雪
桐原 司
本編
今夜は雪が降るというので折り畳み傘をカバンに入れ、雪かよ……はぁ、と家を出た。
合唱祭まであと二週間だから、と指揮者の女子に脅されたせいか、ホームルーム前の朝練の集まりも良くなってきた。
しかし、集まりが良くなるのとしっかり練習することは必ずしもイコールにはならない。
遅れてきた人なんかいれば、それだけで大盛り上がりなのだから……。
今日の朝練では、音楽室を使うことができた。
練習場所の割り当ては決まっていて、今日の朝は1年1組、その昼休みは2組……というのが表になったものが配られてあった。
音楽室は教室棟から歩いて二分のところにある芸術棟の最上階、四階にある。
校舎の一部を工事しているので、一度校舎から出てピロティを歩かなくてはいけない。
朝の冷たい空気が顔や手に突き刺さるようで痛い。私は、震える手から楽譜が落ちないようにするので必死だった。
うっすらと氷が張ったみどり色の池を左に見て、芸術棟の重く冷たい鉄のドアをゆっくりと開いた。
音楽室には既に二、三人の男子がいた。
「おっはよー。早いねー」
と声をかけると、横持ちしたスマホに目を落としたまま
「よっすー」
と軽く返事をした。
そのうちにまた一人また一人と集まってきた。
今日の放課後練習ではサビのところのリズムを意識して歌おうね
と、合唱部のアドバイスがひと通り終わると、男子はすたこらさっさと帰り出した。女子は、
今日はうまく歌えた
だとか、
テノールって森くんしか聞こえないよね
などとあれこれ話していた。
一時間目の授業が始まる頃には、もう白いのが外を舞っていた。右に左にほろほろと動くそれは、いつしか私たちの視線を独り占めしていた。
窓にくっつくと徐々に形を小さくし、ついには一つの水滴となって落ちていく。
私は一番窓に近い列に座っているから、校庭がだんだん白くなっていくのをよく見ることができた。
足跡一つない綺麗な白。あそこで走りまわりたいなぁ……
私は少しずつ意識が遠のいていくのを感じた。雪…かぁ……。
みんな寝るな!寝たら死ぬぞ!という先生の言葉でビクッと意識が戻った。
それから、板書をノートに写すのと先生が消すのとではどちらが速いのか、という競争を繰り広げた。
授業終了のチャイムが鳴ると、いくつかの頭がゆらゆらと起きあがり、またいくつかの頭がパタンと落ちていった。
「雪すごいから、合唱練も部活も禁止!さっさと帰りましょう!」
と言い放った。
今日は階段ダッシュやんのかぁ、と嘆いていたサッカー部員はよっしゃー!と叫び、他の人たちも歓声をあげた。
私は「誰か合唱できなくて大丈夫か?」とか言ってくれる人はいないのかな、と思ったりもしたが、気づけば一緒になって喜んでいた。
担任は、校長先生が決めたことだからね、と付け加えてから、はい日直!と号令をかけさせた。
さっさと帰ってください、と校舎から追い出されると、前を見るのも大変なくらいに吹雪いていた。
私は最後まで教室に残っていたから同じ制服を着た人はほとんど見なかった。
仕事を早く切り上げたサラリーマンや真っ白になってはしゃぐランドセル軍団などを見かけたが、家への近道の路地に入ると足跡ひとつ見当たらなくなった。
やっぱり人通りの多い道にすべきだったか、とも思った。
試しに、ざくっと自分の足跡をつけてみた。靴はもちろん、足首も見えなくなるくらいまで積もった雪はとても柔らかかった。
そのうちに足跡が二つになった。
ザクッザクッと雪の感触を楽しんでいるうちに足跡がどんどん増えていく。
右、左、坂を登って右に曲がった。
足を前に出せば出すほど、この真っ平らな雪の斜面に自分の足跡をつけていくことこそが、なりよりも大切で自分に課せられた使命なのではないかという思いに駆られた。
靴の隙間から雪が入ってきてとても冷たい。手袋もしないで雪を掴むと、手の感覚がなくなってきて指も動かなくなる。
もうそんな事どうでもよくなっていた。
少しでも長く雪の中を歩いていたい、そう強く思った。
公園の前を通ると、中学生三人がリュックを真っ白にして雪合戦をしていた。「やったなー」「あったあった!口にあいったー」と楽しそうにはしゃいでいる。
自分も一年前はこんな事をしてたんだなぁ、と思った。
公園を通りすぎると、その辺にある雪を集めて玉を作って電柱に思いっきり投げつけた。
電柱についた白い跡を見ながら、高校生も大したことないなと思った。
家に着くと自分のリュックや制服が真っ白になっていることに気がついた。
「雪も悪くないな」と心の中で呟いた。
雪 桐原 司 @KiriTuka
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