「3つの時に、悠子は階段から落ちて、左の眉の上を切るの。打ち所が悪かったのかしら、額がざっくり割れて、11針縫わなくちゃならなくて、私たち大騒ぎするわ。ごめんなさい、ごめんなさい、って、私、悠子を抱きしめて泣くの。あなたが、君のせいじゃない、って慰めてくれるけど、これって、どんな時だって、親の責任よね。私は駄目な母親なの。」

 サチコは両手で体を抱きかかえるようにして震えていた。ショートに切りそろえた髪が乱れて、額には汗が浮いていた。

 「いい加減にしろよ。そんなことないって。僕たちがちゃんと注意してればいいだろう。それでも不安だっていうんなら、アパートを替わればいい。一階に住んで、上には行かせない、それでいいだろ。」

 「どうやったって、ムリなのよ。全部決まってるんだから。子供は、親がいくらダメだって言ったって、勝手に動き回るものなのよ!」

 「もういい!そんなありもしない妄想で喧嘩するのはごめんだ。お腹の中の悠子にだってよくない。階段から落ちるよりずっと!」

 サチコはそれ以上、何も言わなかった。ただ、震えながら泣き続けていた。


 「……怪我はね、大きなミミズバレみたいになって、額の毛の生え際に、はっきりと残るわ。私にはそれがとても辛くて。女の子だから・・・」

 「それがどうしたって言うんだ。」

 唐突な話に戸惑いながら、カズオはぶっきらぼうに返事をした。

 「指で傷痕を触るのが癖になるの。不安になったり、興奮したりすると、触っちゃう。幼稚園の年長さんの頃には平気そうにしてるんだけど、傷痕は誰の眼にも見える。でもだからこそ、変に隠し立てしないで、何時も堂々としてらっしゃい、って、強い人間に育てようとするの。でもいつの間にか、気にし始めて、中学生のころには、大したことないって言っても、私、一生結婚できない、なんて、泣き出すのよ。その度に、私は胸が苦しくなる。親って、損よね。ちゃんと育てて当たり前、失敗したら大騒ぎ。」

 いつの頃からか、サチコは未来のことを断定的に話すようになっていた。しかも、たんなる想像というよりは、カズオには予言のように聞こえるのだった。

 「高校では、バレー部に入るの。受験勉強と両立できるのか、ってあなたは言うんだけど、一度きりの人生なんだから、『自分の人生は自分で決める』って悠子は言うわ。これって、恋人を家に連れてきた後で、あなたが悠子の結婚に反対したときと同じセリフ。歴史は繰り返す?」

 サチコは可笑しそうに言うと、

「どうせいつか子供は親から離れて行ってしまうのにね。悠子の乳離れは、高校時代。」と、昔を思い出してでもいるかのように、遠くの方を見遣りながら付け加えた。

 「僕は、もうちょっと理解のある親のつもりなんだけどなあ。昔から、子供は神様の贈りもので、18歳までは預かる、それ以降は、本人に決めさせる、つまり、運命の神様に託す、って決めてるんだぜ。知らなかっただろ?」

 「今のうちに言っておくといいわ。娘の恋人はいつだってダメ男に見えるものよ。私のお父さんだって、あなたは生活力がなさそうだ、なんて、始めは結婚に反対してたんだから。」

 「そんなこと、始めて聞いたよ。へー、そうなのか。もっと気に入られてると思ってた。」

 「父親は、みんなそんなものなの。でもいいじゃない、私が、あなたを選んだんだから。それに間違いはなかったわ。絶対に。今までも、そしてこれからも。」

 そう言うとサチコは、カズオの頬にキスをした。


 「小学校の入学式はね、雲一つない青空。校門の横に5本の桜の木があって、満開。3人で、校門の前で写真を撮るの。でも、家を出る前に、ちょっとトラブルがあってね。私が悠子の髪を三つ編みにしようとすると、悠子が痛がって逃げるの。最初が肝心、そう心に決めて、わざと額が隠れない三つ編みにしたの。そんな気持ちがあったせいで、ちょっと力んだのね、きっと。おかげで、あなたには『遅い!』って叱られるし、悠子はぐずるしで、私はろくに化粧もできなかったのよ。でも、よく考えたら、悠子は、前髪で傷痕を隠したかったのかしら。もしそうだったら、可哀相なことをしたわね。」

 「おい、おい。小学校の入学式って、7年後だぜ。昔話みたいに話すって、おかしくないかい?それに怪我だって、ちゃんと防ぐから、してるはずないし。三つ編みだって、しなきゃ良いじゃないか。」

 「ダメなのよ、それが!手遅れなの!」

そう言いながら、サチコは突然、泣き崩れた。あまりに急な変わりように、カズオは呆然として、サチコの震える肩を見下ろしていた。

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